第18話 “ヤマモモ村 異変記録簿”
目の前にある〝白骨化〟した遺体――
それに視線を奪われたまま、少女と玲玲は動けずにいた。
――どれほどの時間が経ったのか。
村の静けさの中、遠くから誰かの声が響いた。
「隊長!!! 村中の家から〝白骨死体〟が発見されました!!」
その言葉に、少女はハッと我に返る。
「……白骨、が……? まさか……そんな……っ!!」
彼女はふらつく足取りで家を飛び出し、村の広場を見渡した。
そこでは、調査員達が各家を調べて回り、何人もの〝遺体〟が見つかったことを、次々と報告していた。
「こっちの家も……」
「こちらも……同様です」
「こ、これは……全滅……なのか……?」
「……あ……っ……!! ああ……!!! そんにゃ……っ!!!」
少女はその光景に、思わず膝から崩れ落ちた。
調査員の手にした布にくるまれた骸。
風にさらされた白骨。
壊れたまま放置された家具。
何年も前に時間が止まったような台所。
そこには、村人達の暮らしがとうに途絶えた|名残だけがあった。
「争った痕跡は見当たりませんね。武器の類もなく、家が荒らされた様子もない」
副隊長の雲が、冷静に現場を見渡しながら報告する。
「じゃあ、どうして……っ! みんなは……!!」
少女の視界が滲んでいく。
憎しみの対象だったはずの村人達――
だが、彼らが変わり果てた姿で発見されたという現実は、怒りではない別の感情を呼び起こす。
悲しみ。
混乱。
そして……どうしようもない、喪失感――
「――ミーちゃん、大丈夫アルか……?」
「……」
心配する玲玲の声にも、彼女は返事ができなかった。
こみ上げてくるものを必死に飲み込みながら、ただ唇を噛みしめた。
「隊長!! 中央の建物に、日記らしきものがありました!!!」
「っ!!」
調査員の1人が報告する。
村の中央にある最も大きな家――それは少女の祖父である村長が住んでいた家だ。
「日記か。何かわかるかもしれんな」
「みゃ、ミャーが確認する!!!」
少女は顔を上げると、まっすぐ村長の家へ走り出した――
――扉を押し開けた瞬間、カビと埃の混じった匂いがした。
古びた家具達が、少女を迎えるようにそこにあった。
そして――
「……ッ!?」
書斎の隅。
椅子に座ったままの〝それ〟を、少女は見つけてしまう。
「うそ……うそだろ……ああ……っ……なんで……なんでェ……ッ!!!」
着ていた服で、すぐにわかった。
今でも耳に焼き付いている。
〝しわがれながらも優しく芯が通った声〟――
『――ミーちゃんや……いるかい?』
『――随分とそっくりな親子じゃ……』
『――心じゃよ、心で繋がっとるんじゃ』
それは、この家の主――
「なんで……お"じい"ぢゃん"がッ!!!!」
少女の祖父の――〝白骨〟だった。
「……ああっ……にゃんでだよ……」
膝から力が抜け、床へ崩れ落ちる。
「ミャー、あんなに憎んでたのに……っ!! でも……でもォ……ッ!!!」
憎んでいたはずだった。
恨んでいたはずだった。
けれど今、その存在を失って――息ができないほど、苦しかった。
嗚咽が漏れる。
言葉にならない声が、喉の奥で震え続ける。
「日記はどこにある?」
後ろから開守の声がかかる。
調査員が差し出したのは、1冊の古びた手帳。
「……これです」
「なるほど……書いた者の名前は……」
埃をかぶったその表紙には、手書きの文字でこう記されていた――
《ヤマモモ村 異変記録簿 ――記:チーシャ》
「なッ!?」
その名を聞いた瞬間、少女の表情が強張る。
「おかあさんの……名前だ……ッ!」
「……そうか、なら――」
――開守は静かに、少女の前へと日記を差し出した。
「代表して、君が読み上げるか?」
「っ!!」
彼女は震える両手で、その日記を胸に抱くように受け取った。
祖父の死を前にし……
母の残した言葉を手にして――
――少女は、かつての時間と向き合う覚悟を迫られていた。
「……ミーちゃん……無理しなくてもいいネ、代わりに私が……」
「いや……いい……っ!!」
玲玲の提案を、彼女は首を振って拒む。
「これは……ミャーが読まなきゃ……受け止めなきゃ、いけないモノだと思うから……っ!!」
恐ろしくて堪らない。
頭がぐちゃぐちゃで……纏まらない。
けれど――この記録は、他の誰でもない〝自分〟が向き合うべきだと、少女にはわかっていた。
だから彼女は、覚悟を決めて日記の1ページ目を開いた――
《ヤマモモ村 異変記録簿 ――記:チーシャ》
『――この記録は、もしもの時のために書き残すものです』
日記の文字は、まぎれもなく少女の母――チーシャのものだった。
(〝もしもの時〟ってにゃんだ……? 一体この村でなにが起こってたんだ……?)
『今、私がこの記録を書いている時点で――』
――思わずページをめくる手に力が入る。
そして次の瞬間、その視線は紙面に凍りついた。
『――村に住む〝半数〟の人間が、すでに命を落としています』
「ッ……!?!?」
衝撃に、少女は息を呑んだ。
その場にいた調査員達からも、思わずどよめきが漏れる。
「にゃ……にゃんだよ……それ……!!!」
声が震える。
喉の奥が熱くなっていく。
(村人の〝半分〟が……ッ!!? これをおかあさんが書いてる時点で……ていうか、この日記は一体いつ書かれたものだ!!?)
その事実が、胸にずしりとのしかかった。
けれどページは、容赦なく次の真実を紡ぎ出していた。
『これを読んでいるのが誰かはわかりません。
……というか、そもそも読んでくれる〝誰か〟がいるかどうかも、正直わかりません。
――けれど、この村で起きたことを残さなければいけない、
この村の人達の想いを記しておかなければいけない。
そう思い、この記録を綴ります――
始まりは……ジラおじさんの死でした――』
――
――――
――――――
――4年前。
ヤマモモ村の空を、ゆっくりと白い煙が流れていた。
その下では、ジラの葬儀が静かに執り行われていた。
村の中央にある広場。簡素な棺が置かれ、村人達が花を手に順番に進んでいく。
風はなく、木々のざわめきも止まり、ただ焼香の煙だけが空へ昇っていた。
棺の中には、村のみんなに愛された老人――ジラの亡骸があった。
白い髭を蓄え、深い皺を刻んだ顔は、どこか穏やかで、〝ただ眠っているだけ〟と思いたくなるほど安らかに見えた。
その棺の前で、黒い喪服に身を包んだ幼い猫耳の少女が背伸びをしていた。
「うぐ……届かにゃい……」
小さな彼女の腕では、棺の縁に花を置くことさえ難しい。
すると背後から、がっしりとした大きな手が、そっと彼女の脇を掴んだ。
「ほら、これでどうだ?」
「駐在さん……! ありがとう」
ひょいと持ち上げられた少女の視線の先――
そこには、もう動かないジラおじさんの顔があった。
ボサボサの白髪に、笑い皺の残る頬。
何度も自分を母の「チーシャ」と呼び間違えたあの声が、もう二度と響くことはない。
「……井戸おじいちゃん、来たよ。チーシャじゃにゃいからな、最後まで間違えるにゃよ? ミャーの名前は……」
あの世に行っても自分を母と呼び間違えないよう、ジラを叱る少女。
その姿に、隣で見守るチーシャがふっと笑みをこぼした。
悲しみと、少しの愛しさが混じる――そんな微笑みだった。
葬儀の会場には、湿った土と線香の匂いが混ざり合っていた。
遠くで鳴く鳥の声が、やけに鮮明に響いていた。
その静寂の中、後ろから低い声がかけられる。
「……チーシャ……ちょっといいか?」
「あら、お父さん?」
声の主は、村の長でありチーシャの父。
その顔は悲しみというよりも、どこか〝探るような〟険しさを帯びていた。
「どうしたの……? お父さん」
「……ああ。ジラのことなんじゃがな……これは、子供達には内緒にしておいてくれ……」
葬儀のざわめきに紛れてしまうほどかすかな、風に溶ける囁き。
「……ジラはのう……井戸に〝落ちた〟んじゃよ」
「え……!?」
その一言で、空気が変わった。
さっきまで聞こえていた話し声も、衣擦れの音も、急に遠のいた。
風すら止まり、チーシャの耳には自分の鼓動だけが響いた。
「頭を打っていた。転落による事故死じゃ……葬儀までに顔を整えるのに、コハンも苦労していた」
父の言葉を聞きながら、チーシャは無意識にジラの方へ視線を戻した。
……たしかに、よく見ればその顔には微かな歪みがある。
無理に整えられたような違和感。
穏やかに整えられた表情の下に、事故の痛ましい跡が見えた。
「そんな……井戸に落ちるなんて……ジラおじさんに限って……」
「ああ、ワシも信じられない。いくらボケているからと言って、何十年も井戸汲みをしていたジラが井戸に落ちるなど……」
2人の声は、微かに震えていた。
遠くでまた、鳥が鳴く。
その声が、どこか不気味なほど静かな葬儀の空気に、ひとすじの影を落とした――
『――そう、あの〝転落事故〟が全ての始まりでした』
――
――――
――――――
――昼過ぎ。
葬儀も終わり、静けさが村全体を包んでいた。
チーシャは喪服を脱ぎ、慣れた手つきで淡い橙色の衣を身に纏う。
黒い服に染みついた線香の匂いが、まだ部屋の奥に残っていた。
「それじゃあ行ってきます!!」
一足先に着替えていた少女が、弾けるような声を上げて玄関を飛び出す。
悲しみを振り払うかのように、いつもより大きな足音を響かせて。
「行ってらっしゃい、気を付けてね~!!」
チーシャは微笑んで手を振る。
だが扉が閉まり、外の声が遠ざかると、微笑みはすぐに薄れた。
部屋の中に残ったのは、静けさと、お香の名残だけ――
「――ふぅ……事故……か……」
小さく漏れた独り言。
けれどその声色には、僅かに棘のような不安が残っていた。
(いえ……本当にただの事故なのかしら……? もしかしたら、なにか良くない事が……)
頭の奥に、嫌な想像がじわじわと膨らむ。
けれど、首を振って打ち消した。
「いや、考えすぎか……」
自分に言い聞かせるように呟く。
気持ちを切り替えようと、チーシャはお茶を淹れる準備を始めた。
その時。
――コンコン。
玄関の扉を叩く音がした。
小さく、けれど異様に重い響きだった。
「はーい」
返事をして扉を開けると、そこには昼の光に照らされた駐在の姿があった。
先程葬儀で見たときよりも、どこか顔色が悪い。
「あら、駐在さん」
「……今、大丈夫か?」
「ええ、どうしたの?」
「ああ……それが……」
チーシャが問いかけると、駐在はしばらく言葉を探すように沈黙した。
やがて、苦虫を噛み潰したような顔で、低く告げる。
「また……〝死人〟が出た」
「え……ッ!?」
空気が凍りついた。
外から吹き込む風が、チーシャの頬を撫でる。
どこかで、ギイ……ギイ……と木が軋む音がした。
まるで村全体が、悲鳴を上げているようだった――
――
――――
――――――
『――あの〝転落事故〟から、村では次々と人が倒れていきました――』
「――えっ!!? 嘘……あの日から人が……っ!? だってミャー、そんにゃこと……っ!!」
手記を読み進めていた少女の声が、驚愕で揺らいだ。
けれど……あの日に覚えた〝違和感〟を思い出す――
『――てか〝コハン先生〟はどこだ? 院内にいなかったよな』
怪我した友人を見舞いに行った、あの診療所。
コハン先生も看護師も誰一人いなくて、院内が嘘みたいに静かだった。
嫌な沈黙。
誰もいない廊下。
足音ひとつしない白い空間――
『――あ~、老人達の家に行ったきり帰ってこねえな……また誰か死んだか?』
『おい! 不謹慎すぎるぞ!』
友人の軽口。
だがそれは、村でその時起こっていたことを言い当てていた――
――
――――
――――――
――駐在に案内され、チーシャは村の外れにある古い家へと向かった。
「嘘……でしょ……」
目の前に広がる光景に、足がすくむ。
診療所の医師コハンと、看護師達が――
大きな〝ナニカ〟を、ひとつ、またひとつと家の中から運び出していた。
どさり、と鈍い音を立てて、それは荷車へと積み上げられていく。
コハン達は疲れ果て、その表情は暗く張りつめていた。
その理由も……彼らが運んでいるモノの正体も、チーシャにはなんとなく〝理解って〟しまった。
だからこそ、認めたくなかった。
〝ソレ〟を荷車に積み終えると、コハンは額の汗も拭わず、チーシャのほうを振り向く。
「……チーシャか……」
「先生……これは一体……?」
声はかすれ、肩は小刻みに震えていた。
問いかけながらも、チーシャは頭に浮かんだ〝答え〟を、どうか否定してほしいと必死に祈っていた。
だが、コハンは荷車に視線を落としたまま、喉の奥から言葉を絞り出す。
「……亡くなっていた……〝3人〟もだ……っ!!」
「な……っ!!? 〝3人〟ッ!!?」
チーシャは思わず荷車へ駆け寄る。
そこに横たわっていたのは――
彼女もよく知る、村のお年寄り3人。
「っ……!!? なんで……おじいちゃん……おばあちゃん……っ!!」
皺だらけの手にも、優しく笑っていた顔にも、もう生気は残っていなかった。
その肌は乾いた土のような色へ変わっていた。
胸元には、見覚えのない赤黒い〝跡〟が、焼き印のように残っている。
「ああ……なんてこと……ッ!! こんな立て続けに……!!」
チーシャは口元を押さえた。
熱く込み上げてくるものが堰を切り、頬を伝って流れ落ちた。
駐在も、コハンも、何も言えなかった。
ただ立ち尽くし、彼女の震える肩を見ていることしかできなかった。
静まり返った家の前で、すすり泣く声だけが痛いほど響いた――
――
――――
――――――
「――そ、そんなことが……あの日、起こっていたのか……っ!!」
手記を読みながら、少女は思わず声を漏らした。
ページをつかむ指先が、じわりと汗ばむ。
けれど――記憶を辿れば、心当たりがまったくないわけではなかった――
(――そういえば……あの日の夕方……っ!!)
友達のお見舞いから帰ってきた時、母に言われた言葉が脳裏に蘇る――
『――今日から当分、家の外に出ちゃダメ』
(あれは村で……異変が起こってたから……っ!!)
今になって、母の言葉に隠されていた真実に、ようやく気づき始めていた。
だが手記は、更なる〝残酷な事実〟を静かに突きつけてくる――
『――ジラおじさんが井戸に落ちてしまった本当の理由。
そして、この村の人達の命を次々と奪ったモノ。
それらは全て、同じ原因だったのです――』
「――な……ッ!! なんだって……ッ!!?」
手記を握る少女の手が震える。
一体あの時、村に何が起こっていたのか……そして、現在の村の惨状へつながる〝正体〟が……
そこには記されていた――
――
――――
――――――
――荷車の前で泣き崩れるチーシャへ、静かな声が掛けられた――
「――チーシャや……これはきっと、〝偶然〟じゃない……」
「え……?」
老人の家の中から聞こえたしゃがれた声は、いつもどおり優しい。
だが今だけは、どこか鋭さと重みを帯びていた。
その声の主は――
「――お父さんっ!!!」
チーシャの父であり、この村の村長。
「ど、どういうこと……? 偶然じゃないって……」
縋るように問いかけるチーシャに、村長は一瞬だけ視線を伏せると、隣に立つ医師へと顔を向ける。
「……コハン。医者のお前から、説明してやってくれ……」
「ああ、わかった……」
コハンは静かに目を閉じ、深く息を吸い込む。
そして、ゆっくりと言葉を紡ぎ始めた。
自分自身にも、言い聞かせるように。
「チーシャ……この3人――いや、ジラを含めた4人を死に至らせた〝根本の原因〟は……同じモノだ」
「な……ッ!? すべて同じ!? なんで……それって……っ!!」
指先からじわじわと血の気が引き、胸の奥がきゅっと縮んだ。
ジラの転落死を告げられたときから残っていた、小さな違和感。
それが今、目の前の3人の死と一本の線でつながっていく。
(井戸に落ちたジラおじさん……赤黒い跡がある遺体……まさか……っ!!?)
「これって……何か……事件なの……っ!?」
「いいや……違う」
だが真実は彼女の予想を遥かに超えていた。
コハンの声は淡々としている。
けれどその静けさこそ、凍えるような現実を告げていた。
「これは人為的に引き起こされたことではない……連続する死、それを招いたのは……」
コハンは一度だけ口を閉ざし、目を細める。
沈黙が、かえって言葉の続きの重さを予感させた。
チーシャは固唾を飲む。
駐在も村長も、ただコハンをじっと見つめていた――
そして……彼はついに、真実を告げた――
「――村の外から持ち込まれた、〝病原体〟だ」




