39話 死因だらけの遺骨
モンタルボ伯爵家の私的墓地は、屋敷の裏手にある小高い丘の上にあった。
伯爵家歴代当主の墓碑が並ぶその場所は、手入れこそ行き届いているものの、不思議なほど人の気配がなかった。
墓前に供えられた花は、いつ捧げられたものなのかもわからないほど萎れている。花弁は乾き、風に吹かれて芝生の上を転がっていた。
「……随分と寂しいお墓ですわね」
マリアージュがぽつりと呟く。するとユージィンが抑揚のない声で後に続いた。
「金貨は好きでも、死んだ老人は好きじゃないってことだろ」
「ユージィン、言い方」
コーリーがじろりと睨み、肘でユージィンを軽く小突く。
その横でエフィムは白い髭を撫でながら、ふうむと喉を鳴らした。
「偏屈な御仁だったと聞くが、死後までこれはなかなか堪えるのう」
あれほどの財を築いた男の墓だというのに、死後に彼を訪ねる者はほとんどいないらしい。関係者や使用人たちは、墓を掘り起こすなど気味が悪いと言って誰も近づきたがらなかった。
この場にいるのは、マリアージュたちメメーリヤ分院の面々と、オスカー、それに墓守だけだ。
そして、もう一匹。
「にゃあ」
黒猫ルフィが、墓碑の上にちょこんと座っていた。
黒い尻尾をゆらりと揺らし、金色の目でマリアージュたちを見上げている。
「猫のほうがよっぽど恩義に忠実じゃのう」
「そうですわね。少なくともこの子は今も伯爵を恋しがっている」
「うっ、健気……」
「コーリー。まだ泣くのは早いですわ」
「すいません、動物には特に弱くて……っ」
目元を押さえるコーリーの横で、オスカーが墓守からシャベルを受け取った。
「私が掘りましょう」
「よろしいのですか? 聖騎士様にそのような」
「死者の尊厳を確かめるためなら、剣の代わりにシャベルを持つのは当たり前のことです」
そう言うと、オスカーは迷いなく土を掘り始めた。
さすが聖騎士というべきか、動きに無駄がない。重い土が次々と掻き出され、ほどなくして棺を納めた石室が姿を現した。ルフィがぴょんとその縁に飛び乗る。
「こら、危ない」
オスカーが手を伸ばすが、ルフィはするりとかわす。
そして石室の上に顔を寄せると、すんすんと小さく鼻を鳴らした。まるで眠っている主人の匂いを確かめるように。
その姿に、マリアージュは少しだけ目を細めた。
◇◆◇
モンタルボ伯爵の遺骨鑑定は、伯爵邸の一室を借りて行うことになった。
火葬済みの遺骨であれば腐敗の心配はない。メメーリヤ分院まで運ぶよりも、現地で保管状況を確認しながら鑑定したほうがよい。
大きな作業台に白布を敷き、棺桶に入っていた全身の遺骨を慎重に移動させた。
灰になった部分もあるが、頭蓋骨、下顎骨、肋骨、骨盤、四肢の長骨はおおむね形を残していた。焼けた骨は白く、ところどころ青灰色に変色している。
「マルコ=モンタルボ伯爵。82歳。推定身長は162センチ前後。男性としては小柄ですわね。ただし高齢者ですから、脊椎の圧迫や姿勢の変化も考慮します」
「162前後……と」
コーリーが鑑定書に書き込む。
ユージィンは記録魔法用の水晶を作業台の端に置き、鑑定の様子を残す準備を進めていた。
エフィムは古びた革鞄から、鑑定尺や凸レンズ、細い探針を取り出す。
「火葬骨は厄介じゃぞ。熱で割れたのか、生前の怪我なのか、見誤ると大恥をかく」
「その通りですわ」
マリアージュは頭蓋骨を両手で持ち上げた。
「火による亀裂は、骨の収縮に沿って表面へ細かく走ります。一方、外から力が加わった骨折には、力の方向と折れ方の癖が出ますの。断端の噛み合い、陥没の向き、周囲の焼け方。ひとつずつ見ます」
「骨だけでも、そこまでわかるのですね」
「骨は最後まで嘘をつきませんわ。嘘をつくのは、たいてい生きている人間です」
「……重い言葉だ」
オスカーが感心したように言う。
そこで黒い影がぴょんと作業台に飛び乗った。
「にゃあ」
「ルフィ!」
オスカーが慌てて抱き上げようとするが、ルフィは華麗にその手を避け、コーリーの足元をすり抜け、ユージィンの記録用クリスタルの前を横切り、最後にマリアージュの肩へ飛び乗った。
「干物! 誰か干物を持ってきてください!」
「猫じゃらしは!?」
「伯爵家に猫じゃらしが常備されていると思うのか!?」
「ちょっと! さっきからクリスタルに黒い残像しか映らないんだけど!」
部屋の中が一瞬で騒がしくなる。
ルフィは全員の慌てぶりを楽しむように、マリアージュの肩の上でのんきにあくびした。
マリアージュはしばらく沈黙した後、ひとつ息を吐く。
「……もう結構です。このまま鑑定を進めますわ」
「よろしいのですか?」
「猫に礼儀作法を説く時間が惜しいですもの」
マリアージュは改めて頭蓋骨を作業台に置いた。
「ではまず一目でわかる所見から。コーリー」
「はい! 頭頂部に大きな陥没があります!」
コーリーが挙手して、勢いよく答える。
頭蓋骨の右頭頂部には、確かに大きく凹んだ跡があった。焼けた骨の縁が内側へ沈み込み、周囲に放射状の亀裂が走っている。
「鈍器による打撃痕に見えますわね」
「病死って話だったよね?」
「長らく医術士をやっているが、頭蓋骨がここまで見事に凹む病なんて聞いたことないぞい」
ユージィンが顔を引きつらせ、エフィムがぼそりとツッコミを入れた。
オスカーも厳しい表情になる。
「では伯爵は何者かに殴られたと?」
「可能性は高いです。ただしこれだけで致命傷とは断定できません。高齢者の骨は脆いですし、転倒でも頭蓋骨が損傷することはあります。重要なのは他の骨との整合ですわ」
マリアージュは続いて下顎骨を手に取った。奥歯の一部がきらりと光る。
「あら。金歯ですわ」
「さすが伯爵。歯まで成金仕様じゃな」
「これ、外したら一本いくらに――」
「はい、そこまで。ストップ、ユージィン」
コーリーが低い声で止め、ユージィンはそっと目を逸らした。
相変わらず空気を読まない二人に呆れつつも、マリアージュは下顎骨を白布の上に戻す。今は金歯の価値を調べている場合ではない。
「次に、手ですわね」
エフィムが小さな骨をいくつか並べる。
手首と指の付け根の間にある、複雑な形をした骨だ。
「大菱形骨から小菱形骨、それに第二中手骨の基部に細かな亀裂がある。焼け割れとは向きが違うのう」
「だい……りょう……?」
聞き慣れない骨の名前に、コーリーが首を傾げる。
「手の骨ですわ。ちょうどこのあたり」
マリアージュは自分の手の甲を指さした。
「ここに損傷が集中しているということは、手を突いたか、腕を上げて何かを防ごうとした可能性があります。いわゆる防御創です」
「伯爵は誰かの攻撃から身を守ろうとした……ということか?」
「そう考えるのが自然ですわ」
オスカーの質問に、マリアージュは簡潔に答える。
頭を殴られ、手で防いだ。
それだけでも病死という診断からは大きく外れている。
しかし異常はそれだけではなかった。
「この足首も見てくださいませ」
マリアージュは脛骨と腓骨を並べ、足関節近くを指で示した。
斜めに走る骨折線があり、踵の骨にも圧迫されたような跡が残っている。
「足関節周辺の骨折。踵骨の圧潰。これは高所から落下した時、あるいは強く足から着地した時の損傷に似ています」
「あー、つまり突き落とされた可能性もあるってわけだね」
ユージィンがげんなりした顔で言う。
「可能性の一つです。自分で飛び降りたのか、誰かに落とされたのか、あるいは別の状況かは、まだわかりません」
「殴られて、手で防いで、高いところから落ちた……?」
「まだ順番は不明ですわ。けれど、これだけでも病死として片付けるには無理があります」
室内の空気が重く沈む。
オスカーは黙ったまま、作業台の上の骨を見つめていた。
その時、マリアージュの視線が肋骨で止まった。
「……右の第八肋骨をこちらへ」
コーリーが慌てて肋骨を差し出す。マリアージュは肋骨の内側を凸レンズで覗き込んだ。
「ここ。わずかに黒い影が出ていますわ」
「ただの焼け跡ではないのか?」
エフィムもまた、興味深げに身を乗り出す。コーリーはさらに鑑定書に所見を記していった。
「火葬による炭化なら、もう少し表面全体に出ます。これは位置が妙ですわ。肝臓のあった場所に近い」
「肝臓……ですか?」
「肝臓は体内に入った薬物や毒物を処理する臓器です。強い毒、あるいは長く投与された薬物があった場合、周辺の骨や灰に反応が残ることがあります」
「つまり毒を盛られていた可能性も?」
「否定できませんわ。もちろんこれだけで毒殺とは言えません。それに火葬された骨からの毒物検出は困難です。有機物の多くは高熱で分解・気化しているでしょうから」
「おいおい……また死因候補が増えてきたぞ」
クリスタルを手に持ったまま、ユージィンが頭を抱える。
その直後だった。
マリアージュの肩にいたルフィが、ぴくりと耳を動かした。
そのまま作業台へ飛び降りると、頭蓋骨のそばを回り込み、小さな骨を前足でちょいちょいと触った。
「ルフィ、そこは駄目です」
叱ろうとしたマリアージュの声が、途中で止まる。
ルフィが触れていたのは、舌骨だった。喉の奥、舌の根元を支える小さな骨である。火葬後も奇跡的に残っていたその骨に、片側だけ鋭い折れが入っていた。
「……舌骨大角の骨折」
マリアージュの声に、全員が黙り込む。ペンを走らせるコーリーが、確認のため尋ねた。
「舌骨って、喉の骨ですよね?」
「ええ。首を強く圧迫された時に折れることがあります。特に高齢者はこの大角の骨化が進んでいますから、若者より折れやすい」
「では絞殺の可能性も?」
絞殺。
オスカーが新しい死因の可能性に言及した瞬間、空気の流れが止まった。
「もちろんあります。首を絞められたのか、喉元に強い力が加わったのか。少なくとも、呼吸を妨げるような暴力があった可能性は考えるべきですわ」
「待ってください。頭を殴られて、手に防御創があって、高所から落ちたかもしれなくて、毒を盛られていた疑いがあって、さらに首まで……?」
「ええ」
「死因、多すぎませんか?」
「多すぎますわね。これで刺し傷と溺水所見が加われば、まさに他殺体の見本市ですわ」
しん、と部屋が静まり返る。
けれどその場にいる全員の瞳には、わかりやすいほど怒りが宿っていた。
なぜなら作業台の上に並べられているのは、ただの骨ではない。
ひとりの老人が最期に残した証言だ。
偏屈で、孤独で、誰にも愛されなかったかもしれない男。
それでも彼がどのように死んだのかを、嘘で塗り潰していい理由にはならない。
皆の思いを代表して、オスカーがきっぱりと言った。
「少なくともこれは病死として扱える遺骨ではありません」
「同感ですわ」
「さすがにこれはひどすぎます」
「叩けば叩くほど埃が出てきそうじゃのう」
マリアージュは白手袋の指先で、作業台の端を軽く叩く。
「遺骨鑑定はいったんここまでにします。これ以上は骨だけを見ていても答えは出ません」
「では、次は?」
「屋敷内の現場検証。それから関係者全員からの事情聴取を行います」
「りょ、了解です!」
コーリーが慌てて鑑定書に書き込む。
ユージィンはクリスタルによる記録を止め、エフィムは並べた骨を慎重に分類し直した。
その間もルフィは舌骨のそばに座り、金色の目でマリアージュを見上げている。
まるでそこに何かがあると訴えているように。
「にゃあ」
「ルフィ。あなたは一体何を見たのかしらね?」
マリアージュが優しく尋ねても、当然ルフィは答えない。
死者は語らない。
けれど骨は語る。
そして時に猫もまた、人間より多くの真実を知っている。
「マリアージュ殿、始めましょう」
皆を先導するように、オスカーが足早に出口へと向かう。
マリアージュは、素早くその後を追った。
「ええ、モンタルボ伯爵を殺した犯人が、この屋敷のどこに嘘を隠したのか――必ず見つけ出してやりますわ」




