第四十九話 宵闇の密約と公式晩餐会の招待
黒鰐商会のゴロツキたちがレムナント家の重装騎士に引き立てられていってから、二日が過ぎた。
運河沿いの『樹海と運河の食卓』の周囲には、領主直属の警備兵が二人、目立たないように配置され、テラスには再び穏やかな日常が戻っていた。
「よいしょ、っと!」
朝の光を浴びながら、アリアが新しい看板用のイーゼルを拭き清めている。
母狼の短剣を腰に下げた立ち姿には、ゴロツキを一蹴した狩人としての鋭さと、店を支える看板娘としての朗らかさが同居していた。
「きゅうっ!」
ハクはテラス席の木製テーブルの上で、前脚を揃えてちょこんとお座りしている。
通りがかる市民たちが「ハクちゃん、おはよう!」「今日も賢いねえ」と手を振っていくたび、満足そうにふさふさの尻尾を揺らしていた。
「二人とも、そろそろ朝食にしようか」
厨房から僕が声をかけると、アリアは八重歯を覗かせて駆け寄ってきた。
「待ってました! 今朝は何を作ってくれたの?」
「今朝はね、市場で手に入った新鮮なヤギのミルクと、樹海の野生姜を使った『スパイシーホットミルク粥』だよ。胃を温めて、魔力の巡りを良くするんだ」
深皿に盛られたのは、ほんのりと黄金色の油膜が張った真っ白なお粥。
刻んだ乾燥木漏れ日葡萄が散らされ、シナモンに似た甘く刺激的な香りが湯気と共に立ち上る。
――スキル発動:【至高の食卓】。
――対象料理:霊姜ヤギミルクの滋養粥。
――付与効果:
・体内熱量の向上(冷え・悪寒の完全無効化)
・魔力循環速度の上昇(瞬発力微増)
・精神の安定と充足感
「わあ……! ミルクの甘い匂いの中に、生姜の爽やかさが混ざってて最高ね!」
アリアがスプーンを口に運んだ瞬間、琥珀色の瞳がぱっと輝いた。
「んん~~っ! ミルクが驚くほど濃厚なのに、生姜のおかげで全然重くない! 喉を通った瞬間から、お腹の底がぽかぽか温まってくるわ!」
「きゅう~~っ!」
冷ましたボウルに顔を突っ込んだハクも、鼻の頭を白くしながら夢中で平らげていく。
そんな穏やかな朝食の最中、運河に一艘の豪華な屋根付き舟が音もなく接岸した。
降り立ってきたのは、白手袋を嵌めた初老の執事――レムナント家の家令だった。
その後ろには、豪奢な衣装を纏ったエレナが、嬉しそうにサファイアの瞳を輝かせて控えている。
「おはようございます、リュート様!」
エレナが小走りに門をくぐり、テラスへと入ってきた。
「まあ、なんて美味しそうなお粥ですの……! 今朝もお父様の言いつけで、正式な書状をお届けに上がりましたのよ」
「また来たわね、この抜け駆け令嬢!」
アリアがスプーンを置き、すかさず僕の隣へと陣取る。
「朝から屋敷を抜け出して、お父様は知ってるわけ!?」
「今回は抜け駆けではありませんわ!」
エレナは胸を張り、執事から受け取った豪奢な金縁の封書をカウンターに置いた。
「三日後、お父様の快気祝いと、東部商工連合の幹部たちを集めた『公式晩餐会』が領主邸の大広間で開かれますの。お父様より、その晩餐会の総料理長として、リュート様を筆頭賓客としてお招きしたいという正式な要請ですわ」
「晩餐会の……総料理長?」
僕が目を丸くすると、エレナは一歩詰め寄り、熱っぽくサファイアの瞳を覗き込んできた。
「ええ! お父様の命を救った奇跡の料理を、都市の重鎮たちにお披露目していただくのです。そうすれば、リュート様の地位は誰にも揺るがせなくなります。……もちろん、アリアさんもハクちゃんも、私の隣の特等席にご招待いたしますわ」
「特等席……ふん、まあ、あんたにしては気の利いた提案じゃない」
アリアが腕を組み、わずかに頬を緩めながらも、視線は油断なくエレナの手元を牽制していた。
――しかし、その光に満ちた招待状の裏側。
都市の東門近く、窓を黒いカーテンで閉ざした宿屋の一室では、氷のような殺気が渦巻いていた。
部屋の奥、豪奢な甲冑の上に純白のマントを羽織った偉丈夫が、冷徹な眼光で机の上の書類を見つめていた。
胸元に刻まれたのは、アズベルグ王国王宮騎士団の紋章――その周囲を赤く縁取られた、極秘任務を司る『特務隊長』の証。
「……間違いありません、ギルバート隊長」
跪いた密偵が報告を上げる。
「運河沿いのカフェにいる赤毛の少女……間違いなく、大聖堂から姿を消した【聖騎士】アリアです。そして、その傍らにいる少年が、神授の儀で生活スキル判定を受けたあのリュートです」
「見つけたか、脱走兵どもめが」
ギルバート隊長が、氷のように冷たい声で呟いた。
「聖騎士の力は王家の所有物。田舎者の飯炊き係とままごと遊びをするために授けられたものではない。……即刻、首根っこを掴んで王都へ引きずり戻す」
「ですが隊長、連中にはオルトの領主代行ヴォルクが後ろ盾についております。不用意に手を出せば、交易都市との外交問題に発展しかねません」
その言葉に、部屋の扉がギイと開き、二人の男が姿を現した。
領主の長男ユリウスと、謹慎中の元副ギルド長バルトだった。
「その心配には及びませんよ、騎士団長殿」
ユリウスが歪んだ笑みを浮かべ、机の上に領主邸の内部見取り図を広げた。
「三日後、親父の快気祝いの公式晩餐会が開かれます。その席で、あの飯炊きガキの料理に細工をし、大規模な中毒事件を引き起こしてやります。……親父も、あのガキも、都市の重鎮たちの前で失脚する」
「ほう……」
ギルバートが目を細めた。
「混乱に乗じて、貴殿らはアリアを『反逆の容疑者』として合法的に拘束し、王都へ連れ帰ればいい。邪魔な飯炊きは、その場で処分して差し上げましょう。……互いに利がある取引だと思いませんか?」
「くくっ……完璧な策ですな」
バルトが薄汚い笑い声を漏らす。
ギルバート隊長は静かに立ち上がり、腰の長剣の柄に手を置いた。
「よかろう。三日後の晩餐会……大聖堂の屈辱を、あの身の程知らずどもに骨の髄まで思い出させてやる」
迫る公式晩餐会。
至高の料理を巡る栄光の舞台は、王国を巻き込む巨大な陰謀の決戦場へと姿を変えようとしていた。
(第五十話へ続く)




