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病弱だった僕の未練は、美味しいご飯を食べることでした〜ハズレスキル判定から始まる、狩人少女との美味なる異世界辺境スローライフ〜  作者: 天野 雀


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第四十六話 領主の全快と二人の少女の火花

領主邸の最上階の寝室には、張り詰めていた死の気配など跡形もなく、清々しい春風のような香気が満ちていた。

 ベッドの背もたれに身体を預けたヴォルク卿は、半年ぶりに自らの手で銀のスプーンを握り、空になった小椀を満足そうに見つめていた。

「……信じられん。喉の奥に小骨が引っかかったような拒絶感が、綺麗さっぱり消え去っておる。それどころか、手足の先まで血が巡り、力が漲ってくるようじゃ……」

 こけていた頬には確かな赤みが差し、その灰色の瞳には、大陸東部を牛耳る辣腕の豪商としての光が完全に甦っていた。

「父上……本当によかった……!」

 跡取りの青年が涙を拭い、医師や執事たちも信じられないものを見るように僕へ向けて深々と腰を折っている。

――スキル発動:【至高の食卓】。

――対象状態:ヴォルク・レムナント(快復率:完全正常域へ移行)。

――消化機能:正常化完了。常食摂取可能。

――付与効果:全快祝いの活力ブースト(持続性気力向上)。

「リュート殿、と言ったな。……名立たる名医や宮廷の料理番すら匙を投げた儂の命を、お主はたった一杯の温かいスープで繋ぎ止めてくれた。この恩、生涯かけても返しきれん」

 ヴォルク卿がベッドから降りようとするのを僕が押し留めると、豪商は柔らかな笑みを浮かべ、傍らに立つ愛娘へと視線を向けた。

「エレナ。お主が取り乱して無礼を働かなかったか、少々心配じゃったが……」

「お、お父様……! 無礼だなんて、そんなことあるはずありませんわ!」

 エレナは胸元で両手を合わせ、サファイアの瞳を潤ませながら僕へと一歩詰め寄ってきた。

 透き通るような白い肌が、隠しようもない熱を帯びて桜色に染まっている。

「リュート様は、お父様の命の恩人であると同時に……私の、心の救い主ですもの。あのような奇跡の美味を紡ぎ出す殿方が、この世に実在するなんて思ってもみませんでしたわ。……リュート様、お願いです。このお屋敷に、私の専属料理人……いえ、レムナント家の特別顧問として、ずっと滞在してはいただけませんか?」

「え、ええと……」

 深窓の令嬢からのあまりに真っ直ぐな好意と懇願に、僕がたじろいだ、その瞬間。

 スチャッ、と鋭い足音と共に僕の正面へ立ちはだかった影があった。

「そこまでよ、お嬢様!」

 アリアだった。

 腕を組み、仁王立ちになった彼女は、琥珀色の瞳をギラギラと燃え上がらせてエレナを睨みつけていた。

「さっきも言ったけど、リュートは私の相棒なの! こんな金ピカの鳥籠の中に閉じ込められたりしないわ! 私たちはね、世界中の美味しいものを探して旅するって決めてるんだから!」

「まあ……鳥籠だなんて、人聞きの悪いことをおっしゃいますのね」

 エレナも怯むことなく、すっと背筋を伸ばして一歩も引かない。

「私はリュート様の類まれなる才能を、最も安全で、最も格式高い環境で花開かせて差し上げたいと願っているだけですわ。野蛮な狩人の方と街外れで野宿同然の生活をさせるより、我がレムナント家の庇護の下に置くほうが、リュート様のお体にとってもよろしいはずです」

「なっ……! 野蛮!? 野宿同然ですって!?」

 アリアの額に青筋がピキリと浮かび、赤銅色のポニーテールが怒りで跳ね上がった。

「私たちの拠点はね、運河沿いの立派な洋館よ! それに、リュートの料理の一番のファンは私なんだから! あんたみたいに昨日今日スープを一口飲んだだけのぽっと出のお嬢様に、私たちの絆が分かってたまるもんですか!」

「ぽ、ぽっと出……!? 味の真価を理解するのに、時間の長さなど関係ありませんわ! あの一口で、私の心はリュート様に奪われてしまいましたもの!」

「奪われたとか堂々と言ってんじゃないわよ、この泥棒猫!」

「な、なんですって!? 無礼にも程がありますわ、この野良猫!」

 バチバチバチッ!!

 二人の美少女の視線が交錯する空間に、幻の火花が激しく散る。

 病室の空気が、別の意味で張り詰めていく。

「きゅう~~……」

 僕の足元で、ハクが前脚で両目を覆い、完全に「見てられない」という様子で首を横に振っていた。

「こ、これ……エレナ、アリア殿、二人ともそこまでにせんか」

 苦笑いを浮かべたのは、ベッドの上のヴォルク卿だった。

「娘がここまで感情を露わにする姿など、生まれて初めて見たわい。……リュート殿、どうやらお主は、儂の命だけでなく娘の心まで丸ごと奪ってしまったようじゃな」

「め、滅相もありません……!」

 僕が頭を掻いて恐縮していると、ヴォルク卿は表情を引き締め、真剣な眼差しで僕たちを見据えた。

「アリア殿の言う通り、お主たちのような傑物を無理に屋敷へ囲い込むつもりはない。だが、レムナント家の看板を懸けて、お主たちの最大の盾となることは約束しよう。……特に、最近不穏な動きを見せている『王都の特務騎士団』に対してな」

「王都の騎士団……」

 アリアがハッと表情を改め、エレナとの睨み合いを止めた。

「うむ。街の裏社会や商人ギルドの不穏分子を使い、アリア殿を探り回っておる連中がおる。……だが案ずるな。オルトの自治権を握る儂が健在である限り、あのような腐敗した騎士どもに好き勝手はさせん。お主たちの『樹海と運河の食卓』は、このヴォルクが全力で守り抜く」

 力強い豪商の言葉。

 それは、街の最高権力者が僕たちの絶対の味方についた瞬間だった。

「ふふっ、お父様がそうおっしゃるなら……私も、毎日お忍びでお店に通わせていただきますわ、リュート様」

 エレナが上目遣いでサファイアの瞳を輝かせ、ふわりと微笑みかける。

「ちょっと! 毎日は来させないわよ! 出禁にするからね!」

 即座に割り込むアリアの抗議を背中に受けながら、僕たちの新天地での暮らしは、ますます賑やかで波乱に満ちたものになろうとしていた。

その影で、何かが暗躍しようとしていることを、僕達はまだ知らなかった。


(第四十七話へ続く)

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