47話 手袋の理由
「最初から妙に人間臭い猫だと思っておりましたのよ」
古臭い隠し通路の中を歩きながら、マリアージュは呆れ気味にぼやいた。
皆の先頭を歩くのは、火の玉をいくつも浮遊させたルフィだ。
まさか猫が魔法を使えるとは。
さすが異世界。思ってもみない設定が満載である。
「みゃあ」
「最初の出会いからわたくしたちを見定めようとするし、捜査の際にやたら指図するし」
「ルフィって本当に賢いんですね! 感心しちゃうなぁ」
コーリーが素直に目を輝かせる。
エフィムは顎髭を撫でながら、しみじみと言った。
「そういえば温室で勝手に魔導ランタンがついたのも、今思えばこやつの仕業だったのじゃろう」
「むしろ魔力量でいったら、コーリーよりルフィのほうが多いかも」
「えっ、嘘っ!」
コーリーががーんと衝撃を受けた。
なぜか魔法を使える特殊な猫を、早くも全員が受け入れている。
こいつら適応能力が高すぎるだろう……と、オスカーは内心で突っ込んだ。
「階段だ」
さらに奥へ進んでいくと、行き止まりに突き当たった。
ルフィの火の玉に照らされ、角度の急な石段が姿を現す。その上には隠し扉らしきものがあった。古い木板と石壁が巧妙に組み合わさっており、通路側から見ても一見ただの壁にしか見えない。
「犯人の部屋に通じているかもしれない。皆さん、注意してください」
オスカーが一同を制し、まず一人で石段を上がった。
するとルフィが、ぴょんと彼の右肩に飛び乗る。
「お前も来るのか」
「にゃ」
当然だ、と言わんばかりである。
オスカーは肩の黒猫を気にしながら、隠し扉に手をかけた。
――ぎいぃぃぃ。
蝶番が錆びついているのか、扉はやけに重かった。力を込めると、湿った埃がぱらぱらと落ちる。さらに押し開けた先にあったのは、客間らしい空間だった。
「……え?」
室内にいたのは、一人の女性である。
突然壁から現れたオスカーと、その肩に乗るルフィを見て、彼女は完全に固まっていた。
「あ、あなたたち、一体どこから……」
「にゃん」
「ル、ルフィ……!」
その女性――キャンディスは、オスカーの肩に乗る黒猫を見るなり、青ざめて後ずさった。
オスカーは室内を素早く見回す。机には薬瓶と書類。椅子の背には厚手の手袋。窓際には、読みかけの本と小さな薬箱が置かれている。ここはキャンディスに与えられた客間なのだろう。
「隠し通路がここに通じているということは、やはりキャンディス嬢、あなたが……」
オスカーが完全に扉を開け切り、部屋へ踏み込む。
するとキャンディスは、さらに部屋の奥へ逃げた。
「ダ、ダメ……来ないで……」
「もしやあなたが――犯人?」
「お願い、それ以上近寄らないで!」
キャンディスは両目に大粒の涙を浮かべ、壁際まで追い詰められた。
遅れて、マリアージュたちも隠し通路から部屋へ出てくる。
「まぁ。隠し通路はここに続いていたんですのね」
「お願い……それ以上近づかれたら、私……っ」
キャンディスはとうとうぼろぼろと涙をこぼし始めた。
まるで自分の罪を認める直前のような表情。
だが、しかし――
「くしゅんっっ!」
次の瞬間、部屋中に大きなくしゃみが響き渡った。
見ればキャンディスの鼻の頭は真っ赤になり、首筋にはぽつぽつと赤い発疹が浮かび始めている。涙も恐怖ではなく、目の痒みから来るものらしかった。
それを見て、マリアージュはすぐにピンときた。
「オスカー殿、急いでルフィを部屋の外へ!」
「……え?」
「アレルギーですわ!」
「アレ……?」
「キャンディス嬢は、おそらく猫アレルギーなのです!」
「くしゅんっ!」
キャンディスはその場にうずくまり、苦しそうに胸元を押さえた。呼吸まで浅くなり始めている。
ユージィンが素早くルフィの首根っこをわしづかみ、コーリーがその後に続く。
「猫、退避させます! あとのことはよろしくお願いします!」
「私も行きます! ルフィ、こっちです!」
「にゃー……」
ルフィだけは納得いかないという風にもがいていたが、問答無用で室外へと連れ出された。
マリアージュとエフィムは、すかさずキャンディスのもとへ駆け寄る。
「しっかりなさって! 発作を抑える薬は?」
「薬……机の上に……」
「これじゃな」
エフィムが机の上の薬瓶を取り、キャンディスに手渡す。
さすが薬剤師というべきか、万一の時の薬はすぐ手の届く場所に置いてあった。キャンディスは震える手で薬を飲み、数分ほどでようやく呼吸を落ち着かせた。
「はぁ、はぁ……あ、ありがとうございました……」
「マリアージュ殿、これは一体……?」
アレルギーという病気自体に馴染みの薄いオスカーは、何が起こったのかわからず困惑していた。
だがマリアージュは、確信したように頷く。
「なるほど。猫アレルギーのせいで、あなたはずっと手袋をしていたのですね。触りたくてもルフィに触れられないから」
「は、はい……」
キャンディスは目尻に涙を浮かべたまま、弱々しく頷いた。
◇◆◇
しばらくして、キャンディス=ウェズリーの取り調べが始まった。
ウェズリーは父方の姓である。
場所はそのまま、彼女の客間。キャンディスは窓際のソファに腰かけ、膝の上で手袋を握りしめている。ルフィは廊下の遠くへ避難させられ、ユージィンとコーリーが見張っていた。
「このお屋敷に来てから数日たった頃、おじい様に頼まれました。もしも自分が死ぬようなことがあったら、その時はルフィをよろしく頼むって……」
キャンディスは、ぽつりぽつりと話し始めた。
「モンタルボ伯爵は、愛猫の世話を孫娘であるあなたに任せたのね」
「はい。でも私はこの通り、猫に近づくとくしゃみや発疹が出て、ひどい時は呼吸まで苦しくなってしまって……」
キャンディスはがっくりと項垂れた。
彼女が手袋をしていたのは、薬剤師だからだけではない。
ルフィに触れない体質でありながら、どうにか祖父との約束を守ろうとした。そのための防御装備だったのだ。
「オスカー団長、隠し通路の確認が終わりました!」
そこへ若い騎士が報告にやってくる。
実は隠し通路は一本道ではなかった。よくよく調べると、細い通路はいくつにも枝分かれしていたという。
「隠し通路は、伯爵の寝室、執事の部屋、厨房、法務室、客室のいくつか、礼拝堂、リネン室に繋がっておりました」
「まるで蜘蛛の巣だな」
オスカーは半ば呆れたようにため息をついた。
こんな大規模な地下隠し通路を作っているとは、さすが偏屈伯爵といったところか。
最初はキャンディスこそが真犯人かと思われた。
しかしどうやらそれは勇み足だったようだ。
「おそらくキャンディス嬢は犯人ではありませんぞ」
そこでエフィムが、マリアージュに負けず劣らずの推論を披露する。
「ほれ、先ほど通路側から扉を開いた時、蝶番が固く錆びておったじゃろう?」
「確かに、かなり重かったな」
「後ろから見ていてわかったが、扉全体が固く閉じられていたせいで、埃が大量に積もっておった。あれはわしらが開けるまで長らく使われていなかった証拠じゃ」
「ご明察。その通りですわ」
マリアージュもエフィムの考えを支持する。
「少なくともこの部屋の隠し扉は昨夜使われていません。キャンディス嬢がここから通路へ出入りした可能性は低いでしょう。ジュストが自分の部屋から隠し通路を使って抜け出したことだけは、ほぼ確実ですけれど」
つまり昨夜この部屋にいたキャンディスが隠し通路を使って外へ出た、とは考えにくい。
オスカーは腕を組み、低く唸った。
そして無礼を承知で、と前置きしてから問う。
「キャンディス嬢。あなたは祖父であるモンタルボ伯爵を恨んでいたのではありませんか?」
「私がおじい様を?」
キャンディスは一瞬きょとんとした。
それから慎重に言葉を選ぶように答える。
「確かにおじい様は私の母を勘当しました。でもそれも貴族社会のしがらみだったと、当人である母が誰よりもよくわかっておりました。ましてや父は平民の出です。反対されるのは当然のことだと」
「じゃあ、お母様は……」
「苦労はしました。でも父と私、親子三人で仲良く暮らして、決して不幸ではありませんでした。おじい様についても、母はよく言っていたんです。『父は少し人より不器用なだけなの』と」
だから私は、とキャンディスは涙ぐみながら続けた。
「一か月前、おじい様の使いが来た時、お会いしたいと思いました。遺産なんかどうでもいいんです。ただおじい様は私にとって数少ない血縁でした。噂通り気難しい方で……共通の話題はルフィくらいしかありませんでしたけど。それでも、一緒に過ごせた時間は楽しかった」
「もしかしてキャンディスさん、猫好き?」
マリアージュが尋ねると、キャンディスはぱっと顔を上げた。
「はい、それはもう! 大好きです! 特にあのもふもふした毛並みと、ぷにぷにした肉球! 最高です!」
キャンディスは拳を握りしめ、自分の猫好きを力強く訴えた。
なるほど。これなら偏屈な伯爵とも気が合ったはずだ。
「でもこの通り私は猫に触れられない体質で……。だからおじい様が亡くなった後も、何とかルフィのお世話をしないとって、いろいろ努力したんですけど」
「気持ちはわかるけれど、アレルギーを甘く見ないほうがいいわ。あなたは特に重篤な症状が出るようですし」
「うう……」
キャンディスは無念、と言わんばかりに肩を落とした。
だがその一方で、オスカーもマリアージュも、キャンディスの証言を聞いて少しだけ胸が温かくなっていた。
偏屈で孤独だとばかり思っていたモンタルボ伯爵が、短い期間とはいえ、猫を通じて孫娘と和解していたのだ。
それだけで、あの老人の晩年はどれほど救われたことだろう。
「しかしこれでまた捜査は振り出しに戻ったわけか」
オスカーは再び、眉間に皺を寄せた。
キャンディスが犯人でないのなら、再び屋敷内の者たち全員が容疑者となる。
どうしたものかと悩んでいると、キャンディスが躊躇いがちに口を開いた。
「そのことなんですが……」
「何か気になることでも?」
「事件があった夜、ルフィはずっとおじい様のそばにいたはずなんです」
「そのようね。ただし言葉がしゃべれないので、証人にはなれませんけれど」
いや、待て。
炎の魔法が使えるくらいなのだから、猫語翻訳装置でも作ればいけるのでは?
などとマリアージュがとんでもないことを考え始めた時、キャンディスはさらに顔を曇らせた。
「でもルフィ、あの夜からずっと変なんです」
「変、とは?」
「あの子、全然顔を洗わないんです」
「顔?」
「ほら、猫ってよく前足で自分の顔をなめるじゃないですか」
「ああ」
いわゆるグルーミングというやつだ。
猫の髭は、距離や空気の流れを測る大切な感覚器官である。猫は前足を舐め、その湿った足で顔を拭うことで、髭や目元の汚れを落とす。毛づくろいは猫にとって身だしなみであり、本能でもあった。
「私、あの事件以来、ルフィが顔を洗っているのを一度も見ていません。前はあんなに頻繁に毛づくろいしていたのに……」
「……」
それは遠くからずっとルフィを見ていたキャンディスだからこそ気づけた違和感だった。
確かに言われてみれば妙だ。
マリアージュも昨日から、ルフィが毛づくろいしているところを一度も見ていない。膝の上にいても、机の上にいても、彼は前足を舐めようとはしなかった。
まるでそこにある、何か大切なものを守っているかのように。
「オスカー殿、ルフィを調べますわよ」
「え?」
マリアージュは急いで立ち上がった。
黒猫ルフィ。
伯爵の愛猫で、炎の魔法を使える猫。
マリアージュたちの周囲をうろつき、捜査のたびに何かを訴えかけてきた不可思議な存在。
その彼が本当に伝えたかったメッセージとは。
「もしかしたら犯人に至る証拠は、ずっとわたくしたちの目の前にあったのかもしれません」




