第19話 “流行り病”
(〝病原体〟――!!!?
それが……村のみんにゃが倒れた原因……っ!!)
少女の頭の中に、いくつもの記憶の断片が蘇る。
そう――思い返せば、たしかに〝それらしい〟兆しはあった。
(……そういえば、〝サビ〟も……!!)
よく一緒に遊んでいた少年の姿が、脳裏に浮かぶ――
『――バレないように気を付けてね~……ゲホッゲホッ!!』
『にゃんだ風邪か~? おミャーもお大事にな』
『うん……病院の患者さんにうつされたかな。最近患者さん多いし……へへ、見たな・聞いたな・知ったな~?』
(――もしかして……サビはあの時、すでに〝感染〟してた……!?)
胸がざわつく。
だが、それだけではなかった。
少女の記憶は、さらに別の場面へと移っていく――
――
――――
――――――
――それは、祖父が不意に家を訪ねてきた日のことだった。
『病人の癖に……大人しくしとけよ!』
『ほっほっほ! 娘と孫の家に来ただけじゃ、大したことじゃ……ゲホッゲホッ!!』
『え!? おじいちゃん病気にゃの!?』
『そこの医者もじゃよ』
『悪かったな……ゴホッ…! まあちょっと患者から貰っちまっただけだ――』
――
――――
――――――
(――おじいちゃんもだ……病気に……っ!)
少女は目の前の亡骸へ、そっと目を向ける。
優しく笑ってくれた顔も、今はもう、どこにもない――
ただ、変わり果てた白い骨が、静かに椅子へ座っているだけだった。
視界が再びにじむ。胸の奥が熱く、苦しい。
けれど、ここで立ち止まるわけにはいかなかった。
彼女は震える指先で、もう一度日記へと視線を戻す――
――
――――
――――――
「――〝病原体〟……ッ!? それに外部からって……!!」
チーシャの驚きに答えるように、村長は静かに頷いた。
「ああ……数日前に来た、あの〝冒険者〟じゃな……」
「全く、厄介なモンを残しやがって……ッ!!」
コハンは忌々しそうに呟く。
医者である彼は、その脅威を、この場の誰よりも理解しているのだろう――
――
――――
――――――
――手記を読みながら、少女は眉をひそめた。
(〝冒険者〟……? そんにゃヤツ、ミャー知らないぞ……村に来てたなら、覚えてるはずなのに……)
だが次の瞬間、記憶の中に散らばっていた点が、ひとつにつながった――
(あ! いや、そうか……!!)
――
――――
――――――
『――なんか食べたことのない食材もあって、すっごい新鮮だった!』
『あ~、アレね。何日か前に、村に迷い込んだ〝冒険者〟が置いていったのよ』
『へ~、そんなことがあったんだ』
『ま、子猫ちゃんは知らなくて当然ね。その時、キミは森の中に居たんだから――』
――
――――
――――――
――滞在期間は3日間。
村では見たこともない食べ物と料理。
それらの断片的な情報が、1つの可能性を導き出す。
(ミャー達が森の奥に行ってた、あの時か……!!)
少女達が森へ向かった日の昼、冒険者は村へ現れた。
そして――少女達が村へ戻る数時間前には、すでに旅立っていた。
彼女達が森にいた3日間、冒険者が村にいたのは、ちょうどその間だけだった。
(なんて……タイミングだ……)
まるで彼女達を避けるように、冒険者は現れ、去っていった。
偶然か、必然か……それは、僅かなすれ違いだった――
――
――――
――――――
『――私達の住むヤマモモ村には、普段、外から人が来ることはほとんどありません。
森を抜ければ半日で王都に着くというのに、この村を訪れる旅人は滅多にいないのです。
この村を囲む森には、昔から外の生き物を遠ざける〝何か〟があると言われています。
森に生える、いくつものハーブが混ざり合った香り……
どうやらそれが、動物や魔物だけでなく、人の足さえも遠ざけているらしいのです――』
――〝森気〟……少女は雲が森の入り口で言っていたことを思い出す。
どうやら村の大人達も、〝森気〟のことをおぼろげながらも知っていたらしい――
『――でも、ごく稀に……
その〝何か〟をものともしない、ちょっと変わった旅人が村にたどり着くことがあります。
3か月前に現れたのは、まだ若い〝冒険者〟。
その人はボロボロの状態で、村の入口に倒れていました。
体にはモンスターと戦ったらしき傷があり、高熱も出ていて……
外から迷い込んだ人は助けるのが、村のルール。
みんなで介抱しました。
翌日には体調もよくなり始め、3日目にはすっかり元気になって……
帰り際にはお礼に珍しい外の食べ物を分けてくれたり、変わった料理の作り方まで教えてくれました――
ですが――
その3日間が、すべての始まりでした――』
――
――――
――――――
「――今日も……死者が出た……ッ!!」
村長は、悲痛に歪んだ顔で名簿に視線を落とした。
その名簿は――村人全員の名前と所在、年齢、職業が記された、村の縮図とも言える1冊。
震える指で、彼は住人の〝死亡〟の欄へ、チェックマークを刻み込む。
「ああ、しかも若いヤツらまで発症し始めた……!!」
ジラの葬式から1週間。
村長の家には、医師コハンの張りつめた声が落ちていた。
「死者数は10人を超え……恐らく、発症者も30人はいる。ここ数日、体調を崩した者が、病院へ次々に運び込まれているからな……」
「ああ……そんな……ッ!!!」
村を蝕んでいく、地獄のような現実。
チーシャは、ただ息を呑むことしか出来なかった。
コハンの目の下には深い隈が出来、肌は灰色にくすんでいる。
次々に運び込まれる患者を、休む間もなく診続けている証だった。
〝病原体〟は、まるで水に落とした墨のように、村中へ広がっていった。
「みな体調を崩し、判断力が鈍り、今まで当たり前にこなしていた日常の動作さえ、ままならなくなり……最後には吐血して、死ぬ……」
コハンは淡々と、患者達に起きた症状を告げる。
「それが、今この村を襲っている〝病の症状〟だ……っ!!」
「そんな……っ!! 治す方法はないの……?」
チーシャは縋るように、身を乗り出した。
「この村には、ない……」
「なら、近くの王国へ……ラクシャマのお医者様の力を借りれば……!!」
「ああ、確かに……そうだが……」
声が僅かに震え、コハンは言い淀んだ。
「……オレが王国へ行っちまうと……今、病気で苦しんでいるヤツらは……っ!!」
「あ……」
チーシャも、瞬時に理解した。
村には医者が〝1人〟しかいない。
そのたった〝1人〟が村を離れれば――
「コハン……王国へ行くのじゃ」
だが、その迷いを断ち切ったのは村長だった。
「っ!!? お父さん……ッ!! それじゃあ今、発症してる人達は……ッ!!」
その意味は、あまりに重く……恐ろしい。
チーシャは、言葉を苦しげに吐き出した。
「……見捨てるって……言うの……ッ!!?」
「……ああ……そうじゃ……」
彼の声に、迷いはない。
だが……その瞳の奥には、深い悲しみが沈殿していた。
「このまま何もしなければ……村は滅ぶ……ッ!! 最悪の事態だけは、防がねばならん……ッ!!!」
村長は拳を強く握り締めた。
その覚悟を、コハンも受け止めるように、村長を真っすぐに見つめた。
「……いいんだな……〝ミケ〟……ッ!!」
〝ミケ〟……村長を本名で呼び捨てに出来る者は、村の中にもそう多くない。
コハンとミケの間には、ただの信頼関係を超えた――特別な絆があった。
「ああ。逝く者達の恨みは、全てワシが引き受ける」
コハンの問いに、ミケも覚悟をもって応える。
村長の声には、腰の曲がった老人とは思えないほどの、強い決意が宿っていた。
チーシャもその気迫を感じ、言葉を失った。
「っ……!! うう……っ!!」
ただ、涙だけが止めどなく頬を伝った。
――〝村を救うために、村人を見捨てる〟。
誰も望んでいない……けれど誰かが選ばなければならない、地獄の選択。
その重さに、部屋の空気は押し潰されるように沈んでいった――
――
――――
――――――
――子供達には知らされなかった、大人達の苦悩。
そのすべてを知り、少女の胸は強く締めつけられた。
(こんな事が……村で起こっていたなんて……っ!! だからおかあさんは……あの時……)
今でも忘れられない、あの言葉が蘇る――
『――今日から当分、家の外に出ちゃダメ』
外出禁止を言い渡されたあの日。
そこから、村での〝苦くて冷たい日々〟が始まった。
『――は~……退屈だにゃ~』
外に出られなくて窮屈な思いをしたこと。
それに耐えきれずに、こっそり外に出たことがバレた時のこと。
『なんで外に行ったのッ!!? あれだけダメだって言ったでしょうッ!!!?』
普段の母からは考えられないほどの剣幕。
でも今ならわかる。理不尽に感じていた、あれは……ただの怒りなんかじゃなくて――
――
――――
――――――
(――全部……ミャーを守る為だったんだ……っ!! その為に、おかあさんは……ッ!!)
『――え……えと……やっぱり……退屈で……』
『退屈? 退屈だから出歩いたっていうの!? 今この……!!』
――思い返せば、あの日。
母が途中で飲み込んだ、その続き。
あの時、母が言おうとしていたことは、きっと――
――
――――
――――――
――コハンが王国へ向かってから2日。
「……ねえ……コハン先生は、いつ帰ってくるの……?」
沈んだ顔で、チーシャは父に問いかけた。
「恐らく……1週間はかかるじゃろう」
「そんなに……?」
チーシャの顔から、さらに血の気が引いた。
その変化に気づいたミケは、眉をひそめる。
「……何かあったのか……?」
娘の不安を見逃さぬよう、彼は静かに問いかけた。
「……昨日ね……子猫ちゃんが、家から抜け出しちゃったの……」
「そうか……全く、昔の誰かを思い出すヤンチャっぷりじゃな」
軽く笑うように返す。
場を和ませるための冗談――けれど、チーシャの曇った目は少しも晴れない。
「それでね……私……」
声は震え、今にもほどけてしまいそうだった。
「あの子のこと……怒鳴っちゃったの……っ!!」
「……」
ミケは口を挟まず、ただその続きを待った。
チーシャは歯を噛みしめ、苦しげに言葉を吐き出していく。
「窮屈な思いをさせてるのはわかってる……けれど私、心配で堪らなくて……っ!!」
「そうか……」
後悔、恐怖、焦燥。
その全てが混ざり合った声だった。
「どうしよう……あの子に酷いことしちゃった……私……私ぃ……っ!!」
チーシャはうずくまり、膝を抱えて震える。
ミケはそんな娘の背に、そっと手を置いた。
「……大丈夫……ミーちゃんは賢い子じゃ。今は難しくても、いずれわかってくれるはずじゃよ」
「うう……っ!! ぐす……」
チーシャは父の言葉に答えることも出来ず、ただ涙を流すしかなかった。
「ねぇ……お父さん……この病気って、一体何なの……ッ!?」
溜め込んでいた疑問が、堰を切ったようにあふれ出す。
「あの日〝冒険者〟が持ってきたモノだって、コハン先生は言ってたけど……それならおかしいよ!!!」
チーシャは嘆くような声で、なおも鋭く真実を求めた。
「だって……確かに〝冒険者〟は、すごい高熱だったけど……
それでも、ちょっと重い風邪くらいだったわよ!!?」
あの日の男の姿を思い出す。
苦しそうではあったが……死に至るほどではなかった。
「……それなのに……なんでこの村の人達は、こんな悲惨な状況になっているの……?」
吐き出された問いは、悲鳴に近かった。
「チーシャ……」
父は娘の目を、正面から静かに見つめた。
「……それは……ワシも知りたい……」
それは逃げではなく、偽りのない言葉だった。
彼自身も答えを求めていた。
しかし真実は遠く、病がただ静かに村を蝕んでいく。
「じゃが必ず、コハンが答えを見つけてくれる……その日まで、ワシらは耐え、生き残るのじゃ……!!」
ミケの声も震えていた。
しかし、その言葉には揺るぎない覚悟が宿っていた。
「……くぅ……っ!! うう……!!」
チーシャは祈るように両手を組み、ただ呻くことしか出来なかった。
押し寄せる恐怖と罪悪感、そして来るべき日々への不安が、胸の奥から込み上げてきていた――
――
――――
――――――
「――病気の……正体……」
手記を読んでいた少女の口から、ぽつりと言葉がこぼれた。
「一体何なんだ……? 村をこんな風にするなんて、どれだけ恐ろしい病なんだ……っ!!?」
白骨だらけの家々。
鼻を刺す土と埃の匂い。
ページの上の文字と、目の前の現実が重なり合い、少女の背筋を冷たいものが這い上がっていく。
「まだ名前もついてないような、未知の病気とかアルか? だから王国に行ったお医者さんも、治療法がわからなくて……」
玲玲も手記を覗き込みながら、表情を曇らせて呟く。
だが――
「いえ、そんなモノじゃありませんよ」
雲が、酷く冷静な声で口を挟んだ。
「冒険者が患っていた時の症状。それに対して、村の人達の重すぎる症状……」
雲は手記の情報を、ひとつずつ整理していく。
「私の考えが正しければ、恐らくこれは――」
――
――――
――――――
「――なんですって!!?」
コハンが王国へと向かってから、ちょうど1週間が経った頃。
村に、ようやく彼が戻ってきた。
けれどコハンが持ち帰ったのは、待ち望んでいた吉報ではなく――
「〝病気を治す薬がない〟!!? どういうことよ!!」
残酷な真実だった。
チーシャは現実を受け入れることが出来ずに、狼狽した。
「まさか……王都でもわからない新種の病気なのか?」
ミケはコハンに問いただす。
村長として冷静を装おうとしていたが、その額にはじっとりと汗が滲んでいた。
「いや……そういう訳じゃない。だが……」
短く否定し、唇を噛みしめる。
まぶたの下で、充血した目がわずかに揺れた。
そして、ゆっくりと言葉を選ぶように、病のことを語り始めた。
「この病の正体は――」
――
――――
――――――
「――〝赤咳〟ですね……」
「え……?」
手記よりも先に、雲が真実を口にした。
「症状が酷似しています。私は医者ではありませんが、ほぼ間違いないでしょう」
雲の言葉を聞き、少女は慌てて手記の続きを目で追う。
「……確かに、〝赤咳〟って書いてある」
「嘘!? 本当アルか!?」
彼女の言葉に、周囲の調査員達がざわついた。
「〝赤咳〟って……」
「それって……〝アレ〟だよな……?」
「……? 王都じゃ有名な病なのか……?」
少女には、その名前に聞き覚えがなかった。
だが、周りの反応を見る限り〝赤咳〟は朱円では誰もが知る病気らしい。
「でも……それって、おかしいヨ……」
玲玲は手記の文字を覗き込み、何度も読み返してから首を振る。
「だって……〝赤咳〟って……」
(……にゃんだ? そんなに恐ろしい……病なのか……?)
不安がじわじわと広がっていく。
この村を廃墟に変えた〝何か〟への恐怖が、名前を得たことで形を持ち始める――
――だが、玲玲の口から飛び出したのは、少女の予想とはまるで違う言葉だった。
「――私……罹ったことアルヨ……?」
「え……っ?」




