第四十八話 迫る悪意と守護の誓い
昼下がりの穏やかな陽光が、運河の水面にきらきらと反射していた。
モーニングの喧騒が一段落したテラス席では、仕込みを終えた僕たちが遅めの昼食を兼ねて一息ついていた。
「ふぅ……今日も完売ね! あのクロワッサン、焼き上がるそばから飛ぶように売れていくんだもの」
アリアがテラスの手すりに背を預け、冷たいハーブティーを喉に流し込む。
赤銅色のポニーテールが風に揺れ、その琥珀色の瞳は充実感で満ちていた。
「きゅうっ!」
ハクはテーブルの下のクッションの上で、お腹を上に向けて無防備に転がっている。
街の人たちに散々可愛がられ、美味しい蒸し肉をもらって、すっかり極楽気分らしい。
「街の人たちも喜んでくれたし、この場所にお店を開けて本当によかったよ」
僕が微笑みながら手帳に今日の仕入れ値を書き留めていた、その時だった。
――ガシャンッ!
静かな運河沿いの空気を切り裂いて、テラスの鉄製門扉が乱暴に蹴り開けられた。
敷石を踏み鳴らして侵入してきたのは、柄の悪い革鎧を着込み、腰に錆びた長剣や棍棒を下げた五人の男たちだった。
全員が酒と安煙草の匂いを撒き散らし、下卑た濁った目でテラスを見回している。
「おいおい、ここが噂の無許可営業のモグリカフェかい? いい気候にのんびり茶をしばいてんじゃねえぞ、ガキども」
先頭に立つ筋骨隆々の大男が、手にした鉄パイプを掌に打ち付けながら嘲笑った。
「……誰よ、あんたたち」
アリアが静かに立ち上がった。
その声のトーンは低く冷え切っており、狩人の鋭い気配がテラスの空気を一瞬で凍りつかせる。
「俺たちかい? オルトの裏通りを取り仕切る『黒鰐商会』のもんよ。……この区画で商売をするなら、俺たちに上納金を払うのが筋ってもんだろ? 銀貨五十枚……払えねえなら、その看板と厨房をぶっ壊して、奥の美味そうな赤毛の小娘を連れて行くがな!」
男たちの下卑た笑い声。
だが、僕の【至高の食卓】は、彼らの粗雑な言動の裏にある『別の匂い』をはっきりと嗅ぎ取っていた。
――スキル発動:【至高の食卓】。
――対象看破:裏社会の雇われゴロツキ。
――背後関係看破:所持品にオルト商人ギルドの旧式封蝋、およびレムナント家の私兵用金貨を検知。
――真の目的:営業妨害による店舗破壊、およびアリアの誘拐・拘束。
(やっぱり……バルトと、あのユリウスって人が差し向けたんだ)
みかじめ料の要求などただの口実。最初から僕たちを潰すために送り込まれた刺客だ。
「おい、聞いてんのか飯炊きガキ! まずはその生意気なツラを――」
大男が鉄パイプを振り上げ、僕の立つカウンターへ踏み込もうとした瞬間。
――シュパッ!
視界がブレるほどの速度で、白銀の影が宙を舞った。
アリアの蹴りが、大男の手首を正確無比に撃ち抜いたのだ。
「ぐわぁっ!?」
鉄パイプが石畳に甲高い音を立てて弾け飛ぶ。
「きゅうぅぅっ!!」
同時に、クッションから跳び起きたハクが、テラスのテーブルの上へ着地した。
額の銀色の霊紋が眩く発光し、小さな身体から吹き荒れたのは、かつて樹海の厄災を打ち砕いた【銀嶺狼】の神聖な暴風。
ドォッ!と突風が吹き抜け、残る四人の男たちがたまらず尻餅をついた。
「な、なんだこの獣は……突風を操ってやがる……!?」
「ひ、怯むな! たかが女とガキだ、囲んで殺せ――」
「させないよ」
僕は調理台のスパイスラックから、乾燥させた『樹海の激辛赤山椒』の微粉末が入った硝子瓶を手に取った。
――スキル発動:【至高の食卓】。
――即席調律:微粉末スパイスの指向性噴射。
蓋を開けて息を吹きかけると、赤山椒の粒子がハクの風に乗って、立ち上がろうとした男たちの顔面へピンポイントで直撃した。
「ぎゃあああああっ!? め、目がぁぁぁっ! 鼻がもげるぅぅっ!!」
「息が……息ができねえぇっ!!」
激痛と刺激臭に悶絶し、男たちが涙と鼻水を垂れ流して石畳を転げ回る。
そこへ、アリアが冷徹な足取りで歩み寄り、リーダー格の大男の首元に母狼の短剣の切っ先を突きつけた。
「あんたたち、誰に雇われたか吐く気になった? それとも、このまま運河の底に沈めてあげようか?」
「ひ、ひぃぃっ……! た、助けてくれ……俺たちは金をもらって、店を壊せと頼まれただけで――」
「――そこまでじゃ、下衆どもが」
門扉の外から、低く地響きのような怒声が轟いた。
振り返ると、そこには黒塗りの豪奢な馬車と、完全武装したレムナント家の重装騎士たちが二十人以上、通りを完全に封鎖していた。
馬車から降りてきたのは、仕立ての良い漆黒のマントを羽織ったヴォルク卿だった。
病み上がりとは思えない圧倒的な威圧感を放ち、冷徹な目で転がるゴロツキたちを見下ろしている。
「レ、レムナント卿……!? な、なぜここに……!?」
ゴロツキたちが絶望に顔を引き攣らせる。
「オルトの最高名誉市民たるリュート殿の店で暴挙を働き、我がレムナント家の私兵金貨を懐に忍ばせておるとはな。……裏引きを指図した者の正体など、調べるまでもなかろう」
ヴォルク卿の灰色の瞳が、怒りで燃え盛っていた。
「騎士たちよ、このネズミどもを地下牢へ叩き込め。首謀者の名をすべて吐くまで、一切の容赦は無用じゃ」
「「はっ!」」
騎士たちが一斉にゴロツキたちを取り押さえ、引きずっていく。
騒動が片付くと、ヴォルク卿は僕とアリアに向き直り、深く頭を下げた。
「不愉快な思いをさせたな、リュート殿、アリア殿。……息子の愚行、父親として恥じ入るばかりじゃ」
「ヴォルク卿、気づいていたんですね」
「うむ。儂を毒殺しようとした影と、バルトの動き……すべて調べはついておる。……だが、奴らはさらに危険な『王都の特務騎士団』をこの街に引き入れようとしておる」
ヴォルク卿は運河の先、街の外縁部を睨み据えた。
「奴らの企みは、儂が街の全権を懸けて叩き潰す。……お主たちの美味なる食卓は、このオルトが命に代えても守り抜くとな」
西の空が赤く染まり、街に夜の気配が落ちていく。
兄ユリウスとバルトの凶行を退けた僕たちの前に、いよいよ王都騎士団という本物の嵐が迫りつつあった。
(第四十九話へ続く)




