第三章 二つの灯火
広場の中央へと進み出た二つの巨大な舞台。
その頂に、まるで天を突くかのような巨木を想起させる二本の巨大な灯火が静かに打ち立てられた。
蒼く澄んだ冷徹な焔を宿す、一筋の灯火。
黄金のように眩い熱量を放つ、もう一筋の灯火。
『あれが、双子座の象徴だよ』
それまで俺の手を引いていたジェミニが、足を止めてぽつりと呟いた。
彼の視線を追いかけるようにして、俺は二つの灯火を見上げた。
その光はあまりにも力強く、周囲を取り囲む無数の星々の輝きすらもかすませてしまうほどだった。
「……カストルと、ポルックス」
俺の口から、無意識にその名前が零れ落ちていた。
学校の図書室で開いた星座図鑑の記憶が、頭の片隅で小さく蘇る。
死すべき宿命を背負った人間である兄、カストル。
神の血を引き、永遠の命を授かった不死の弟、ポルックス。
戦いの中で兄が命を落とした時、残された弟は自らの不死を嘆き、兄と共に死ぬことを神に祈った。
二人の深い兄弟愛に心を打たれた最高神は、彼らを交互に生と死の国へ赴かせ、ついには空へと上げて永遠に離れ離れにならない星へと変えた——。
「二人でひとつ、か」
『うん……』
ジェミニは小さく頷いた。
『——二人の兄弟が永遠に一緒にいられるように、星になったという神話だね。だからこの祭りでも、双子座の演目はいつも二人一組で行われるんだ……』
彼が視線の先では、星の光で編まれた衣装を着た二人の若者が、それぞれの灯火の前に進み出ていた。
どちらも、まだ火のついていない松明を携えている。
二人は顔を見合わせると、固く手と手を握りしめた。
祭りの演者はそれぞれ松明に火を灯すと、そこから真反対の方向——広場の東と西の果てへ向かって走り出すのだという。
そして、星々が描き出す円環の最果てに辿り着いたその瞬間、示し合わせたように同時に火を吹き消す。
太陽を表す黄金の灯火と、月を表す蒼白の灯火が夜空を均等に照らし、二つの光が同時に消えることで生と死の調和が保たれる。
それがこの催し物の儀式的な意味らしかった。
「……綺麗だな」
二人の演者が星屑の絨毯を駆け抜け、宙に美しい光の軌跡を描いていく様を見つめながら、俺は素直な感嘆を口にした。
((こんな風に支え合える兄弟がいたら、きっと心強いんだろうな……))
一人っ子として育ち、ずっと一人で過ごしてきた俺にとって、その神話はどこか眩しく、羨ましく思えた。
だが——ジェミニから返事はない。
「……ジェミニ?」
違和感を覚えて、俺は隣へと振り返った。
さっきまで無邪気に笑い、子供のように目を輝かせていた少年の顔からは、すっかり表情が消え失せていた。
その瞳は、眼前に揺らめく二つの灯火を、氷のように冷ややかな眼光で見つめている。
『……馬鹿だな』
ぽつり、と低く掠れた声が彼の唇から漏れ出た。
「え……?」
聞き間違いかと思った。
俺はまばたきを繰り返し、彼の横顔を覗き込む。
『自ら命を捨てるなんて、どうかしてる』
ジェミニの声は今まで聞いたことがないほど低く、冷たく澄んでいた。
いつもの温かい雰囲気は影を潜め、まるで全身から刺すような刃物をまとっているかのようだった。
「な、何言ってんだよ……ただの神話だろ?兄弟の絆が凄かったって話で——」
『生きられるなら、生きればいいのに』
俺の言葉を遮るように、ジェミニが呟いた。
『カストルが死んだって、ポルックスにはまだ未来があったはずだ。せっかく残された命があったのに、どうして自分から捨てようとするんだよ。生き残れたなら、兄弟の分まで必死に生きればいいじゃないか』
「でも……兄弟だろ?支え合ってきた片割れがいなくなったから、耐えられないくらい悲しかったんじゃないのか」
『だから、何?』
ジェミニがゆっくりと首をひねり、こちらを見た。
その双眸に宿っていたのは、激しい怒りと深く暗い絶望の混ざり合った色だった。
俺は思わず息を呑み、半歩後ずさりした。
『兄弟だから一緒に死ぬって?そんなの、ただの自己満足だ』
「ち、違うけど……俺は別にそんな意味で言ったわけじゃ——」
『じゃあ、なんでポルックスは死ぬんだよ!』
ジェミニの声が跳ね上がった。
周囲の祭りの狂乱を破って、彼の叫びが響き渡る。
『カストルは弟の身代わりになったんだ!自分の命を投げ出してまで庇ってくれたんだよ!?その犠牲を無駄にしてさ……。ポルックスは馬鹿だよ、本当に……』
ジェミニは噛みしめた唇から血が滲みそうなほど強く、天高く掲げられた灯火——吹き消され細く煙を上げる松明を睨みつけていた。
その瞳は大きく歪み、今にも溢れんばかりの涙が溜まっている。
なぜ彼がそこまで激高するのか、俺には分からなかった。
けれど、彼が抱えている怒りは神話の登場人物に向けられたものではなく、もっと別の——決して触れてはいけない深い傷口に向けられていることだけは、ひしひしと伝わってくる。
その時だった。
ずしん、と世界全体が大きく揺れた。
「……っ!? なんだ!?」
あまりの衝撃に、俺は足をもつれさせて膝をついた。
次の瞬間、耳をつんざくような破壊音が響き渡る。
空に浮かんでいた眩い星々は、まるでそれが最期の瞬きであるかのように一斉にバチバチとした音と強烈な閃光を放ち掻き消えていった。
「え……?」
世界が、急速に暗転していく。
さっきまでの煌びやかな祭りの風景が、ペンキを塗りつぶすように漆黒の闇へと呑み込まれていく。
黄金の羊も、白い牡牛も、巨大な天秤も、すべてが黒い泥のような塊となって崩れ落ちていった。
足元の透明な海にヒビが入り、パリンと盛大な音を立てて割れた。
立っていた足場が失われ、俺の体が再び無重力の闇へと投げ出される。
「うわあぁぁぁっ!?」
星の海が、底知れぬ黒い渦となって旋回し始めていた。
すべての記憶を、すべての光を呑み込む破滅の穴だ。
「ジェミニ——っ!!」
俺は必死に手を伸ばし、暗闇の中で叫んだ。
こんなところで迷子になったら帰れなくなる……!
『——ごめんよ』
闇の底から届いたのは、消え入りそうな声だった。
直後、俺の手首を強い力が掴んだ。
痛いほどの力。
今までで一番強く、骨が軋むほどの切実さで、ジェミニは俺の手首を握ってきた。
はぐれないように、俺もその手を握り返す。
『本当にごめん、僕——』
「ジェミニ!俺の手ェ離すなよ!」
『!……うん。離さないよ、絶対に——』
次の瞬間、俺たちの身体は巨大な黒い穴の呑遠な深淵へと、一気に吸い込まれていった——。




