第17話 “帰郷”
――空にはまだ夜の青が残り、東の地平だけがほんのりと朱く色づく頃。
夜明けの風を切り裂きながら、黒鉄の列車が、大地を進む。
ガタン……ゴトン……
鉄の車輪がリズムを刻み、朝の静けさに重く響く。
吐き出される白煙が高く昇り、淡い光にかすんで空へと溶けていった――
「――ゃん……ミーちゃん! 起きるネ!」
「……んあ?」
少女はおぼろげな意識の中で、自分を呼ぶ声に気づき、眠たげに瞳を開けた。
目の前には、いつの間にか開守の膝から降り、ひとりで席に座っている玲玲の姿があった。
「……えーと……あ。朝か……」
「あはは! 昨日はぐっすり眠れたカ! そんなに雲の肩は寝心地良かったアル?」
「あぇ……? ってわわ!!?」
「……」
言われて初めて、少女は自分が雲の肩にもたれかかって眠っていたことに気づいた。
彼は無言で何かに耐えるように、顔を伏せていた。
「ご、ごめんにゃ! ……苦しかったよな?」
「いえ、お気になさらずに……」
そう言いつつも、眼鏡の奥には、明らかな寝不足を物語る隈ができていた。
そんなやり取りをしていると……
「さあ、そろそろ下車の準備をしろ」
座席の後方から、すでに立ち上がっていた開守が3人に声をかけた。
どうやら彼と他の隊員達は、一足早く荷物の確認などを済ませていたらしい。
「……そうか……そろそろ着くのか」
少女は窓の外へ視線を向けたまま、小さく呟いた――
――もうすぐ、あの村に……かつて自分が育った場所に……たどり着く。
だが、胸の内には喜びなんてなく……じくじくと疼く痛みだけが広がっていた――
◆ ◆ ◆
――列車は途中、2回ほど補給をしながらも、予定通り〝ラクシャマ王国〟の駅に着いた。
調査隊は、大きな荷物を担いで列車から降り立った。
「ん~! やっと揺れない地面だにゃ~!」
「長旅ご苦労様アル!」
彼らの目の前に現れたのは、黄土色の広大な大地。
その中心には、色とりどりのタイルで彩られた駅舎が堂々と構えていた。
壁には幾何学模様と金の縁取りが施され、陽の光を反射して煌めいている。
「……久々に来たな、ここ」
〝ラクシャマ王国〟――その王都は、この大陸有数の交易都市。
湿った空気に混じるのは、香辛料と果実の甘酸っぱい香り。
遠い空からは、乾いた鳥の声が響いてくる。
屋台の鐘の音が、風に乗って微かに聞こえてくる。
「お? 来たことあるのカ?」
「ああ……村から出て、途方に暮れてた時に少しだけ滞在してたんだ」
「……そっカ」
駅を出てすぐの通りは、まるで迷宮のように入り組んだ石造りの商店街だった。
屋根の上にはサトウヤシの葉が葺かれ、土色の壁には花の模様や象のレリーフが踊っている。
どこからともなく鳴る鈴の音と小さな太鼓のリズムが、通りを陽気に包んでいた。
「軽く朝食をとったら出発しましょうか」
雲の言葉にみな頷き、彼らは食事をすることにした――
◆ ◆ ◆
――朝食を済ませると、調査隊の一行は荷物を馬車に積み込み、再び旅路についた。
王都を出てすぐ、赤土の大地に細い石畳がくねるように延びている。
南方諸国を繋ぐ交易路。
多くの旅人が利用する一方、魔物も多く出没する危険な道だ。
道の左右では、バナナのように巨大な葉が風に揺れ、葉裏からヤモリがぱちぱちと瞬きをしながら覗いている。
湿った土の匂いと、朝の気怠い熱気が混ざり合い、静かなはずの道にじっとりとした緊張感があった。
馬車は、赤土の交易路をしばらく進んでいった。
――その時。
パチパチッ……ピョン!!
まるで弾かれたように、樹上から〝ナニカ〟が跳ね落ちた。
火花を散らし、稲妻じみた残光をまといながら調査隊の中央へ飛び込んでくる。
「うわ!?」
「チョアァ!!」
反射的に玲玲が腰の剣を引き抜き、飛びかかってきた影を、一刀のもとに切り払う。
刃が風を裂き、火花とともに何かが地に叩きつけられた。
「ふ、副隊長……っ!! ありがとうございます……」
「不意を突かれたとはいえ、こんな低レベルのモンスターの攻撃食らっちゃダメアル」
倒れた影は、四肢を突っ張り、ピクピクッと震えていた。
それは……炎をまとったカエルのような魔物だった。
皮膚はぬらぬらと湿っているのに、その体からは焦げたような臭いが漂っていた。
その体をひくつかせる度に、小さな火の粉が散っている。
◆ ◆ ◆
【チリピョン】
〇分類:両生類型モンスター
〇ランク:《F》
〇レベル:3
〇所持スキル
〇基礎能力スキル
脚力《E》[パッシブ]
炎属性耐性《F》[パッシブ]
〇武技スキル
跳火《F》[アクティブ]
発光跳躍《F》[アクティブ]
誤爆ジャンプ《F》[アクティブ]
◆ ◆ ◆
「ほう……火花を散らしながら飛び跳ねるカエルですか。どうやら魔物の群れに遭遇してしまったようですね」
雲は冷静に、鑑定スキルで得た情報を周囲の隊員達に共有する。
次の瞬間。
木々の隙間で、先程と同じ火花がいくつも瞬き始めた。
パチッ、パチパチッ……ピョン、ピョンッ!!
チリピョン達が、木陰から弾丸のように飛び出してくる。
数匹どころではない。
あちらこちらで燃え移るように跳ねる影は、すぐに街道へ火花の雨を降らせはじめた。
(ひぇ……っ!! あれ全部こっちに来るの……!?)
少女は思わず足を引いた。
「うわ!? すっげ~数……こっちに飛んでくんにゃよ~……って、きたきた!!」
チリピョンの1匹が直線的に跳びかかってくる。
彼女はナイフを抜き……
「えいッ!」
腹部を横一文字に切り裂く。
火花が弾け、チリピョンは痙攣しながら地面へ転がった。
「お~! 意外とやるネ! ミーちゃん」
「まあ……一応レベルは7あるし……」
「へ~! 凄いじゃん!! 流石プロの冒険者だネ! とりゃァ!」
玲玲はまるで舞うように身を翻し、剣を縦横無尽に走らせる。
斬撃が旋風のように連なり、次々とチリピョンが吹き飛ばされていく。
「隊長、ここは私達に任せてください」
「ああ……頼む」
調査隊の面々もそれぞれの持ち場へ散り、滑らかな動きで迎撃を開始した。
跳ねるカエル、弾ける火花、走り回る隊員達。
少女も短剣に魔力をこめ、接近してくる敵へ踏み込む。
「てえやァッ!!!」
淡い光を宿した刀身が、チリピョンの柔らかな体を一息に裂いた――
――
――――
――――――
「――ふぅ……さあ! あとどれくらい……ってあれ……?」
少女が3匹目を倒した頃には、すでに周囲は静かになっていた。
跳ねる音も、火の爆ぜる音も、もう聞こえない。
「うん。あらかた片付けたヨ」
「初めて戦うモンスターだから、少々手こずりましたね」
玲玲と雲が、息も乱さず会話を交わしている。
視線の先には、あちこちに転がるチリピョンの亡骸。
そのどれもが綺麗に始末されていた。
(んな……ッ!? おいおい……雑魚モンスターとはいえ、あれだけの数をこんな短時間で片付けたのか……!!)
少女は戦慄した。
これが調査隊の実力――
自分とは比べものにならない、圧倒的な戦闘力。
(こいつら……ホントに、ただの〝調査隊〟なのか……? これほどの力が、〝調査〟に必要なのか……?)
彼女は、駅でのタイガと開守の会話を思い出す――
『――それは猫ちゃんの故郷を、〝荒らす〟ってことか?』
『場合によっては……な――』
(――〝荒らす〟って……一体……)
その言葉が、改めて重くのしかかってくる。
さっき目にした、容赦のない動き。
迷いなく斬り捨てられていく魔物の群れ。
(そんな山賊みたいに、村人の命を奪ったりなんかは……しない、よな……?)
自分でそう打ち消そうとした瞬間……心の中に、冷たい影がゾクリと広がった。
「しないはずだ」と言い切れない自分がいる。
「おーい! なにボ~っとしてるアルか? ミーちゃん」
「……」
玲玲の声が飛んでくる。
けれど少女の口は、すぐには動かなかった。
あの時、駅で覚えた違和感が、じわじわと形を持ち始める。
何かがおかしい。
けれど、それが何なのか、はっきりと掴めない。
真意を確かめる術も、彼らを止める力も――今の自分には、なかった。
やがて、チリピョン達の亡骸が片付けられ、馬車の車輪がごろごろと音を立てて動き出す。
赤土の街道を、再び一行が進み始める。
その列の中で、少女のしっぽだけが、どこか落ち着きなく揺れていた――
◆ ◆ ◆
――やがて木々が高くなり、葉は深く茂り始めた。
空の青さが、枝葉の重なりの奥にうっすらと滲むだけ。
さっきまで聞こえていたカエルの鳴き声も、いつの間にか聞こえなくなっていた。
その時。
先頭を歩いていた少女の足が、ぴたりと止まる。
「……あった。森だよ」
目の前には、どこか靄のかかったように輪郭のぼやけた森林地帯が広がっていた。
近づくにつれ、空気がひやりと変わる。
暑くもない、寒くもない――それでも隊員達は、体の奥がソワソワするような感覚に襲われていた。
馬車を引く馬も、落ち着かなげにいななき、何度も後ろへ下がろうとしていた。
草の葉がざわりと揺れたが、風は吹いていない。動物の足音も聞こえない。
「なんか……妙なオーラがする森アル」
玲玲の言葉に、周りの隊員達がうなずく。
「え、オーラ? ……ミャーには感じないけどな……」
少女が1歩、森の中へ踏み込もうとしたその瞬間――
ササッ――!
1匹のネズミ型のモンスターが、少女の足元をかすめて駆けていった。
だが、その小さな体は森の縁で進路を変え、中には決して入ろうとしなかった。
「あれ? モンスターが避けてる? ……まさか〝聖水〟でも撒いてるのか?」
「いえ……これはモンスターだけじゃなく、動物までも避けている……なるほど〝森気〟というものですか……」
静かに告げたのは、またしても雲。
どうやらまた〝鑑定スキル〟を使ったらしい。
「この森は、生き物が本能的に近づきたくなくなる〝気〟を発しているようです」
「やっぱりナ。な~んか入りたくなかったもン、この森」
少し顔をしかめながら、玲玲が雲の言葉に頷いた。
「……だから村には、滅多に人が訪れなかったんだな」
「けれど、あなたには効いていないようですね」
「……」
不思議と少女の目には、森の入口に一筋の陽光が差していて、彼女を迎え入れているように見えた。
その先には、静かな――けれど、どこか懐かしい気配が漂っていた――
(――もうすぐそこに……村がある……)
「……別に、入れないってことはにゃいんだよな?」
「ええ、少し抵抗感はありますが……」
「じゃあミャーにピッタリとくっついて来い」
少女は1歩、森の中へと足を踏み出す。
隊員達がその後に続き、馬車を引く馬も、御者に手綱を引かれながら、おそるおそるその後を追った。
湿った土の匂い。木々のざわめき。遠くの鳥の声。
目に映る全てが、記憶の中のままだった。
その景色は、歩みを進めるたびに村で過ごした日々を、否応なく呼び起こしてくる――
――
――――
――――――
『――バカ……心配したんだから……ッ!!』
『おかえり! 子猫ちゃん!』
抱きしめてくれた腕の温もり。
頭をくしゃくしゃに撫でる母の手。
それは確かに、あの頃の〝あたりまえ〟だった。
けれど、その記憶にも……今は別の声が、重なる――
――
――――
――――――
『――みんなとは……もう会っちゃダメ……ッ!!』
『――この村から、出なさい』
『――これからは……1人で……生きていきなさい……』
『――もう……無理なの……限界なの……この村は……ッ!!』
『――もうみんな……会えないのよッ!!!』
なつかしい景色も、あたたかな声も。
思い出そうとすればするほど、全てが濁っていく――
――
――――
――――――
――苦く、ねじれたものへと変わっていく故郷の思い出。
(楽しかった思い出も……笑いあったあの日々も……全部、憎しみに染まった……っ!!!)
握りしめた拳に、爪が食い込む。
しっぽが苛立たしげに左右へ大きく揺れ、歩みは次第に速く、荒々しくなっていく。
(……だから……だから問いただしたい……ッ!!
にゃんであの日、ミャーを牢屋に閉じ込めたのか……
にゃんであの日、ミャーを村から追い出したのか……!!)
歩く少女のその表情は怒りに染まっているようにも……そして――
(――問いただして……それで……!!! ……あれ……?)
その顔は――
(――それで……ミャーは……〝なに〟がしたいんだ……?)
――泣いているようにも、見えた。
村に対する、ぐちゃぐちゃの感情。
それは決して憎しみだけではない。
その〝想い〟が何なのかは、まだ分からない――だが少女は、村に辿り着く直前になって、その存在にうすうす気づいてしまっていた。
今の彼女には、言葉で説明できないモノ。
それを胸に抱えたまま、少女は調査隊と共に森の中を進んでいく。
だが、その〝想い〟は……一瞬で、崩れ去ることになる――
――
――――
――――――
「――にゃ……にゃんだよ……これ……ッ!!!」
「……っ!!」
目の前に広がる光景に、少女は絶句した。
調査員達も息を呑む。
「……にゃんで……にゃんで……」
そこは、彼女の故郷……ヤマモモ村があるはずの場所だった――
それなのに――
「――にゃんで村が……こんなにボロボロになってんだァッッ!!!!」
木製の家々は崩れ落ち、瓦礫と蔦が村の道を覆い尽くしている。
割れた窓枠には、色褪せた布が風もないのにふわりと揺れていた。
誰の手も入らぬまま、何年もの時だけが流れたようだった。
「まるで〝廃村〟……だな」
「……人の気配を感じないアル、これじゃあもう……」
「ふざけんなッ!! あいつら、村を捨てやがったのか!!?」
少女は怒声を上げ、今にも崩れそうな家屋のひとつに駆けこんだ。
「なんで……この村は、みんなにとって〝大切な場所〟じゃなかったのか……ッ!!!?」
叫びながら土埃を巻き上げ、家の中に飛び込む。
そして――
「――ならなんでミャーは追い出さ……っ!!!?」
その言葉が終わるより早く、少女の視線が、部屋の奥にある何かを捉えた。
次の瞬間……目を見開き、身体がこわばる――
「――うわああああああああああああああああああああああああァァァァアアアアアアアアアアアアアアッ!!!??」
その悲鳴は、村の隅々にまで響き渡った。
それは、恐怖や怒りだけでは言い表せない――
あまりにも突然で、理解の及ばぬ現実を突きつけられた、心の叫びだった。
「ど、どうしたアル!!? ミーちゃん!!!」
玲玲が慌てて駆け寄る。
彼女が少女の視線を追うと、その目にも異様なものが映った。
「あれ……? だ、誰かいるアル……?」
さっきは気配を感じなかったが、リビングの椅子に〝ナニカ〟が座っていた。
こんなに荒れ果てた村にもまだ住人が……?
そう思った玲玲だったが……
しかし、近づいて気づく。
「い、いや……違う……!! これは……っ!!!」
「あ……ああ……っ……なんだよ……これェ……!!!」
陽の差し込む窓際で、静かに椅子の背へもたれかかっていたそれは――
「――にゃんで……骨がァッッ!!!!!」
〝白骨化〟した、かつての村人の姿だった。
この村で暮らし、笑いあっていたはずの誰かの――確かな〝死〟が、そこにあった。
【〝森気〟について――】
ヤマモモ村を取り巻く森には、〝森気〟と呼ばれる独特の〝オーラ〟が漂っている。
これは樹木や草花が外敵から身を守るために発する揮発性の成分――いわゆる〝フィトンチッド〟に相当するもので、本来は菌や害虫を遠ざけるための天然の防御手段だ。
しかし、この土地に満ちる〝森気〟は特異であり、森の外からやって来た人間や動物、さらにはモンスターにまで作用し、嫌悪感や不快感を与える。
結果として外部の者は森を避け、ヤマモモ村は長らく外界から隔絶された秘境として存在してきた。
一方で、村の住人にとって〝森気〟は、むしろ心地よく感じられる。
現実世界の〝森林浴〟のように、疲れを癒し、心を落ち着ける作用をもたらすからだ。
こうして〝森気〟は〝外敵を寄せつけず、内側の人間を守る〟という二重の役割を果たしている。
そのため森の内部には独自の生態系が形成されており、村人は〝森気〟の恩恵を受けつつ、内部のモンスターと隣り合わせに暮らしているのである。




