第13話 “ひとりぼっちの夜明け”
――朝の地下室。
闇と沈黙に染まった空間で、少女はひとりきりだった。
簡素なベッドの上で膝を抱え、体を丸めて横たわっている。
冷たい空気が、石の床から静かに這い上がってくる。
けれど……その寒さは、気温だけのせいではなかった。
(……さむい……おなか、へった……)
思考はもはや、言葉としてまとまることさえ難しくなっていた。
何も考えられない。ただ、いつものように時間が過ぎるのを待つだけ。
ガチャリ。
もはや耳慣れてしまった、鉄の扉の音。
ただ、今日は少しだけ……いつもより早い時間だった。
「……おかあさん?」
扉の向こうに立っていたのは、母チーシャだった。
その背には、大きなリュックサック。
「立って、子猫ちゃん……ここから出るわよ」
「……え?」
すぐには意味を理解できなかった。
けれど、次の瞬間――
ガチャ。
母の手が鉄格子の扉を開けた。
数週間ぶりの……自由……
……だというのに。
「…………」
心は、何ひとつ動かなかった。
安堵も、歓喜もなかった。
冷たい空気が肌を撫でる。
差し込む光が、鈍く白くて、目が痛い。
少女の足取りは、おぼつかない。
母に手を引かれながら、彼女は久々に地上へと戻っていった――
――
――――
――――――
――曇天。
重たい雲が村の上空を覆い、陽の光を遮っていた。
日は出ているはずなのに、空はどんよりと薄暗く、地面さえもくすんで見える。
村の様子はどこか……おかしかった。
かつて慣れ親しんだ家々はそのままに。
人の姿は、どこにもなかった。
静まり返った村。
窓はすべて閉じられ、扉には鍵がかかり、まるで誰も住んでいないかのように、人の気配が消えていた。
「……にゃんで……誰もいないの……?」
「……」
母は何も答えない。
そんな姿を見て、少女の中に浮かんだ答えは……
(……隠れてる……ミャーのこと、避けてるから……)
みんなが、自分を避けている。
まるで〝異物〟を目にしたくないかのように。
少女の胸に、ゆっくりと重たい感情が積もっていく――
――そして。
「……え? ……ここは……」
辿り着いたのは、少女の家ではなかった。
向かった先は……村の外れ。
木々のざわめきが遠くから聞こえる、森の入口だった。
「……ねえ、おかあさん。ここ……なんで……?」
「…………」
しかしチーシャは答えず、無言のまま、背負っていたリュックを降ろす。
そして少女の胸元へ、そのリュックが押しつけられる。
ズシリ。
重い。
「……なに……これ……」
問いに返ってきたのは……
たった一言――
「――この村から、出なさい」
「……え……?」
耳に届いたはずの言葉を、頭が拒絶する。
そんなはずがないと、心が必死に否定する。
「な、なんで……? なんでそんなこと……っ!!」
少女の目に、じわじわと涙が浮かぶ。
まるでこの世に、ひとりだけ取り残されたような気分……
「ねえ……ミャー、なにか悪いことしたの……? なんで……なんで独りで行かなきゃいけないの……?」
小さな手で、チーシャの服のすそをつかむ。
震える声で懇願する。
「……いやだよ……ミャー、いやだ……! ずっとこの村に居たいよ……っ! おかあさん……!!」
けれど、チーシャの体は全く動かない。
目を伏せたまま、まるで石像のように。
「……これからは……1人で……生きていきなさい……」
その声は、あまりにも冷たかった。
少女の心を貫く刃のように、容赦なく、残酷だ。
「やだ……やだぁ……っ!! もう勝手に村の外に出ないからァ……!!!」
少女は泣きながら、崩れるようにチーシャにしがみつく。
「ごめんなさい……っ!! 家から抜け出してごめんなさい……!!! 地下室でご飯に文句言ってごめんなさい……!!!
おかあさんの大事にしてた花瓶割ってごめんなさい……!!! 村の秘密の倉庫に入ってごめんなさい……!!!
これからは、おかあさんの言うこと……みんなの言うこと、全部ちゃんと聞くからぁ……っ!!」
言葉は涙に濡れて、ぐちゃぐちゃになっていた。
それでも少女は、思いつく限りの謝罪を絞り出した。
心の奥から引っ張り出した〝悪かったこと〟――それらをすべて、必死に並べて、母の愛を取り戻そうとした。
だが――抱きついたチーシャの体は少女以上に冷たく、震えていた。
「……もう……無理なの……限界なの……この村は……ッ!!」
「限界……? にゃんで……それって……」
(ミャーを、この村に置いておくことが……?)
少女は、残酷な結論にたどり着く。
この村は、もう彼女を受け入れられない。
存在を、認めることさえ出来ない……そう言っているようだった――
――みんな、あんなに優しかったのに……
かつての笑い声。
子供達と遊んだ日々。
村人達と交わした、何気ない挨拶。
すべてが少女の胸の中で、音を立てて崩れ落ちていく。
温もりに満ちていた記憶が、今や苦く、痛く、冷たいものに変わっていく――
「どうじでェ……どうじでェ……ッ!!!」
涙と嗚咽が混じった叫びが、森に吸い込まれていく。
「……ッ……!!」
チーシャは震える声を押し殺し、拳を固く握りしめた。
そして――
「――もうみんな……会えないのよッ!!!」
ドンッ!
小さな身体が、跳ね飛ばされる。
「あうッ!!?」
抱きついていたチーシャに突き放され、少女は地面に尻もちをついた。
「……え……あ……おかあ……さん……?」
打ちつけた衝撃よりも、心の痛みのほうがはるかに大きかった。
「……おとうさんにも……シヤ君にも……みんな……みんなもう……ッ!!」
「え……?」
チーシャが口にしたのは、少女が村の中でも特に親しくしていた人達の名前だった。
(にゃんで……みんにゃあんなに一緒だったのに……
もうミャーとは……会いたくないってこと!!?)
「ううううゥ……!!! うええええェ……っ!!」
堰を切ったように、幼い顔がぐしゃぐしゃに崩れていく。
涙が頬を伝い、あごからボタボタと地面に落ちていく。
「にゃんだよォ……!! にゃんで……みんにゃァ……ッ!!!」
悲しみ、怒り、裏切られた痛み。
どれがどれなのか分からない。
全部が混ざり合い、胸の奥でぐちゃぐちゃに渦を巻く。
「はァ……はァ……っ……!!」
チーシャもまた、少女を突き飛ばした衝撃に耐えられず、その場に崩れ落ちていた。
肩で息をしながら、うわずった声で叫ぶ。
「はやく……!! 行きなさい……ッ!! 森を抜けて……街道を東に半日近く歩いたら……町がある……!!!」
「……ばか……バカァ……ッ!」
少女の口から、思わず恨み言がこぼれ落ちる。
本当は言いたくないのに、止まらない。心が暴れている。
「行きなさい!!! ミヤ――!!!」
「おかあさんのバカあ"あ"あ"あ"ああああああああああああ"あ"あ"ァ"!"!"!"!」
母の言葉を遮り、彼女は全身で叫び返す。
その声は、ひっくり返って、割れて、もう言葉の形すら保っていなかった。
次の瞬間――
少女はリュックを抱え、地を蹴った。
涙で視界がぐにゃぐにゃに歪む中、ただ森へ、森へと駆け出していく。
「う"わ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あああああああ"あ"あ"あ"あああ"あ"あ"ああああああ"あああァ!!!!
あ"あ"あ"ああああああああ"あ"あ"ああああああああああああああああ"あ"あ"あ"あああああああ"あ"あ"あ"ああァ"ァ"ッッ!"!!!」
その悲痛な叫びが、曇り空の森に吸い込まれる。
冷たい風が木々を揺らし、枝葉がざわざわと鳴った。
背後へ遠ざかっていく村は、誰の手も触れていないというのに、ひっそりと幕が下りていくように見えた。
あれほど賑やかだった村。
笑い声で満たされていた毎日。
温かい食卓。
寄り添って眠った夜。
そのすべてが、風にさらわれる砂のように遠ざかっていく。
小さな背中は、やがて木々の影へ溶けていった。
曇り空の下、無人となった村には、ただ静寂だけが残る……
こうして少女は……独りぼっちになった――
~あとがき~
第14話は明日の20時10分に投稿です。
第1章完結まで毎日投稿中!!




