第1話 “BET IT ALL, FIND ANOTHER WORLD”――冒険の始まり(前編)
――王都から少し離れた森の中。
ここは、低レベルモンスターばかりが棲む、いわば初心者向けの冒険地帯だ。
腕試しに訪れる新人冒険者や、素材集めを目的とした行商人。
あるいは、暇を持て余した者達が、気軽に足を踏み入れる。
そんな、平和の象徴のような森。
……そう。
普通ならば――
――
――――
――――――
――時刻は、陽が沈んでしばらく経った頃。
夜の森は静まり返り、風に揺れる葉擦れの音と、遠くの虫の声だけが、ひそやかに闇を満たしていた。
その静寂を、不機嫌な声が破る。
「はぁ……超絶ミスった。面倒なクエスト受けちゃったな……ゴロロロ……」
少女は小さなナイフを手元でくるりと回しながら、深いため息を吐く。
その喉からは、抑えきれない不満が滲むように、低い音が鳴っている。
その腰元には、根元が橙、先端にかけて白へと溶けていく、柔らかな〝しっぽ〟。
それは彼女の感情を映すかのように、ユラユラと落ち着きなく揺れている。
髪も同じく、右側は橙、左側は白。
2色が淡く混ざり合う髪が、夜風にふわりとなびいた。
右の前髪だけを器用に三つ編みにしており、そこだけが風に抗うように形を保っている。
頭に被った暗い赤茶色のフードは、〝猫の耳〟のように先端が尖っている。
「こいつらの〝レアドロップ〟を集めるクエストなんて、ミャーにはまだ早かったか……」
少女は足元に視線を落とす。
そこに転がっていたのは、ひらひらとした、一対の大きな羽を持つ――蛾。
淡く澄んだ蒼色の羽。
その縁は銀色に彩られ、月光を浴びるたび、ほのかな光を返している。
羽に刻まれた模様は、歪んだ三日月の形。くすんだ金色が、不気味なほど美しい。
――だが。
その胴体は、人間の頭ほどもあり、羽を含めた全体の大きさは、中型動物に匹敵する。
◆ ◆ ◆
【蒼面蛾】
〇分類:蛾型モンスター
〇ランク:《E》
〇生息域:朱円王国周辺の森林地帯、丘陵、街道沿いの林
〇活動時間:夕暮れ~夜明け(夜行性)
◆ ◆ ◆
王都近隣の森を騒がせている、れっきとした化け物だ。
少女の足元には、その蒼面蛾が十数体。
どれもが短剣で切り裂かれ、動かなくなっていた。
「はあ……これだけ倒したのに落ちないなんて……」
彼女は小さく唇を尖らせた。
そして、気持ちを切り替えるように大きく伸びをすると、夜の森に叫ぶ。
「こうなったら、やけ食いだ!!」
そう言い放つと、少女はリュックの口を大きく開いた。
中から保存食や調理器具を取り出し、がさがさと音を立てながら地面へ並べていく。
月明かりの下で始まるのは、少しだけ豪華で――そして、少しだけ寂しい晩餐の準備だ。
◆ ◆ ◆
たき火にかけられた鍋の中で、シチューがコトコトと音を立て、白い湯気が夜空へと溶けていく。
<スキル使用:料理《E》>
「幸い、食料には余裕がある。てかこの距離なら、いざとなったらすぐに王都に戻れるしな~」
少女は手持ちの食料のほとんどを使い、たっぷりのシチューを作っていた。
それは、後先を考えない食料の使い方だった。普段の彼女なら、まずしない。
踏んだり蹴ったりの日々が続き、心は自覚していた以上に疲れきっていたのだ。
彼女はそのもやもやを、シチューにぶつけていた。
「よし……う~ん! いい匂い!! ……さてと、飲み水でも汲んでくるかな……」
鍋から立ちのぼる香りにうっとりと鼻を鳴らし、少女は腰を上げた。
ぱちぱちと燃えるたき火を背に、暗い森の奥へと歩き出す――
◆ ◆ ◆
――森の少し開けた場所。
そこには、月明かりを映すように静かに揺れる湖が広がっていた。
風ひとつなく、水面は鏡のように澄んでいる。
少女は湖の周囲をゆっくり見回した。
……聞こえるのは、自分の呼吸と、遠くの虫の声だけ。
「……モンスターは……いなさそうだな」
短く呟き、警戒を解ききらないまま水辺へ近づく。
――だが。
そんな少女を、〝水の中〟から見つめる影があった。
(――ヒ……ト……?)
水底の闇に沈む虚ろな瞳が、岸の少女を捉える。
それはゆっくりと、ゆっくりと。
音も波紋も立てぬまま、水面へと近づいていった――
◆ ◆ ◆
「――よいしょっと。森の中に水場があってよかった」
彼女はリュックから、小さな桶を取り出し、湖畔にしゃがみ込む。
その動きに合わせ、暗い赤茶色のケープがふわりと開いた。
下に着ているのは、アイボリーを基調とした動きやすいワンピース風の服。腰回りは黒いコルセットで固定され、すらりと伸びる脚は、黒いスパッツに包まれている。
重そうな防具はなく、素早さを重視した軽装だった。
「綺麗な水だにゃ……」
月明かりを受けた水面は、冷たく透き通っていた。
指先を伸ばす。
ひやりとした水に触れた――
――その瞬間。
ガシィッ!!
「……へ?」
冷たい〝ナニカ〟が、腕をつかんだ。
思わず彼女は目を見開く。
その視線の先――
――水面を割って現れたのは、青白くやつれた顔。
泥と藻をまとった何者かが、頭からずるりと這い出てくる。
その青く不気味に光る瞳が、真っ直ぐ彼女を射抜いた。
「タス……ケテェ……ッ!!」
どろりとした水を垂らしながら、アンデッドじみた生き物が呻いた。
「ぎ……ぎやあああああああああああああああああああああああああああああああッ!!!!???」
少女の悲鳴が、森の中に木霊した――
◆ ◆ ◆
――そして、再びたき火の前。
「ムスッ……ゴロロロロ……で? おミャー、湖でにゃにしてたんだ?」
少女は頬をふくらませ、不満そうに喉を鳴らす。
まだ幼さの残る顔立ちとは対照的に、目元は意外なほど鋭い。
その瞳をさらに細め、湖から這い出てきたアンデッド――にしか見えなかった〝少年〟を、じろりとにらみつける。
目尻には、先程の恐怖を物語る涙の跡が残っている。
「あはは……すこし……道に迷って……そんでフラフラしてたら……足を滑らせて、湖に落ちちゃって……」
ずぶ濡れの少年は力なく、けれどどこか呑気に答えた。
ぎゅるるるるるるるるるるうゥ……!!
ぐるるるるるるるるるる……
だが、そう答えている間も、彼の腹は食べ物を求めて鳴り続けている。
「溺れてるところを……助けてくれて、ありがとう……」
「いや助けたってか、おミャーが掴まってきただけだろ」
少女は深いため息をつき、もう相手を追及する気力すら失っていた。
木の皿とスプーンを手に取ると、鍋からシチューをよそう。
<完成:猫のやけ食いシチュー《E》>
「あ……うまそォ~……!」
「……やらねェからな……」
つれない言葉に、少年の顔が絶望の色に染まった。
「そ、そんな……!? お、お礼ならするから、お願い!!」
「ふん! 見知らぬヤツとの口約束にゃんて信用できるか」
旅の途中、道端で倒れている人に下手に関わるな。
冒険者の間では常識だった。
少年に目もくれず、彼女はシチューをすくって口元へ運ぶ。
熱い湯気が鼻をくすぐり、ふうふうと息を吹きかける。
「うう……このままじゃ死んじゃうよォ……」
「そんなの、ミャーの知ったことじゃにゃい。てか、こっちは勝手についてきて迷惑して――」
(――このままじゃしんじゃうよォ!!)
「……ッ!」
その時、彼の言葉が、少女の記憶の底に沈んでいた声と重なった――
――
――――
――――――
――暗く、冷たい地下牢。
かすかな灯りのもと、小さな少女が独り、壁際にうずくまっていた。
ぎゅるるるるるるるるゥ……
(おなか……へった……)
――そして、夕食の時間。
出されたのは、水だけがたっぷり入った大きなコップと、小さな乾いたパン1個。
『え? これだけ……?』
『ま、待って!! ミャー、もうずっとおなかペコペコで……!!』
『このままじゃしんじゃうよお!! まってェ!!!』
涙を流し懇願するが、その声はむなしく地下の闇に消えていった――
――
――――
――――――
――パチパチと音を立てるたき火の明かりの中。
少女は無言で火を見つめていた。
(……そうだ。誰も、助けちゃくれなかった。たとえ子供が飢えていたとしても――それがこの時代の〝摂理〟なんだ……)
ぐぎゅるるるるるるるるるうううゥゥゥゥ!!
ぐるるるるるるるるるうゥ……!!
少年の腹が、再び大きく鳴った。
今度はその音が、やけにはっきりと耳に響いた。
「……ッ! うるさい!! 飯はやらないって言ったろ! どっかいけッ!!」
少女は小さな八重歯をむき出しにして、声を荒らげた。
「ご……めん……もう、動くだけの、HPもないや……」
自分とそう変わらない、小さな身体。
少年は弱々しく、地面に突っ伏している――
少女は拳を握りしめて、唇を噛んだ。
「~~~~~~~ッ………………もうッ!!」
ばっ! とリュックを乱暴にあさり、木の皿をもう1つ取り出す。
そして、目の前のシチューを勢いよく、よそい始めた――
~あとがき~
【モンスター図鑑】
【蒼面蛾】
〇分類:蛾型モンスター
〇ランク:《E》
〇生息域:朱円王国周辺の森林地帯、丘陵、街道沿いの林
〇活動時間:夕暮れ~夜明け(夜行性)
〇所持スキル
〇基礎能力スキル
麻痺耐性《E》[パッシブ]
夜目《F》[パッシブ]
〇技能スキル
飛行《F》[アクティブ]
群飛《F》[オートトリガー]
警戒声《F》[オートトリガー]
〇武技スキル
シビレ粉《F》[アクティブ]
胴体だけで人の頭ほどの大きさを持つ、大型の蛾型モンスター。
羽は澄んだ蒼色を基調とし、縁は銀色。月光を浴びると淡く光る。
模様は少し歪んだ三日月型で、くすんだ金色をしている。
羽を畳んでいる間は幻想的で美しい。
目を細め、口を閉じていると〝幻獣〟にも見える。
しかし――
目を見開き、口を開いた瞬間、人の顔を醜悪に歪めたような、怪物の顔が露わになる。
単体での戦闘能力は高くない。
しかし、危険を察知すると叫び声を上げて仲間を呼ぶため、数が揃うと厄介な〝初心者殺し〟となる。
冒険者の間では「1匹なら雑魚、2匹で注意、3匹で逃げろ」と言われている。




