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48話 忠猫ルフィ



 マリアージュたちがモンタルボ伯爵家にやってきて三日目の夜。

 弁護士・ケネス=サンダースは食堂で一人夕食をとっていた。

 ケネスは仕事終わり、ここでお気に入りの豆を挽いたコーヒーを飲んでから法務室に戻るのが日課だった。


「カップ、お下げいたします」

「ああ、ありがとう」


 給仕係に空のカップを渡し、書類に目を落とす。

 そのとき一瞬だけ、左手を庇うような仕草を見せた。

 一昨日、昨日と何やらマリアージュたちは屋敷内で騒がしくしていたが、今日一日は不気味なほど沈黙していた。とうとう諦めたのだろうかと、ちらりと周囲を見回す。


「ご一緒してよろしいかしら、ケネス弁護士」


 ちょうど警戒していた人物が、オスカーを連れて近づいてくるのが見えた。

 ケネスは人好きのする笑みを浮かべながら答える。


「ええ、もちろんですとも」


 その微笑には、自らの優秀さに対する絶対的な自信があった。


「それでその後、何かわかりましたか?」

「ええ、いろいろと。まず事件当夜の伯爵の行動順がわかりました」


 ケネスとマリアージュは長い食卓の真向かいに座り、捜査の進捗について話し始めた。その背後に立つ銀髪の騎士・オスカーが何やら凄んでくるが、ケネスは涼しい顔を保つ。


「今から二週間前、五月六日の夜。モンタルボ伯爵は書斎でパイプを吸っていました。バネッサ夫人が仕掛けた毒によって、伯爵の意識はこの時点で朦朧としていたはずです」

「なるほど」

「そして金を無心しに来た甥と口論になり、家系譜で頭部を殴られた。その際の防御創が、遺骨から確認されました」

「骨だけでそんなことがわかるんですね、素晴らしい」


 ケネスは小さく拍手をして、マリアージュの技術を称えた。


「その後、伯爵は頭部から出血しながらも、ふらふらとした足取りで書斎を出ました。恐らく無意識に寝室へ戻るつもりだったのでしょう。これ以上誰にも襲われないよう、隠し通路を目指した」

「そこをジュストが目撃していた」

「ええ。レオポルドとの争いを見て、伯爵を殺す千載一遇のチャンスだと思ったのでしょうね。彼は執事の立場を利用して、伯爵家の財産を横領していましたから。あわよくばレオポルドに罪を擦り付けられる」


 マリアージュの赤い唇が、不敵に弧を描く。


「そしてジュストは、隠し通路の石段の上から伯爵を突き落とした。書斎からほど近いリネン室の隠し通路には、足を滑らせた跡が残っていましたわ」

「ではやはりジュストが」

「いいえ」


 ケネスの声にかぶせて、マリアージュが即座に否定する。




「伯爵とジュストを死に追いやった真犯人は、あなたですわ。ケネス=サンダース」

「――」




 マリアージュに名指しされた刹那、柔和なはずのケネスの眼差しがぎらりと剣呑な光を帯びた。




 ◇◆◇




 時を戻して昨日。

 キャンディスから「ルフィが事件以来一度も顔を洗っていない」と聞いた後、マリアージュはすぐさまルフィを調べる決断をした。

 肝心のルフィはユージィンとコーリーとともに、殺害現場である伯爵の寝室にいた。


「にゃあー」


 そこでいつものように、何か言いたげに鳴くルフィ。

 マリアージュたちが駆けつけると、ユージィンは床に残った焦げ跡に注目していた。以前、パイプの火種が落ちたのではないかと議論していた、あの焦げ跡である。


「床がどうかした? ユージィン」

「これ、魔法の炎で焦げた跡だ。エーテルが微かに残留してる」


 ユージィンは黒ずみを指先でなぞりながら、確信を込めて言った。


「ていうか、これやったの、お前だよな?」

「にゃーん」

「一体どういうこと?」


 魔法に疎いマリアージュが尋ねると、難しい顔をしたコーリーが解説してくれた。


「もしかしたらルフィは、炎魔法で犯人を攻撃したんじゃないでしょうか」

「え?」

「その時の炎が、こうして床の表面を焦がしただけの跡として残った」

「な、なるほど!」


 さすが魔道解析士の二人である。

 マリアージュたちが思いもよらない答えを、易々と導き出してくれる。


「つまりルフィは、伯爵を守ろうとしたのか」

「にゃーん……」


 そこでルフィは悲しげに項垂れた。

 ルフィなりに、伯爵の殺害を止めようと必死だった。けれど守れなかった。

 オスカーはルフィの頭を大きな手で撫で、「お前は何も悪くない」と慰める。


「ルフィ、少しごめんあそばせ」

「にゃにゃっ!」


 さらに嫌がるルフィを力で押さえつけて、マリアージュはその前足を調べた。

 すると爪の奥に、何やら赤い結晶のようなものが見える。

 きらきらと輝き、凝り固まったようなもの。


「これって……血?」

「見せてください――“リブラル”」


 餅は餅屋とばかりに、ユージィンがルフィの爪に残った謎の赤い結晶を解析する。

 正体はすぐにわかった。


「おそらくこれ、犯人の血です。ルフィは炎魔法で攻撃しただけじゃない。犯人の体のどこかを爪で引っ掻いたんです」

「その血が二週間も残っているというの!?」


 マリアージュは素直に驚いた。

 普通、二週間も経てば爪の間に残った微量の血液や皮膚片は、毛づくろい、湿気、腐敗、雑菌によって分解・脱落してしまうはずなのに。


「多分、炎魔法のおかげだと思います。こいつは犯人を引っ掻いた際、犯人の血を自分の爪に“焼き付けた”」

「“焼き付けた”?」

「厳密にいうと、ごく弱い熱で付着物の外側だけを硬い痂皮(かひ)状に変えたんです。そのため表面は焦げたように固まり、雑菌や湿気を遮断する膜になった」

「すまん、もう少し素人でもわかりやすいように……」


 脳筋のオスカーには、ユージィンの言葉が理解不能だった。

 それを分かりやすいように噛み砕いたのはコーリーだ。


「つまりルフィは、引っ掻いた時についた犯人の血を、炎でかさぶたに変えたんです。そしてそれを結晶として封じ込めた」

「それならば、この結晶から犯人のDNAを検出できるはずですわ!」


 マリアージュもまた、笑顔でルフィの頭を優しく撫でる。


「ルフィは顔を洗わなかったのではありません。洗えなかったのです。爪の先に残った、伯爵を殺した犯人の証拠を消さないために」

「そこまで賢いのか、この猫?」

「それこそ動物の本能……なのかもしれませんわね。この子は主亡き今も、主を守ろうとしているのです」


 マリアージュの言葉を聞いて、皆が一斉にルフィを見た。

 忠犬ならぬ、忠猫ルフィ。

 その健気すぎる愛情に、誰もが胸を打たれる。


「しかし一つわからんことがある。ルフィが伯爵を守ろうと炎魔法を使ったのなら、なぜ凶器の布は燃えなかったのじゃろうなぁ」


 そしてエフィムがひげを撫でながら、最後の謎を提示した。

 確かにルフィの炎魔法ならば、伯爵の口を塞いでいたはずの布を燃やせたはずだ。

 なのに伯爵は殺されている。

 マリアージュは寝室をうろうろしながら、うんうんと唸った。


「炎魔法……塞がれた口……燃えなかった布、金歯に残っていた微小の繊維――」

「……」


 マリアージュは一つ一つのピースを並べていく。

 最後の謎を前に、誰もが口をつぐんだ。

 だが不意にオスカーが、天啓を得たかのように視線を上げる。


「いや、待て。あるじゃないか、燃えない布が」

「え?」

「マリアージュ殿。俺たちはそれを、ここに来た初日に目にしている」

「初日に?」

「そもそも俺たちの目的の一つは、なぜ伯爵が血縁でもない俺を相続人に指名したのかを確認することだった」

「あ……!」


 そこまで言われて、マリアージュもようやく思い至った。

 伯爵が残した遺言書。

 それは厳重な魔道封印によって守られていた。

 しかも決して誰かに燃やされないように、特殊な耐熱布で包まれていた。




「遺言状や契約書を包むための法務黒布ですわね!」




 凶器の正体が判明した瞬間、DNA鑑定しなくても、真犯人が誰であるかはほぼ特定できた。

 ケネス=サンダース。

 あの法の番人こそが、この事件を引き起こした元凶だったのだ。




    ◇◆◇




「もう逃げられませんよ、ケネス氏」


 オスカーが片手をあげると、食堂の扉から聖騎士団たち、それからメメーリヤチームとルフィが姿を現した。

 しかしこの期に及んでも、ケネスは必死に言い逃れしようとする。


「な、何を仰っているのか、とんとわかりませんな」

「ですからルフィの爪の間から、犯人の血液が採取されたのです」

「血液? 知りません。なぜそれが私のものだと?」


 額に汗をかきながら視線を逸らすケネス。

 オスカーが合図を送ると、部下たちがケネスを背後から羽交い絞めにし、両腕の袖をまくり上げた。


「お、おい、何をする、やめろ!」


 ケネスは全力で抵抗するが、力で敵うはずがない。

 まくり上げられた左腕の前腕には、未だ治癒していない猫のひっかき傷があった。


「それ、二週間前に伯爵の寝室でルフィに引っ掻かれた跡でございますわね?」

「……くっ!」

「よほど深く傷つけられたのでしょう。時折腕を庇うような仕草をしていたのは、それが原因でしたのね」

「フーッ!」


 ルフィは食卓の上に飛び乗ると、ケネスの目の前で爪を立て、牙をむき、全身の毛を逆立てた。

「もう言い逃れはできないぞ!」と、言わんばかりの、渾身の威嚇である。


「指紋を警戒したところまではさすがですわ。ですが我がメメーリヤ分院は、血液や唾液、髪の毛や皮膚、些細な物証から犯人を特定できるDNA鑑定という技術を確立していますの」

「な、なんだ、それは!?」

「昨夜、あなたが飲み干したカップから唾液を採取しました。ルフィの爪に残っていた血液と照合した結果、同じ人物のものだという結果が出ましたわ」


 昨夜、ケネスの唾液を採取した後、ユージィンたちには一度メメーリヤ分院へ戻ってもらっていた。

 ユージィンの新しい魔道術式とルークのアーティファクトを組み込んだ血統因子照合儀を用いれば、とうとうこの異世界でもDNA鑑定が可能になったのだ。


「あの夜、ジュストは隠し通路で伯爵を石段の上から突き飛ばした。けれどそれでも伯爵はまだ生きていたのでしょう。そして共犯であるあなたのもとへと走った」

「共犯?」

「すでにヴァイカス王国銀行に、隠し金庫があることは調べがついています。管理人の欄にはジュスト=ロランと、ケネス=サンダース。二つの名が並んでいました」

「!」

「その隠し金庫の中にあったのは、伯爵家の台帳から消えた債券と宝飾品。つまり横領はジュストひとりの犯行ではありません。あなたもまた、伯爵家の財産を食い物にしていた共犯なのですわ」


 ケネスが逃げれば逃げるほど、マリアージュは狭い袋小路へと追い詰めていく。

 先ほどまで見せていた余裕はもうどこにもなく、ケネスは顔面蒼白になっていた。


「つまりレオポルドに頭を殴られ、石段で足を骨折し、伯爵が衰弱している今なら容易に殺せると判断し、あなたが実行した」

「違う……違う、私じゃない!」

「そしてその罪を全部ジュストにかぶせて、時計塔の上から突き落とした。あいにくジュストが殺されたのは深夜だったため、屋敷のほぼ全員にアリバイはありませんけれど」

「そ、そうだ。怪しいのは私だけじゃない! 私はあの夜、法務室に――」

「その法務室へ向かう地下の隠し通路に、ジュストの靴跡が残っていましたわ」

「……!」

「さらにもう一人、別の人物の足跡も残っていた」


 マリアージュは、ケネスの足元へ視線を落とした。


「今あなたが履いている靴を調べれば、隠し通路特有の苔と石粉が検出されるはずですわ。あなたは事件当夜、ジュストと共に隠し通路を使った。少なくとも、法務室に一人でいたという証言は崩れます」

「ば、馬鹿な……そんなものが証拠になるはずが――」

「なりますわ。そして、あなたが偽造したのはアリバイだけではありません」


 マリアージュは一枚の紙を取り出した。


「ジュストの遺書に使われたインクの成分も調べました。乾きの遅い樹脂を混ぜた、法務書類用の特殊な黒インクです」

「イ、インクの成分……だと?」

「ええ。同じ配合のインク壺が、あなたの法務室から見つかりました。ジュストの部屋からではなく、あなたの仕事場から、ですわ」

「そ、そんな……」

「あなたはジュストを薬で弱らせた後、二人で隠し通路を使い時計塔へ向かった。そしてあらかじめ用意していた遺書で自殺に見せかけた。これ以上、何か反論がございまして?」

「…………」


 次々に不利な物証を上げられ、とうとうケネスはその場で膝をついた。

 オスカーは絶望する犯人を見下ろし、冷たく告げる。


「ケネス、よく見てみろ。今お前を断罪しているこの黒猫を」

「な、何?」


 食卓の上に座るルフィの瞳が、憎しみの炎で赤く染まる。

 ケネスは「ひっ」と短い悲鳴を上げ、後ずさった。


「お前が完全犯罪だと思っていた二週間は、ルフィがその小さな足で、お前の罪を燃やさず、消さず、ただひたすらに守り続けていた二週間だ」

「その通りです。獣だからと侮りましたわね、ケネス=サンダース」


 マリアージュはルフィを抱き上げ、優雅に顎を上げる。




「この子は忠実に伯爵の無念を守り抜いた。人の言葉を持たぬ証人が誰よりも雄弁に、あなたの罪を暴いたのです」




 ――そうして、モンタルボ伯爵を殺した真犯人・ケネス=サンダースは、聖騎士団によって緊急逮捕された。




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