第11話 “隔離措置”
――風の音も耳に届かないほど、少女はひたすらに走っていた。
木造の小屋を背に、道を駆け下りていく。
脳裏を駆け巡るのは、さっきの言葉――
『――あの子達、まだ怪我が治るのには時間が掛かるって……思ったより重症なんだって』
『だから……もう少しだけ……もう少しだけ家に――』
――それなのに。
病院の門をくぐった瞬間、それは嘘だったと分かった。
ちょうどその時、子供が3人、病院の玄関から並んで出てきていた。
腕や足にはまだ包帯が残っているものの、ギプスはすでに外され、自分の足で歩いていた。
その光景を見た瞬間、胸がズキッと痛んだ。
「や……やっぱり、退院してるじゃにゃいか……!!」
震える声が自然と漏れる。
でも、込み上げてきたのは怒りよりも……寂しさだった。
(どうして、こんな嘘を……)
もしかして、あのまま自分を閉じ込めて、みんなから遠ざけるつもりだったのか。
胸の奥が、じわじわと冷たく沈んでいく。
……けれど。
(い、いや……おかあさんも、きっと知らなかっただけにゃ……!
こいつら、意外とタフだし、予定通り退院できたんだって……そういうことだ!!)
黒く染まりそうな心を、少女は必死に振り払う。
強引にでも、思考を希望のほうへ引き戻さなければ、足がすくみそうだった。
ぎゅっと拳を握りしめ、友人の前へと駆け寄る。
「……お、おいっ! おミャーら、久しぶりじゃにゃいか!」
努めて明るく、いつも通りの口調で声をかける。
だが――
「………………」
返ってきたのは、予想外の沈黙だった。
3人とも、少女に気づいたはずなのに……ぴたりと足を止め、目を伏せたまま動かなくなった。
「え……お、おい! どうしたんだよ!」
動揺を押し隠しながら、それでも少女は言葉を続ける。
「にゃ、にゃんだよ……しばらく見舞いにこなかったから怒ってるのか~?」
それでも、沈黙が続く。
心なしか友人達の顔には、どこか生気がなかった。
「お、おい……ホントにどうした? まだ調子が悪いのか? ……あれ、てか〝サビ〟はどこに……」
彼女が一歩近づいた瞬間……少年のひとりが、小さく口を開いた。
「今は……話しちゃ〝いけない〟んだ……ッ!!」
「……え?」
その一言で、少女の心が……音もなく揺れた。
(〝いけない〟……? なにが……?
誰と? 誰が? どうして?)
――だけど。
意味を咀嚼する前に、心の底にストンと落ちてきたのは、たったひとつの結論だった――
(――ミャーと、話しちゃいけないってこと……?)
視界がぐらりと歪んだ。
世界が傾く。
「にゃ、にゃにそれ……どういうこと……? なんで……なんで話しちゃいけないんだよ……ッ!!」
震える声で問いかけても、友人はやはり黙ったまま。
まるで少女だけがそこにいないかのように、彼らの目線はその姿を避けていた。
胸の奥がきゅっと苦しくなった。
そして――
突然ボソッと背後から聞こえた声が、彼女の思考を完全に止めた。
「……なぜあの子だけ……そうか。あの子は、〝外から来た子〟だからか……」
振り向くと、病院の門のそばに、ひとりの男が立っていた。
年齢は少女の母と同じくらい。
その顔には生気がなく、目だけが虚ろに少女を見つめていた。
「…………ッ!!」
言葉を失った。
そのつぶやきが何を意味するのか、正確には分からない。
けれど――その言葉だけは、ひどく胸を抉った。
(〝外から来た子〟……だから?)
分け隔てるような、まるで異物を見る目。
(あの子だけって……どういうこと……)
動いてもいないのに、その視線だけがジリジリと少女を追い詰めてくる。
その目が怖くて、苦しくて――
だが、それ以上に怖かったのは……
今しがた目を逸らした友人までもが、同じ目で自分を見ていたのではないかという……そんな考え。
(いや……ちがっ……ちがう……みんにゃは、そんなこと……!!)
違うと思いたいのに、頭の中にこびりついた『話しちゃいけない』が離れない。
視界が滲み、呼吸がうまくできなくなってくる。
「うぅ……ッ!!!」
少女は、思わずその場から駆け出した。
「あッ!! 化け猫!!」
友が咄嗟にあげた声は、彼女に届かなかった。
声も出せず、ただひたすらに、病院から遠ざかるように。
走った。
走って、走って、走って――どこにも行き場のない思いだけを、必死に振り切るように――
――ガチャン!!!
勢いよく扉が開き、その音が家中に響いた。
チーシャが、驚いたように振り返る。
「……ッ!! 子猫ちゃん!!!」
彼女はパッと目を見開いた。
安堵と焦りを滲ませながら、少女へ近づく。
「よ、良かった! 心配したんだよ!? ……す、すぐにでも追いかけようかと思ったんだけど……」
けれど……返ってきた言葉はあまりにも痛々しかった。
「……ミャーだけ違うって……! 言われた……ッ!!」
「え……?」
少女は今にも、崩れそうな声を漏らした。
「にゃんで……? みんな今まで、そんなこと気にしてなかったのに……!! ミャーだけ〝外から来た人間〟だからって……ッ!!」
言葉が出るたびに、その小さな体が震えていた。
チーシャが一歩近づこうとするが、少女はその場から動かず、うつむいたままだった。
「そんな……一体誰がそんなこと……」
チーシャの声には戸惑いが滲んでいた。
だが……あふれ出した彼女の言葉は、もう止まらなかった。
「ミャーだけしっぽがあるから!? 猫みたいな耳があるから!? だからみんにゃと話しちゃいけないのッ!!?」
「そ、そんなの……理由になるはずが……」
だが、少女の怒りと悲しみは、そんな言葉でおさまるものではなかった。
「じゃあミャーだけ……この村の〝本当の住人じゃない〟から!!?」
叫びと同時に、場の空気が凍りついた。
チーシャは一瞬、言葉を詰まらせる。
「……ッ!!? ち、違う……っ!! みんな話せないのは……」
「もういいッ!!!」
少女は叫ぶと、背を向けて駆け出した。
チーシャが何かを言いかけるが、もう聞く耳は持たなかった。
そして――
バタン!!!
大きな音を立てて、自分の部屋の扉を閉める。
「……うう……! にゃんで……にゃんで……ッ!!」
か細い声だけが、小さな部屋の中に響く。
窓から差し込む光もどこか冷たく感じられ……壁に映る彼女の影は、やけに小さく見えた――
――
――――
――――――
――それから3日が経った。
昼間のリビング。
食卓には2人分の温かい食事が並べられている。
だが……空気は完全に冷え切っていた。
「……」
「…………えっと……子猫ちゃん」
チーシャがぎこちなく口を開く。
明るさを装い、無理に笑顔を作っていた。
「こんなに我慢させて、ごめんなさい……でもすぐ、みんなとまた遊べるようになるから……!」
母の手がそっと伸びるが、少女は気づかないふりをする。
「……うん……そうだと……いいな……」
返事をしながら、彼女はずっとうつむいたままだった。
食器の触れ合う音だけが、静かな部屋に響く――
――
――――
――――――
――それから、また3日後。
ガチャリ、と家の扉が開く音が聞こえた。
チーシャは外出中で、帰ってくるにはまだ早すぎる時間帯だった。
「お~い、ミーちゃんや……いるかい?」
「あれ……? その声は……」
聞き覚えのある、年老いた男の声――
しわがれてはいるが、優しく芯のある響き。
それは、この村の村長であり……そして彼女の祖父の声だった。
「おじいちゃん!! 久しぶり!」
少女はパアッと顔を明るくして、玄関へ向かう。
「お~、元気そうで良かった……ホントに……」
入ってきた老人は、以前よりも痩せ細り、背も少し丸くなっていた。
けれどその目元はやさしく、彼女を見つめていた。
「……今日はな、ミーちゃんに大事な……ゲホッゲホッ!」
「だ、大丈夫?」
少女は心配そうに、祖父の背を撫でた。
体の奥から絞り出すような、苦しげな咳だった。
「……村を抜け出した時は、ホントにごめん……一晩中探してくれたんだろ? おじいちゃんに無理させちゃった……」
「いやいや、気にするな。チーシャもミーちゃんくらいの歳の頃は、よく森の奥の方へ行ってた……」
「え……? おかあさんも?」
意外な話に、彼女は目を丸くした。
「随分と、そっくりな親子じゃ……」
「はは……〝血も繋がってない〟のにな……」
「心じゃよ、心で繋がっとるんじゃ」
暖かい言葉が交わされ、わずかに和やかな空気が流れる。
けれど……
その空気を破るように、再び玄関の扉がノックされた。
「村長! 先に着いとったか……ワシ1人でいいと言ったのに……!」
「あ! コハン先生」
現れたのは、この村唯一の医者、コハンだった。
彼もまた、以前よりもどこか疲れた顔をしている。
「病人の癖に……大人しくしとけよ!」
「ほっほっほ! 娘と孫の家に来ただけじゃ、大したことじゃ……ゲホッゲホッ!!」
またしても、祖父の喉から苦しげな咳が漏れる。
「え!? おじいちゃん病気にゃの!?」
「そこの医者もじゃよ」
「悪かったな……ゴホッ……! まあ、ちょっと患者から貰っちまっただけだ」
言われてみれば、2人とも顔色が悪かった。
「お邪魔してもいいかい? 今日はちょっとミーちゃんに用事があってな」
「え……? ミャーに……?」
小さく首をかしげる少女。だがその背筋には、ふと冷たいものが走った。
(よく見たら2人とも、ホントに調子が悪そう……この表情、まるで……)
そこでハッと息を呑む。
(……これ……〝あの時〟の人と……同じ……!!)
数日前、病院の門のそばに立っていた男――
その男の虚ろな目。
今、目の前にいる祖父と医者の顔が、それとまったく同じだった。
生気が抜け落ち、心がどこか遠くに行ってしまったような……そんな、恐ろしい顔――
――
――――
――――――
――数時間後。
「うう……!! グスッ……!!」
薄暗い地下室に、少女のしゃくり上げる声が響いていた。
小さなろうそくの炎だけが灯るその空間は、まるで世界から切り離されたように静かで、冷たい。
ギィ……と重たく軋む音を立てて、地下室の鉄の扉が開く。
「子猫ちゃんッ!!!」
「お、おかあさん!!!」
聞き慣れた声に、思わず身を乗り出して叫んだ。
「助けて!!! ここから出してッ!!!!」
「お、落ち着いて……! 子猫ちゃん……」
チーシャの声はかすれていた。
目の前の光景を見て、彼女の顔がひどく強張る。
「おじいちゃんとコハン先生がウチに来たんだ!! それでなにかミャーの体を調べて……血を抜いたりした……その後、おじいちゃん家に一緒に行ったら、いきなり地下室に閉じ込められたんだッ!!!」
「と、閉じ込めたなんて、そんな……えッ!!? 鍵がかかってる!!!」
鉄格子の扉を揺するチーシャ。その音は無機質に響き、少女の不安をさらに煽った。
「ねえ……にゃんで……? やっぱりミャーだけ、みんなと違うから?」
その問いに、チーシャははっきりとは答えられなかった。唇を震わせ、目を伏せる。
「……そうじゃない……そうじゃないのよ、子猫ちゃん……けれど……」
言い淀みながらも、母は言葉を紡ぐ。
「……子猫ちゃんを……ここから出すわけにはいかないの……っ!」
「ッ!!? ……にゃんで……どうして……!?」
少女の声は裏返り、震えながら響く。
その時、地下室の入り口からかすれた男の声がした。
「チーシャ……そろそ……ゴホッゲッホ!! あまり話し過ぎてもよくない……」
「え、ええ……そうね……」
「な……!? 話し過ぎちゃダメ!?」
村長の声は妙に遠く、冷たかった。
その言葉が、少女をさらに追い詰める。
「にゃんで!? にゃんでミャーと話しちゃいけないんだ!!?」
問いかける娘に、チーシャは苦しげに答えた。
「……ごめん。ご飯はちゃんと持ってくるから……」
背を向ける母を、少女は懸命に呼び止めた。
「待って!! おかあさん!! おかあさああああああああああああああああああん!!!」
「……ごめんね」
その言葉を最後に、チーシャの姿は扉の向こうへと消えていった。
ガチャン
硬い金属音を残して、鉄の扉が閉ざされる。
そしてまた……小さなろうそくの光だけが、地下室を照らす。
「……うう……どうじて……どうじてこんな゛……」
少女のすすり泣く声が、冷たい石の壁に吸い込まれ……どこにも届かずに消えていった――
第12話は明日の20時10分に投稿です。
第1章完結まで毎日投稿中!!




