第五十一話 断罪の晩餐会と砕かれた権威
大広間の重厚な扉が左右へと押し開かれた瞬間、眩いシャンデリアの輝きと何百人もの列席者の視線が一斉に僕たちへと注がれた。
豪奢な大理石の壇上では、完全に快復した領主代行ヴォルク卿が威厳に満ちた佇まいで主賓席の中央に腰を据えている。
「皆様、お待たせいたしました! 我がレムナント家が誇る筆頭賓客、そして父の命を救った奇跡の料理人――リュート様による本日の主菜の登場ですわ!」
エレナが凛とした声を響かせ、サファイアのドレスの裾を翻して壇上へと進み出た。
その背後から、僕が銀の蓋を被せた大皿を掲げ、アリアが給仕長の男を背後から短剣で牽制しながら歩を進める。
青ざめて冷や汗を流すユリウスと、眉をひそめる特務騎士の姿に、客席の大商人や貴族たちから微かなざわめきが広がった。
「おや……? ユリウス若旦那の顔色がずいぶんと優れないようだが」
「それに、あの給仕長はなぜ震えているのだ?」
ざわめきを切り裂くように、壇上のヴォルク卿が重々しく口を開いた。
「我がオルトの盟友たちよ。宴の料理を口にする前に、まずこの場で片付けねばならぬ『恥ずべき毒虫』がおる」
ヴォルク卿の灰色の瞳が、壇の脇で立ち尽くす長男ユリウスを射抜いた。
その凍てつくような眼光に、ユリウスの膝がガクガクと音を立てて震え出す。
「ち、父上……何を仰って――」
「黙れ、不忠者めが」
ヴォルク卿は手元の羊皮紙を無造作に放り投げた。
「黒鰐商会のゴロツキどもから押収した私兵金貨、そしてお主の裏口座からバルトへ流れた巨額の資金移動記録……すべて商人ギルドの監査により裏が取れておる」
「なっ……!?」
ユリウスの喉から悲鳴のような息が漏れる。
「さらに、今夜の料理に貴様らが混ぜようとした毒薬が、これですわ」
エレナが銀のトレイに乗せた小瓶を高く掲げた。
中に入った液体は、王宮禁忌薬『黒睡蓮の雫』。
「きゅうぅぅっ!」
僕の肩から跳び下りたハクが、小瓶の前で前脚を叩きつけた。
神聖な冷涼の風が広間をサーッと吹き抜け、小瓶から漏れ出た紫色の禍々しい瘴気が空中で白日の下に晒される。
「ひぃっ!? ほ、本当に猛毒ではないか!」
「領主様だけでなく、我々東部商工連合の幹部全員を毒殺する気だったのか!?」
列席していた豪商や貴族たちが一斉に総立ちとなり、怒号が嵐のようにホールを揺るがした。
「ち、違う! それは私が用意したものではない! そこの平民の飯炊きが――」
取り乱したユリウスが僕を指差そうとした、その時だった。
「――そこまでだ」
客席の奥から、白銀の装飾甲冑に純白のマントを翻し、威圧的な気迫を放つ男が歩み出てきた。
アズベルグ王国王宮特務騎士団長、ギルバート。
その後ろには、完全武装した特務騎士たちが十人以上、抜刀寸前の構えで追従していた。
「王宮騎士団……!? なぜオルトの私宴に国の軍勢が!?」
ざわめく貴族たちを意に介さず、ギルバートは冷酷な視線を壇上のアリアへと突き刺した。
「自治都市オルトの領主よ、内輪の醜聞に口を挟むつもりはない。だが、その壇上に立つ赤毛の女……【聖騎士】アリアは王家の至宝たる国家資産だ。大聖堂から不法に離脱した脱走兵として、即刻我が部隊が身柄を拘束する」
ギルバートの手が、腰の長剣の柄へと伸びる。
その傲慢な態度に、アリアの琥珀色の瞳がすっと細められた。
「国家資産? 笑わせないで。大聖堂でリュートをゴミのように笑い者にしたあんたたちの下になんて、誰が戻るもんですか」
「平民の飯炊き如きに惑わされた小娘が。……力ずくでも連れ戻すまで」
ギルバートが剣を抜き放ちかけた、その瞬間。
「我がオルトの最高名誉市民、そして街の恩人に対し、無礼が過ぎるぞ。王都の狗が」
ドォォォンッ!!
ヴォルク卿が手にした鉄杖を大理石の床に叩きつけた。
地響きのような衝撃波が広間を駆け抜け、同時に広間の扉や二階のテラスから、レムナント家の重装親衛隊とオルト商人ギルドの護衛兵が百人以上、一斉に弩弓を番えて騎士団を取り囲んだ。
「なっ……!?」
ギルバートの眉が跳ね上がる。
「オルトは王国法に基づき、完全なる治外法権と自治防衛権を持つ特別交易都市。中央の騎士団といえど、街の恩人を不当に連れ去る権限など爪の先ほども存在せん」
ヴォルク卿は冷徹に言い放ち、手元の書類をギルバートの足元へ投げつけた。
「お主らがユリウスや失脚したバルトと密約を交わし、毒殺未遂の混乱に乗じてアリア殿を拉致しようとしていた通信記録もすべて押さえておる。……これ以上の狼藉を働くならば、国家反逆の共謀者として即刻討ち果たすが、如何か?」
「くっ……!」
周囲を取り囲む無数の切っ先と、自らの陰謀の証拠を突きつけられ、歴戦の特務隊長ギルバートの顔に屈辱の青筋が浮かんだ。
「引くぞ……!」
ギルバートは吐き捨てるように踵を返し、失脚したユリウスを見捨てるようにホールから撤退していった。
残されたユリウスは腰を抜かし、レムナント家の兵によって地下牢へと引きずられていく。
「さて、不快な雑音は消え失せた」
ヴォルク卿が僕に向き直り、豪快に両手を広げた。
「リュート殿! 我が街の至宝たるお主の食卓を、今こそ披露してくれ!」
僕は静かに頷き、大皿の銀の蓋を一気に外した。
――ボワッ……!!
広間全体を埋め尽くした圧倒的な赤ワイン煮込みの芳香に、先ほどまで怒りと緊張に満ちていた客席から、一瞬で感嘆の吐息が漏れ出した。
(第五十二話へ続く)




