第14話 “かくごのうえ”
――そして現代。
《龍煌驛》のホーム。
吹き抜ける風が、少女の髪を揺らしている。
「……故郷のことはごめん。きみを傷つけた」
タイガは、静かに頭を下げる。
少女の過去なんて、もちろん知る由もない。
けれど、自分の言葉が彼女の心に深く突き刺さったことは理解した。
「……でも、キミにとってどんな場所だったとしても――」
タイガは一歩、前に出る。
言葉に、熱がこもる。
「――こいつらが暴れるのを、黙って見過ごすわけにはいかない……!」
「な……!? この期に及んでまだ……っ!!」
動揺が走る。
ここまで言っても、引こうとしない彼の姿に、彼女が必死に抑えていた感情が、ついに限界を迎えた。
再び口を開く少女。
魔力が滲み出す。
その感情は――怒りではない。絶望でもない。
それは、痛みだ。
(こんな奴に……にゃにがわかる……!! ミャーの味わった裏切りも、孤独も……!!)
叫びと共に、魔法が放たれる。
「『ヒューサ』ッ!!」
空気を裂く鋭い突風。
真っ直ぐタイガの身体を狙い、圧縮された風の塊が押し寄せる。
「ぐ……っ!! うわぁッ!?」
彼は必死に踏ん張るも、その身体は軽々と吹き飛ばされた。
ドカッ!!
空中で弧を描き、勢いそのまま駅のホームの壁に叩きつけられる。
「ぐは……っ!!!」
乾いた音が響き、タイガは壁から崩れ落ちる。
「く……! ダメだよ……!! 猫ちゃん……!!」
膝をつきながら、それでも立ち上がろうとする。
唇を噛み、視線をまっすぐに少女へ向ける。
「……まだ立ち上がるか……! そりゃそうか……なら……っ!!」
彼女は両手の爪を突き出すように構える。
シャー!! と威嚇する獣のように、その体を――
「――待て」
その瞬間、2人の間に鋭く割って入った声が響いた。
それは〝王国調査隊隊長〟開守の声だった。
「……少年よ、なぜそこまでして首を突っ込んでくる? キミは何か、この少女の故郷と関わりがあるのか?」
「いや、ないよ」
タイガは即答した。
ためらいもなく、まるで「あるわけないじゃん」とでも言いたげな顔で。
だが……その目はまっすぐだった。
自分の立っている場所、目の前にいる少女、そしてその向こうにある〝心の痛み〟から、一切目を逸らしていなかった。
「ならなぜだ。キミには関係ないだろう、例えその村が荒らされても……」
「関係なくないよ。誰かが傷つくかもしれないんだ……なら、ボクは全力で止めなきゃ……!!」
その言葉は静かで、柔らかくて、それでも……どこまでも強かった。
(にゃんだよそれ……!! それじゃあまるで……)
「まるでヒーローだな……少年よ、キミの目的はなんだ?」
「目的って……別にボクはただ……」
肩の力を抜いたような声。
だがその目は、遠く、誰よりも高い場所を見ていた――
――そして……彼は迷いなく言い放った――
「――〝勇者〟になりたいだけだけど?」
一瞬、空気が止まった。
そして――
「「「ハアッ!!!?」」」
静寂を破って、調査員達の驚愕が重なり合う。
張り詰めていた場の空気が、一気に弾け飛んだ。
「な……ッ!!?」
少女も、思わず息を呑んだ。
「……〝勇者〟……ですか……」
「こいつ……その言葉の持つ意味を、知らないんだナ……」
副隊長の2人も顔を見合わせる。
呆れ、驚き、困惑……すべてが混ざった眼差しで、しかし目を離せない。
隊員達も、それぞれ違った反応を見せていた。
信じられないと言わんばかりに眉をひそめる者。
かすかな笑いを漏らす者。
そして……真顔で息を飲む者。
〝勇者〟という単語。
それはこの世界では伝説であり、願望であり、祈りであり……
同時に、あまりにも重く……遠い理想。
それを、目の前の小さな少年が、何のためらいもなく宣言したのだ。
「……ほう……」
開守は腕を組み、じっとタイガの瞳を見据えた。
その眼差しは試すようであり、探るようであり、同時にどこか興味深げだった。
彼もまっすぐに、その視線を受け止めていた。
「……おミャー……ふざけるのもいい加減にしろよ……!!」
その時、少女が怒りに震える声を上げた。
「〝勇者〟になるってことは……!! 〝魔王〟を倒すってことだろ……ッ!!!」
「そうだね。ボクは〝魔王〟を倒して〝勇者〟になるつもり」
タイガは冗談でも皮肉でもなく、ただ〝当然のこと〟として答えた。
「おミャー……〝魔王〟がなんなのかわかってるのか!!?
〝魔王〟ってのは〝魔族の王〟であり〝全てのモンスターを支配する者〟!!
それを倒すってことは……
〝この世の全ての怪物〟が、おミャーの敵になるってことだッ!!!!」
「そっか。やっぱ強いんだね、魔王は」
(こいつ……っ!!)
あまりにも軽すぎる返事に、思わず奥歯を噛みしめる。
「絶対に無理だ……!! 死ぬぞ……っ!!!」
「そんなことない! なろうと思い続ける勇気さえあれば、どんなモノにだってなれる!!」
「!!!」
(こいつ……本気で言ってるのか……?)
夢想家のような言葉。
だがタイガの青い瞳には、迷いも恐れも映っていない。
「……まあ……それにボク、もう〝1回死んでる〟し。死ぬのは〝かくごのうえ〟だよ」
「え……?」
さらりと口にしたその一言は、さっきまでの能天気さと、まったく噛み合っていなかった。
(どういうこと……?)
その意味を、少女にはまるで掴めない。
だからこそ――ぞくりと背筋が冷えた。
そんな彼女の戸惑いをよそに、タイガはいつもの呑気な調子で続ける。
「でも倒せると思うんだけどな~。魔王、そんなに大変かな?」
「……それが出来なくて死んでいった英雄が、何人いると思っている……!!」
黙って聞いていた開守が、ついに低く重い声で口を開いた。
「〝魔王〟が簡単に倒せるなら、我々のような〝勇者の装備〟を探す専門調査隊も必要ないんだがな……
というか、〝勇者〟が目標なら、なおさら我々の活動の邪魔はしないでもらいたいんだが?」
「うん? どうして?」
タイガは首をかしげた。
「……我々は〝魔王〟を倒す英雄のために、〝勇者の装備〟を集めているのだ。
キミもそれを目指すなら、我々と敵対する理由はない」
「……でも、それで村の人達が傷つくかもしれないんでしょ?」
呑気だった声が、そこで少しだけ低くなった。
真剣な目で、開守と向き合い……その場の全員に告げる。
「それをほっとくのは〝勇者〟じゃない……!!」
「……ふん。綺麗ごとだ……」
開守はそこで初めて、タイガから視線を外した。
そしてわずかに鼻を鳴らす。
「……にゃんだよ……っ!! さっきからおミャー……あんな村の奴らに……!!」
「そうだ、まだ話が済んでなかったね」
タイガは少女の方へと向き直る。
「いいよ。文句があるなら全部受け止める……ッ!!」
「言ったな……ッ!! なら……!!!」
彼女の手の中で、風の魔力が渦を巻く。
「何度でも吹き飛ばしてやる!! 『ヒューサ』‼︎」
ゴオオオオオオウッ!!
突風が唸りを上げ、まっすぐタイガを打ち据えた。
「そう何度も……うわあッ!!?」
再び吹き飛ばされるタイガ。
だが今度は違った。
「くそ……っ!! また壁に打ち付けられてたまるかァ!!」
反転しながら体をひねり、タイガは宙で姿勢を変える。
ドンッ!!
その足が、壁にピタッとマグネットのように〝着地〟した。
「な……!!」
そして、まるで地面を踏むように、壁を蹴った。
「よっと!」
跳ねるようにタイガは飛び、ホームの床へ軽やかに降り立つ。
「へへ! どんなもんだい!!」
「く……にゃまいきなやつ……!」
少女は軽く舌打ちをすると、もう一度タイガに向け腕を突き出す。
そして次の一手を考えるように、ホームの片隅をちらりと見た。
「壁にぶつけられないなら……っ!!」
「お? なんだ? もう風の魔法は……」
少女の掌に、ひりつく魔力が集まる。
撃つと見せかけて――その瞬間、彼女は地を蹴った。
横へ。
タイガの反応速度を上回る、一瞬の踏み込み。
爪を弾くような鋭いスタートダッシュで、彼女の体は弾丸のように側方へ飛び出した。
「えっ!!?」
「落ちろ!! 『ヒューサ』ッ‼︎」
真正面からではなく、横から叩きつける暴風。
タイガには、構える暇さえない。
ビュオオオオオオオッ!!
「おあああああァッ!!?」
次の瞬間、タイガの小柄な体は、風に飛ばされる落ち葉のようにホームの縁へ――
ドボオオオォンッ!!!!
そのままホームの端に広がる、巨大な湖へ真っ逆さまに落ちていった。
「がぼ…ぶはっ!! おご……!!」
ばしゃばしゃと水面を叩きながら、タイガが必死にもがく。
「がば…ば!!! だれか…助け……!!! ブクブクブク……!!!」
「……はあ……はぁ……っ!! ……そうか、おミャー泳げねェのか」
少女は肩で息をしながら、湖を見下ろす。
しばらくその様子を眺めていたが、やがて目を逸らすと、背を向けて調査員達の元へと歩き出した。
「ね、ねごぢゃ……がぼ……っ!! まっで……!!!」
「……勝負あったにゃ。悪いな、騒がせた」
「いいや……変なやつに付きまとわれて、キミも大変だったろう」
開守も湖をチラッと見るが、すぐに無関心を装って歩き出す。
「おご……!! ゴボォ……!! まだ……おぼ……ォ……」
水音と共に、タイガの叫びが泡になって消える。
バシャ……バシャ……
やがて泡が途切れ、タイガの声も、その姿も、水の底へ引き込まれていった。
そして。
静寂――
――湖面から、最後の波紋が消えていった。
さっきまでの騒ぎが嘘のように、風も声も止まる。
ただの……静かな、湖。
ひとりの少年がそこにいた痕跡すら、なくなったようだった。
「……これ、人殺しになっちゃうのかなァ……」
少女のつぶやきに、黒い笑みを浮かべて開守が答える。
「いいや、気にすることはない。ただの事故だろう、少なくとも書類上ではそう処理する」
「……」
その言葉に、少女は背筋が寒くなった。
彼女は何も言わず、ただうなずいて、彼のあとを追った。
「え、えと……一応もう列車は、いつでも出せます」
騒ぎが収まったのを見計らい、整備士がホームの影から顔を出す。
さっきまでの一部始終を見ていたのだろう。その表情にはまだ恐怖の色が残っていた。
「そうか、ご苦労。それじゃあ全員、列車に乗り込め!!」
開守の号令で、調査員達が次々と車内へ消えていく。
誰も、もはや湖のほうを振り返らなかった。
――車輪がきしむ音。
――蒸気の吹き出す重い唸り。
――連結器がつながる金属音。
準備は整った。
「それでは調査隊、行くぞ!! 行く先は……〝ヤマモモ村〟だァ!!!」
ポッポォオ――――ッッ!!!
汽笛が鳴る。
その音は、王都の冷えた空気を突き破り、遥か彼方まで響いた。
ゆっくりと、しかし力強く、鉄の車輪が動き始める。
機関車の重たい車体が、ガタン、ゴトンと音を立てながら前へ進み、徐々に加速していく。
駅のホームが遠ざかる。
そして、あの静かになった湖も。
ひとりの少年が沈んだ水辺を、列車はゆっくりと後にした。
~あとがき~
第15話は明日の20時10分に投稿です。
第1章完結まで毎日投稿中!!
初級風属性呪文『ヒューサ』について――
主な適性職業:魔法使い/僧侶/盗賊/遊び人/聖騎士/賢者
魔力を体の前方へと細く、鋭く通し、空気の流れを一瞬だけ歪ませることで、術者の掌より突風を放つ。
威力自体はささやかなもので、強靭な魔獣を傷つけるには適さない。
しかし、不意を突く攻撃や間合いの調整、敵の体勢を崩すには優れた効果を発揮する。
古い魔導書の一節には、こうある。
「風の精霊は、乱暴者にはそっぽを向くが、遊び心ある者には微笑む」
ヒューサとは、単なる初級呪文にあらず。
それは〝風と対話する第一歩〟であり、冒険者の旅立ちを告げる最初の一吹きでもあるのだ。




