第三十八話 黄金の商人ギルドと冷ややかな視線
白亜の城門をくぐり抜けた瞬間、全身の毛穴が泡立つような喧騒と熱気が僕たちを包み込んだ。
敷き詰められた滑らかな石畳の上を、鉄輪を嵌めた無数の馬車がガラガラと音を立てて行き交い、道の両脇には所狭しと露店や豪奢な商店が立ち並んでいる。
「……すごい人混みね。王都の大通りよりずっと活気があるんじゃない?」
アリアが周囲を見回しながら、感嘆の息を漏らした。
通りを行き交う人々は、仕立ての良い絹の服を着た商人から、異国の民族衣装を纏った隊商、巨大な斧を背負った傭兵まで実に多彩だ。
「きゅうっ……!」
僕の肩に掴まったハクが、鼻先をひくつかせながら耳をパタパタと動かしている。
串焼きの香ばしい煙、スパイスのピリッとした刺激、果実酒の甘い薫香。森の中では嗅いだことのない雑多な匂いの奔流に、ハクの金色の瞳は好奇心でまん丸になっていた。
「驚くのも無理はないわい。オルトは東部最大の富が集まる場所じゃからな」
御者台のダグラスが、誇らしげに手綱を捌きながら馬車を大通りの脇道へと滑り込ませた。
「さて、まずは儂の古巣でもある『オルト商人ギルド本部』へ向かうぞ。樹海の霊水と世界樹の雫実……あの国宝級の品を正式に換金し、お前さん方の身分を『特級仕入れ人』として登録するためにな」
「特級仕入れ人?」
僕が聞き返すと、ダグラスは太い指を一本立てて頷いた。
「そうじゃ。ギルドの信用状があれば、都市の中での拠点購入も、税の減免も思いのままじゃ。王都の騎士団が万が一嗅ぎつけてきても、自治権を持つ商人ギルドの保護下にあれば、迂闊には手を出せんからの」
「なるほどね。……後ろ盾を作るってわけね」
アリアが納得したように頷く。
馬車は運河沿いの美しい大通りを抜け、都市の中央広場へと出た。
そこにそびえ立っていたのは、大聖堂にも劣らない威容を誇る、白大理石と真鍮で装飾された巨大な洋館――オルト商人ギルド本部だった。屋根には天秤を模した巨大な黄金の彫像が掲げられ、巨万の富を誇示している。
馬車を預けた僕たちは、ダグラスに連れられて正面の重厚な回転扉をくぐった。
吹き抜けの広大なエントランスホールには、数十の受付カウンターが並び、分厚い羊皮紙の帳簿を抱えた商人や職員たちが忙しなく早足で行き交っている。
「ふむ……特級素材の査定窓口は二階の貴賓室じゃな。案内を頼むとするかの」
ダグラスが受付へ向けて歩み出した、その時だった。
「おや? これはこれは……どなたかと思えば、落ち目のダグラスさんではありませんか」
ホールの絨毯を踏みしめる靴音と共に、ねっとりと油の染みたような声が響いた。
振り返ると、そこには金糸の刺繍が施された豪奢なビロードの上着を羽織った、痩身の男が立っていた。細い顎に整えられた口髭、そして何よりも、人を見下すことに慣れきった冷淡な細目。
「……バルト副ギルド長」
ダグラスの丸い顔が、目に見えて強張った。
「ひと月ほど姿を見せないと思えば、まだくたばらずに行商を続けておられたのですか。樹海の周辺などという不毛の地へ逃げ出して、小銭でも拾えましたかな?」
バルトと呼ばれた男は、扇子で口元を隠しながら嘲笑を漏らした。
「儂の商売に口を出すな。今日は正式な取引の手続きに来たのじゃ」
「ほう、正式な取引?」
バルトの冷ややかな視線が、ダグラスの背後に立つ僕とアリア、そして肩の上のハクへと移動した。
質素な旅装の少年と、狩人の少女。
門番と同じく、都市の洗練された貴族や富豪とは程遠い僕たちの風貌を見て、バルトの細目が露骨な嫌悪の色を帯びる。
「くくっ……ずいぶんと落ちぶれたものですね、ダグラスさん。金に困って、身寄りのない難民のガキどもを丁稚に雇ったのですか? おまけに、得体の知れない野良犬まで連れ込んで……ここは格式あるギルド本部ですよ。家畜の持ち込みは規約違反だとご存知ないのですか?」
「きゅうぅっ……!」
野良犬呼ばわりされたハクが、尖った耳を後ろへ倒し、低く喉を鳴らした。
「無礼な口を利くな、バルト! このお二方は儂の大切な取引相手であり、連れているのは由緒正しき上位霊獣じゃ!」
ダグラスが顔を真っ赤にして怒鳴るが、バルトは鼻で笑って肩をすくめるだけだった。
「上位霊獣? 冗談も休み休み言いなさい。田舎者の拾ってきた小犬を霊獣に見せかけて高く売りつけようという浅知恵でしょう。……いいですか、ダグラスさん。あなたの査定枠など、今のギルドには一分たりとも残っていませんよ」
バルトは冷徹に言い放ち、手元の帳簿をパチンと閉じた。
「粗悪な森の木の実や獣の毛皮など、買い取るだけ時間の無駄です。本部に恥を晒す前に、さっさとその貧乏たらしい連中を連れて裏通りの安物市へでも行くことですね」
周囲のギルド職員や他の商人たちからも、クスクスと忍び笑いが漏れ聞こえてくる。
落ち目の行商人と、田舎者の少年少女。
圧倒的な嘲笑と侮蔑の視線が、僕たちを取り囲んでいた。
アリアの腰の手が、短剣の柄へと伸びかける。
けれど、僕はそっとアリアの腕に手を置き、静かに首を横に振った。
――怒る必要なんて、どこにもない。
相手が商人なら、言葉ではなく「商品」で黙らせればいいだけの話だ。
「バルト副ギルド長、でしたっけ」
僕は一歩前に出ると、背負い袋の留め具を外し、陶器の小瓶を一つ取り出した。
「僕たちの持ち込んだ素材が粗悪品かどうか……その自慢の鑑定眼で、確かめてもらえますか?」
僕の手の中で、世界樹の雫実を詰めた小瓶が、微かに琥珀色の光を放ち始めていた。
(第39話へ続く)




