*それを愛というのなら*
何度も何度も繰り返していくうちに、バネッサは青い髪の男をただ「滑稽だ」と思うだけではなくなってきた。
バネッサがどんな男と付き合おうと、どんな人生を選択しようと、男はへらり、と笑って困ったような顔をして、それでもバネッサに愛を叫んだ。
やることなすことが幼稚だった。
前の人生でバネッサが吟遊詩人に恋をすれば、次の人生で歌を贈ってくる。貴族は嫌だと言えば、平民にあっさり身分を落とす。
バネッサがちっとも振り向かないのに、青い髪を海の光に輝かせて、バネッサがどうすれば自分を見るのかとそればかり考えている顔を隠しもしなかった。
その男が悪魔ではなく、あぁ、こいつは海の神メルザヴィアかと気付いたのは何度目の人生だったか。
悪魔にしては頭が悪いと思っていたから、その事実はバネッサの中にストンと落ちて納得させられた。
その頃にはバネッサは毎度毎度、色々な理由を見つけてバネッサに記憶喪失だと語る男にただ「嫌悪」を持つだけではなくなってきた。
バネッサが何か言うとへらりと笑う男の顔を眺めながら、これが海賊たちが唯一信じる海の神なのかと呆れた。
*
「バネッサさんは。メルザヴィアさんのことが好きなんですか?」
妙な空間に引き摺り困れたと思ったら、大きな風呂に連れていかれた。
育ちのよさそうな黒い髪に赤い瞳の子供は、幼女というには大人びている。十三、四くらいだろうか。バネッサはその頃の自分は何をしていたかと思い出し、考えるのを止めた。
子供は宝砂と名乗った。
宝砂はバネッサを大きな風呂場に押し込めて、自分も衣服を脱ぐとごしごしとバネッサの体を洗う。
あの殺意が人の形をしたような大男は締め出されていた。
バネッサはあの化け物を思い出して身震いをする。あれはなんなんだ。あんなもの、なぜ自分たちと同じような、人という形をしているのか。同じ姿をしているからこそ、おぞましさが際立って気持ちが悪い。
「寒いですか。すいません、体を洗ってから浴槽に入るのはマナーなので……」
柔らかな布と、泡で洗われた。
槍で刺されていたはずの体はなんともなく、いつの間にか元の人間の体に戻っていた。
洗身を終えて、バネッサは宝砂と共に風呂に入る。
こんな大きな風呂がどうして必要なのかわからないほど大きい。泳げるほどではないが、女にしては背の高いバネッサと宝砂が入っても十分寛ぐ余裕があった。
「それで、あの、バネッサさんはメルザヴィアさんのことがお好きなんですか?」
「……」
「私がメルザヴィアさんに、バネッサさんと同じく生き返らせられたものだと勘違いして、自分だけじゃなかったこととか、私にもメルザヴィアが求婚してるんだって想像で怒ってしまうくらいには、お好きってことですよね?」
「アンタ、ちょっと黙りな」
「……はい」
ズカズカとあれこれ人の心を暴こうとしてくる小娘をバネッサは睨みつけた。
「ここでアンタを引っぱたいたり泣かせたら、あの化け物が飛んでくるかい?」
「あ、お風呂場なので大丈夫です。基本的におはようからお休みまで放していただけないんですが、お風呂とおトイレはNOとお約束していますので」
バネッサは生前から無法者だったが、宝砂の状況に「神を縛る法律はないのかい!?」と叫びそうになった。だが法は神が作ったとかそんな話を聞いたことがあるので、この娘を守る法はないだろう。
「好きだの恋だのなんて話じゃないんだよ」
「でも」
「……振っても振っても、お前なんかお呼びじゃないとわからせてやっても諦めないバカを、何十年も見続けてりゃ、それなりに可愛くも見えてくるさ」
ふぅ、と、バネッサは観念したように息を吐く。
最初はただの嫌悪と憎悪しかなかった。
自分の人生を好き勝手にいじくってくる男に、お前の思い通りになどならないと舌を出してやるつもりでいた。
ただ、段々とバネッサは自分が楽しんでいるという自覚もあった。
次はどんな設定を用意してくるのか。
次はどんな顔で己に愛を叫んでくるのか。
『バネッサ!好きだー!』
全身で全力で、馬鹿の一つ覚えのように毎度毎度叫んで来る青い髪の男を、バネッサは呆れたように眺めた。
「馬鹿なことをしたもんだね。あれで海の神だなんだとか、笑っちまうよ」
「……あの、一度くらい……お付き合いしてみたら、意外に良いかもしれないとか、ありません?」
「ガキがわかったような口をきくんじゃないよ」
おずおずと宝砂が言うので、バネッサはぴしゃりと跳ねのけた。
バネッサがあの男の思いを受け取ることはない。それは、絶対にしないと自分で決めていた。
前提から、あの男は間違えているのだ。
「例えばアタシがアイツを「好き」になったとして、それはアイツが惚れたアタシなのかい?」
「……え、それは、そうなんじゃないですか?」
「アイツが死体になっても、それを海から引き揚げて陸で暮らさせるほど惚れたのは海賊のバネッサだろう?」
何が違うのかと宝砂が不思議そうな顔をする。
まったく違うのだと、それはバネッサ自身がわかっていた。
あまりに何もかもが、自分は変わってしまったのだ。
海を自由に踊って、略奪して、欲に溺れて人生を謳歌した女海賊バネッサを、海の神は愛した。バネッサにへらりと向けるその顔。女に心底惚れてしまった情けない面をした男。その目の中には勇ましく海を生きた女が宿っている。
「海賊バネッサはね、あんな奴にほだされたり、ましては惚れたりしないんだよ」
「……つまり……海賊バネッサの心は、メルザヴィアさんを選ばないし、今のバネッサさんとしても、海賊バネッサじゃないバネッサさんをメルザヴィアさんが好きになるのは癪だと?」
「ガキにゃ難しいかい」
海賊が唯一信じる神、海の神メルザヴィア。
バネッサも信仰していた。唯一彼女が海で自分以外に信じたのは海の神だけだった。その神の男が惚れるなら、それは海を愛し自由に生きた海賊バネッサだ。
港町で平穏に生きる、どこにでもいるような女ではない。あってはならない。
「海賊バネッサは死んだんだ。だから、あいつがどんなにやり直しをしようとも、意味はないんだよ」




