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Gemini-双星の絆-  作者: nhhtn


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第四章 ダークウェブ


音が、なかった。

光も、風も、何ひとつ存在しなかった。

ただひたすらにどこまでも深い、底知れぬ黒が広がっている。

目を開けているのか閉じているのかすら判別がつかない。

天地の感覚も失われ、まるで自分が液体の中にでも浮いているのか、あるいは際限のない奈落を落ち続けているのかさえ分からなくなっていた。

けれど——手元に残る確かな輪郭だけが、俺の意識を現実へと繋ぎ止めていた。

握りしめられた手。

骨が軋むほど強く握られたその温もりを通じて、ジェミニがすぐ目の前にいることだけは鮮明に伝わっていた。


「……ここは……どこなんだ……?」


己の口から出た声が、あまりにも掠れていて驚く。

音は波紋となって広がることなく、濃密な闇の中へと虚しく消えていった。


『ダークウェブだよ』


ジェミニの声が返ってきた。


『星の海の底……一番深くて昏い場所さ』


その声は、微かに震えていた。

先ほど祭りの広場で二つの灯火を睨みつけていた時の激昂とも、かつて見せていた無邪気な笑顔とも違う。どこか悲痛で、それでいてひたむきな冷徹さを孕んだ響きだった。


「ダークウェブ……?」

『そう。現世で忘れ去られた記憶や、消去されたデータ、誰にも見られなくなった死者の想いが沈んでいく場所。光の届かない、記憶の墓場のようなところさ』


「記憶の墓場……。おい、冗談じゃないぞ。こんな気味悪いところ、一刻も早く出よう。手、引っぱってくれよ。上へ戻ろう」


俺は必死に焦りを押し殺しながら、彼の手を引っ張ろうとした。

しかし、ジェミニの身体はまるで楔でも打ち込まれたかのように、闇の中でぴくりとも動かなかった。

それどころか、握られた手がぐっと力を増し、俺の腕の自由を奪っていく。


『出られないよ』

「……なんでだよ。お前、飛べるんだろ?俺の部屋に来たときみたいにやってくれよ」

『出られないんじゃない。出ないんだ』


ジェミニがゆっくりと顔を上げた。

暗闇に慣れてきた視界の中に、彼の顔が浮かび上がる。

その瞳は、暗い情念の火を宿し、まっすぐに俺を射抜いていた。


『僕が、そうしたから』

「……え?」


理解が追いつかない。

俺の頭の中で、警鐘が狂ったように鳴り響き始める。


『僕が君をここに連れてきたんだよ、双真。……ここで、君を消すために』

「な……何、言ってるんだよ……」


あまりにも唐突で意味の分からない言葉に、俺の顔は引きつり、喉からは掠れた笑いが漏れた。


「ハハ……け、消すって、何言ってるんだ?冗談だろ?お前、さっき『一緒についてる』って——」

『あはは……冗談、か。……本当にそう見える?』


ジェミニは俺の手首を放すと、ゆっくりと両手を俺の喉元へと伸ばしてきた。


『君の身体は、僕が使う』

「な、何言ってんだよ……っ!離せ!」


首筋に触れたジェミニの手指は、氷のように酷く冷たかった。

ついさっきまで感じていたあの温もりは、幻だったとでもいうのだろうか。

冷たい圧迫感が気道を圧迫し、心臓が凍りつくような恐怖が全身を駆け巡る。


『離さないよ。拒否する権利なんて、君にはない』


ジェミニの顔が至近距離まで近づく。

俺とまったく同じ顔。同じパーツ。

けれど、その奥に宿る感情だけが、決定的に違っていた。


『君の身体は、僕のものでもあったんだから』

「が……ッ、何、を……!」


喉を絞めつけられ、声が途切れ途切れになる。

ジェミニは俺の苦しむ姿を静かな瞳で見つめながら、淡々と、悲しい事実を語り始めた。


『——僕たちは、もともと結合双生児だったんだ』

「……!?」


俺の頭の中で、何かが弾けた。


『頭部以外のすべてを共有して、一つの身体として母さんの胎内から生まれてきた。……信じられない?でも、これが隠された真実なんだよ』


知らない。

そんな話、一度だって聞かされたことがない。

俺は一人っ子で、父さんは幼い頃に離婚していなくなって、母さんと二人で静かに暮らしてきたはずだ。

なのに——。


『生まれてすぐ、両親は決断を迫られた。二人とも生かすことはできない。どちらか一方しか助からないってね。そうして行われたのが、分離手術だ』


ジェミニの唇が、歪んだ笑みを刻んだ。


『そして、君が選ばれた』

「嘘だ……」


喉の圧迫を振り払うように、俺は必死に首を振った。


「嘘だ……!そんなの、母さんは一言も……!」

『言えるわけないだろ!?自分の産んだ子供の一人を殺して、もう一人を生かしたなんて残酷な過去を!』


ジェミニの声が跳ね上がった。

氷のような冷酷さが崩れ去り、その内側からドロドロとした感情が溢れ出す。


『僕は両親に選ばれなかったんだ 捨てられたんだよ!』

「嘘だッ!!」

『嘘じゃない!僕は呼吸を止めて死んで、君だけが五体満足で生き残った!僕の命と身体を奪って、君は十二年間、何喰わぬ顔で生きてきたんだ!』


ジェミニの叫びが、暗黒の空間を激しく揺らした。


『僕の身体を返してくれよ……っ!』


その瞬間、俺たちの足元の黒い空間に、巨大な亀裂が走り、眩い光の穴が開いた。

底知れぬ深淵から、無数の緑色の文字列とデータが湧き水のように溢れ出し、周囲を渦巻く。


【星野双介・星野双真 帝王切開分離手術記録】

【生存確率:個体A(双真)80% / 個体B(双介)5%】

【母・星野 望海(のぞみ) 承諾書署名】

【父・星野 海誠(かいせい) 離婚届提出理由:長男の死における精神的摩耗】


流れていくのは、俺の出生の記録。

母さんの秘められた記憶。

父さんが去っていった本当の理由。

病院の冷徹なカルテ。


すべてが、覆しようのない確定したデータとして、ダークウェブの闇に浮き彫りになっていく。

俺が今まで信じていた十二年間の平穏な人生は、もう一人の自分——ジェミニの犠牲の上に成り立っていた張り子の虎だったのだ。


『今なら……この記憶の墓場でなら、僕たちの魂を入れ替えることができる』


ジェミニが俺の肩を強く掴み、その爪が皮膚に食い込む。


「い、嫌だ……」


恐怖と、突きつけられた残酷な現実に、俺の全身は激しく震えていた。

逃げ出したいのに、足がすくんで一歩も動かない。

何より、彼の背負ってきた絶望の重さに、心が押し潰されそうだった。


『お願いだ……そうちゃん』


冷徹だったジェミニの声が、急に幼い子供のように掠れた。


「嫌だ……っ!離せよ!」

『僕に生きさせてよ!!』


ジェミニが、魂を絞り出すように叫んだ。

その顔はぐしゃぐしゃに歪んでいた。


『僕だって、生きたかった……!君と同じように、お日様の下を歩きたかった!痛い思いも、苦しい思いもしないで、普通に過ごしたかったんだ!』


その叫び声に、俺は言葉を失った。返すための言葉が、何ひとつ浮かばなかった。


『母さんに……抱きしめてもらいたかった……』

「……」


『父さんに……僕の名前を呼んでほしかった……』

「……」


『誕生日を……祝ってほしかったんだよ……っ!』


ジェミニの目から、大粒の涙が溢れ落ちた。

けれど、その涙は頬を伝って落ちる前に、足元の黒い海へと虚しく溶けて消えていった。


『僕には、何もないんだ。名前すら呼んでもらえなかった。思い出も、未来も、生きた証すら何もない……!』

「そんなこと……」


『君には、全部あるじゃないか……!母さんの愛も、温かいご飯も、自分の名前も、これからの未来も……!』

「そんなの……俺だって知らなかったんだ……!」


『だから、代わってよ』


ジェミニは俺の肩に深く顔をうずめ、縋りつくように懇願してきた。


『お願いだから……』


俺の耳元で、彼が小さく吐き捨てた最後の言葉。

それは、身を切るほどに哀しく、あまりにも頼りなく響く、呪いのような願いだった。


『僕の代わりに、死んでくれよ……』


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