50話 黒猫日記
吾輩は猫である。
名はルフィ。
メメーリヤ分院・斥候部隊第一隊長である。
ただし他の隊員はまだ、いない。
「ルフィ、鰹節ですわよ」
ちなみにいま吾輩の名を呼んだ女が、新しい飼い主である。
マリアージュ=ドミストリ。
なかなか美しく、賢い女だ。
しかも金持ち。
よしよし、そんなに望むなら吾輩のお世話をさせてやろう。
「この鰹節って、お料理にふりかけると美味しいんですよねー。公爵家で初めて食べましたけど、どんなメニューにも合って」
「でしょう、特にこれは無塩・無添加で作ったスペシャル健康品ですもの。そのうち味噌や醤油にも挑戦しますわ」
「ミソ? ショウユ?」
コーリー。
マリアージュの部下であるこの女も、すでに吾輩にデレデレだ。
吾輩がへそ天してみせると、仕事の途中でも飛んできてうっとりと腹を撫でる。
「うーん、モフモフ最高~♪」
女などみな、ちょろいものだ。
だがしかし。
逆に男どもは、みな同様に嫉妬深いのである。
「コーリー、猫になんかかまってないで、例の分析結果のレポートまとめてよ。このままじゃ今日も徹夜になるぞ」
その筆頭がこの男、ユージィンだ。
ユージィンは吾輩をぎろりとにらみ、わざとらしくため息をつく。
「まったく自分が城の主だ、とでも勘違いしてんじゃないの、この猫?」
シャー!
吾輩はマリアージュの膝の上から、牙を剥いて威嚇した。
この男、どうやら吾輩が優秀な魔道士であることに、ひどく嫉妬しているようだ。
「なんであなたたち、仲良くできないんですの」
「それはほれ、魔法を使う者独特のプライドが邪魔しているんじゃろうて。魔道士なんてそもそもが、世界で一番自分がすごいと思っている究極の自惚れ野郎じゃからな。つまり似た者同士じゃ」
ぐさっ。
横から飛んできたエフィムの言葉が、吾輩の心臓に突き刺さる。
ジジィ、そこはもう少し優しい言葉で頼む。
こう見えて、吾輩は結構繊細なのだ。
「へぇ、嬢ちゃんが猫を飼いだしたって聞いたけど、なかなかかわいいじゃねぇか」
また別の日。
今度はなんだかごつい男が、メメーリヤ分院を訪ねてきた。
衛兵隊のアルフ。この男も何かあるたびに、マリアージュにちょっかいを出そうとする。
「あら、アルフも猫が好きなんですの?」
「ああ、野良猫によく餌をやったりするぜ。特に気が強くて誇り高い猫なんか、最高だな」
そう言いながら、さりげなくアルフがマリアージュの肩を抱こうとする。
こら、マリアージュ、そこでキョトンとした顔をするんじゃない!
なぜあからさまな男の誘惑に気付かないのだ!?
「シャー!」
「おっと、ずいぶん気の荒い護衛がついたものだな」
吾輩がしっぽの毛を逆立てると、アルフはにやりと笑いながらおとなしく手を引っ込めた。
この時ばかりはユージィンも、吾輩に加勢する。
「アルフ、悪ふざけもいい加減にしなよ」
「悪ふざけじゃなく、本気で言ってるんだがなぁ」
「そもそも口説かれてる本人が鈍感すぎだし」
「だよな。お互い苦労するなぁ、ユージィン」
ニヤニヤするアルフに、不機嫌になるユージィン。
お前ら、わかりやすすぎるぞ。それだけマリアージュに惚れているんだな。
しかしマリアージュは我が下僕。
主である吾輩の許可を得ず、手を出そうなどとは百万年早い。
「やあ、マリアージュ。今日も忙しくしてるかな?」
また別の日。
ラスボスならぬ、ラストプリンスが現れた。
その背後にはオスカー。
過去、助けてもらった経験から、オスカーが吾輩の最推しである。
お前なら、マリアージュとの仲を認めてやってもよい。
「ふーん、噂通り、かなりの魔力量を秘めた猫だねぇ。実に興味深い」
「シャーーーーーーーーーーッ!」
この国の王太子であるルークには、いつもより10倍増しのシャー!をお見舞いした。
数いる男の中でも、ルークだけは侮れん。
魔道士としての吾輩の勘が告げている。この男、やはり只者ではない……と。
「ルーク殿下も、毎度毎度お暇ですのね」
「相変わらずつれないなあ。愛しい婚約者殿のご機嫌を伺いに来ただけだよ」
「ま、いつも以上に軽口ですこと」
マリアージュはわざとらしくそっぽを向くが、吾輩にはわかる。
視線を逸らしたように見せかけて、マリアージュが無意識にルークの姿を追っていること。
マリアージュの気配が、どこかウキウキしていること。
このような変化が見られるのは、ルークに対してだけなのだ。
「にゃ」
「え? ルフィ、どうかしたか?」
吾輩はオスカーの肩の上に乗り、ポンポンと軽く叩いた。
うん、オスカー、お前も苦労するな。
仕えるべき王太子と、その婚約者の間に挟まれて。
応援してやりたいのは山々だが、マリアージュを振り向かせるのは至難の業だぞ。
お前が本気でルークと争う気があるなら、協力は惜しまないが。
「オスカー、なんか君、猫に同情されてない?」
「そうか? ……うーん、そう言われればそんな気もする」
こうして吾輩は、日々マリアージュの周りをうろちょろする男たちを品定めしている。
残念ながら、まだ合格者は出ていない。
マリアージュの幸せ、すなわち主である吾輩の幸せ。
決して品定めに手は抜けないのだ。
そして夜になれば。
マリアージュは吾輩の名を呼びながら、同じベッドに誘う。
「ルフィ、寂しい時はわたくしと同じ布団で寝ていいんですのよ?」
寂しいなどと、誰が言った。
吾輩はメメーリヤ分院・斥候部隊第一隊長である。
夜の見回りも、マリアージュの護衛も、すべて吾輩の大切な任務なのだ。
だからこれは、決して甘えているわけではない。
下僕がどうしてもと言うから、仕方なく隣で丸くなってやっているだけである。
「……ルフィ」
けれどマリアージュの指先が吾輩の額をそっと撫でると、胸の奥が少しだけきゅうと痛んだ。
昔も、こうして頭を撫でてくれた手があった。
皴だらけで、煙草と古い紙の匂いがする手。
吾輩を「ルフィ」と呼び、膝に乗せ、眠るまで撫でてくれた手。
あの夜、吾輩は守れなかった。
爪を立てた。炎を放った。必死に鳴いた。
それでも、あの手は二度と吾輩を撫でてはくれなかった。
「もう大丈夫ですわ」
マリアージュの声が、静かに優しく降ってくる。
「あなたは充分、伯爵を守りました。だから今度はわたくしたちがあなたを守ります」
違う。
守られるのではない。
吾輩が守るのだ。
この騒がしい分院を。
吾輩に鰹節をくれる女を。
吾輩の腹を撫でて微笑む女を。
すぐ喧嘩を売ってくる氷の男も、くしゃみで書類を飛ばすジジィも、ついでにまとめて守ってやる。
吾輩は猫である。
名はルフィ。
今度こそ、主を守り通す猫である。
「おやすみなさい、ルフィ」
マリアージュの掌が、何度も何度も吾輩の頭と背中を撫でる。
温かくて、優しくて、少しだけ懐かしい手だった。
吾輩は小さく喉を鳴らした。
泣いてなどいない。
これはただ、眠くなっただけである。
ゆっくりと瞼が落ちていく。
最後に見えたのは、吾輩を見下ろすマリアージュの穏やかな微笑みだった。
今夜は夢の中であの人に報告しよう。
吾輩はもう、大丈夫だ。
新しい主も、新しい家も、守るべき仲間もできたのだ……と。
そう胸の内でつぶやきながら、吾輩はマリアージュの腕の中で、静かに眠りについた。




