49話 黒猫の新たな飼い主
モンタルボ伯爵殺害は複数の容疑者が現れるも、最終的に手を下したのはケネス=サンダースであるという決着を見た。
莫大な財産を持つ伯爵家で起きた殺人事件ということもあり、詳細は新聞でもセンセーショナルに報じられた。
現場に残留した血液や髪、皮膚片から個人を特定する鑑定法。
指紋という新しい概念。
遺書に使われたインクの照合。
地下に残された足跡の分析。
これまでなら見過ごされていた小さな証拠が、緻密な捜査によって真実を暴く――その事実は、市井にも広く知れ渡った。
これは良いことなのか、悪いことなのか。
これから起きる事件の犯人たちは、科学捜査の目を警戒し、より巧妙な証拠隠滅を図るようになるだろう。
とにもかくにも。
モンタルボ伯爵殺人事件によって、皮肉にもメメーリヤ分院の知名度は格段に上がったのだった。
◇◆◇
「本当に色々お世話になりました」
事件から数日後。キャンディスが、わざわざメメーリヤ分院へ礼を言いにやってきた。
ダン、バネッサ、ラウル、レオポルド、ケネスが逮捕され、モンタルボ伯爵家に残ったのは彼女だけ。だが捜査中、実は最後にもう一つ、重要なものが見つかっていた。
伯爵の寝台の隠し棚に納められていた、最新の遺言書である。
見つけたのはエフィムだった。
ルフィの爪の結晶と床の焦げ跡を調べているうち、天蓋ベッドのヘッドボードに不自然な隙間を発見したのだ。
二重底の奥から現れた遺言書には、執事ジュストと弁護士ケネスの解雇。
自分の死後、伯爵位と領地は誰にも継がせず王国へ返還すること。
そして全財産を動物保護団体や人権保護団体へ寄付すること――などが、伯爵自身の筆跡で記されていた。
「あーあ、なんだかもったいない。法定相続分くらいのお金はもらっておけばよかったのに」
キャンディスが菓子折りを差し出すのを横目に、ユージィンがつまらなさそうにつぶやく。もちろんコーリーがすぐに「メッ!」と叱った。
「もう、失礼だよ、ユージィン」
「だってあの金ぴかのお屋敷も、全部国庫に持っていかれちゃうんだろ?」
「いいんです。私はもう充分、おじい様から大切なものをいただきましたから」
キャンディスは苦笑しながら、胸にそっと両手を当てた。
「直接お会いするまで、母を見捨てた冷たい人なのかと思っていました。けれどおじい様は過去を後悔し、心から償おうとしていた。それに、あんなにルフィを可愛がる愛情にあふれた方だったんです。それがわかっただけで、私は満足です」
「モンタルボ伯爵も、孫のあなたに会えてうれしかったはずよ」
マリアージュもまた、穏やかに微笑んだ。
それにしても祖父と孫の絆を断ち切った犯人たちが憎らしい。
あの悲劇さえ起きなければ、伯爵は愛しい孫娘と静かな余生を過ごせたはずなのに。
「それに莫大な財産を受け継がないことは、悪いことばかりではありませんわ。伯爵は分かっていたのでしょう。人の欲望が、どれほど人生を狂わせるのかを」
「……はい」
「すべてを寄付することで、あなたを守ったのかもしれません。身に余る財産は、よくないものを引き寄せますもの。それに、あなたが勤める薬房にも匿名の寄付があったのでしょう?」
「はい。実は薬房だけでなく、私が暮らす村全体を新しく建て直せるほどの額を」
キャンディスは肩を揺らして、くすくすと笑った。
「本当に、最後まで不器用なおじい様でした」
「そのおじい様は、今もあなたの幸せを祈っていますわ」
「……はい」
「なんか、泣けてきますねぇ」
「はいはい、わかりました。もうお金のことは言わないよ」
そう一同がしんみりする中――
「ぶぇええっくしょょおおい!」
またしても好々爺の派手なくしゃみが、研究所内に響き渡った。
「ちょ、またですの、エフィム!?」
「す、すまんのう。先ほどから何やら鼻がむずむずして……」
「検案書! 死体検案書がまた窓の外に飛ばされています~!」
マリアージュとコーリーが慌てて書類を追いかける。
それらが風にさらわれ、再び木の枝に引っ掛かるかと思われた、その時。
――しゅたっ!
黒い影が目の前を横切り、見事に書類を口でキャッチした。
「にゃあ」
「よくやったわ、ルフィ」
……そう、あの黒猫のルフィである。
事件が終わった後も、なぜかこの猫はチーム・メメーリヤの後を追ってきて、勝手に分院へ住み着いてしまったのだ。
「ルフィ、元気そうね」
キャンディスはすぐにマスクと手袋をつけ、窓際のルフィから距離を取る。
「でも本当によろしいんですか? ルフィをこちらにお任せしてしまって」
「ええ。ルフィには、わが分院の機動隊員として働いてもらうことに致しました」
「にゃおん♪」
マリアージュの決定により、ルフィは新メンバーとしてチーム・メメーリヤに加入した。
そもそもキャンディスはアレルギーのせいで、ルフィと暮らすのが難しい。ならばこうするのが一番いいと思ったのだ。
「ルフィなら高所や狭い場所にも行けそうですよね」
「人間には発見が難しい証拠や残留物も、採取可能じゃからのう」
「まあ炎魔法も、いつか使い道が見つかるかもしれないし」
「んにゃ!」
ルフィは「お前よりは役に立てる!」とばかりに、ユージィンの白衣を引っ掻いた。ユージィンはムッとして、窓際に立つ猫を睨みつける。
「この猫、もしや俺に喧嘩売ってる?」
「にゃ!」
「そこ、炎と氷魔法で戦いだすのやめなさい」
指先に本気の冷気をまとわせ始めたユージィンと、火の玉を浮かべたルフィを、マリアージュは呆れながら止めた。
キャンディスは賑やかな仲間に囲まれるルフィを見つめながら、不意に涙をにじませる。
「きっとここなら、ルフィもおじい様を失った心の傷を少しずつ癒せるでしょう。どうかよろしくお願いいたします」
「任せてちょうだい」
「ルフィ、時々会いに来るからね」
「にゃー!」
キャンディスが微笑みかけると、ルフィは嬉しそうに返事をした。
そしてゴロゴロと喉を鳴らし、ようやく猫らしい毛づくろいを始める。
その頃、モンタルボ伯爵の墓標の上では、捧げられたばかりの白い花が、優しいそよ風に揺れていた。
最後まで愛した孫娘と、愛猫の未来を祈るかのように。
◇◆◇
一方、ルークの執務室では。
事件後、多忙を極めていたオスカーが、ようやく調査報告書をまとめ、提出に訪れていた。
結果的に広大なモンタルボ伯爵領は王国へ返還され、王家は莫大な資産を得たことになる。
ルークはいつものように柔和な微笑を浮かべつつ、親友に問うた。
「でも本当によかったのかな? 犯人を見つけた者に財産を譲るというのが元の遺言だったのなら、オスカーにも権利がある」
「俺にはそんな資格はない」
生真面目なオスカーは、ルークの揶揄を一蹴する。
「俺ができたことなど、所詮聖騎士団を指揮したことぐらいだ。事件を解決したのはマリアージュ殿と、メメーリヤ分院の者たちだ」
「それはそうだけどさぁ……」
ルークは書類から目を離し、目の前に立つオスカーを見上げた。
「ねえ、オスカー」
「……なんだ」
「さっきから微妙に僕から視線を外してない?」
「そ、そんなことは、ないぞっ」
「…………」
そんなこと、大ありである。
なんだ、その不自然などもり方は。
しかもさっきから、やけに顔に汗をかいている。
おそらく、内心後ろめたいことがあるのだろう。
ルークは嫌な予感がして、すっと碧の双眸を眇めた。
「オスカーって、本当に嘘をつくのが下手だよね」
「……何を言っているか、さっぱりわからない」
「まさか……マリアージュと何かあった――なんてことないよね?」
「あ、あるはずがないっ!」
オスカーは突然声を荒げると、目の前の机にドンッ! と拳を叩きつけた。
「彼女はお前の婚約者だろう? う、疑うなど彼女に対する侮辱だ!」
「あ、はい……」
さすがのルークも、顔を真っ赤にして怒る親友の勢いに気圧された。
けれど内心、「やっぱりこいつまで……」と諦めモードに突入する。
どうやらマリアージュの人たらし能力が、とうとうオスカーにまで発揮されてしまったようだ。
「た、ただ俺は、マリアージュ殿が死者の尊厳を大切にできる、心優しい女性だと思っただけだ」
「……」
「だからルーク、絶対に彼女を幸せにしてやってほしい」
「……」
それは傍から見れば、恋した女の幸せを願い、黙って身を引く健気な男の姿だった。
しかしルークの頭はますます痛くなる。
生真面目なオスカーが、そう簡単に惚れた女を諦められるはずがない。付き合いが長いからこそ、ルークは誰よりもこの男の頑固さを知っている。
(もう勘弁してよ、マリアージュ。どれだけ僕を困らせるの……)
手に負えない婚約者の不敵な笑みを思い浮かべながら、ルークは思わずため息をつくのだった。
これにて「黒猫狂騒曲殺人事件」は閉幕です。
読了ありがとうございました!
この後、後日談としてルフィ視点の小話をはさみます。
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