第三話 決別の誓いと旅立ち
「――おい。あんたたち、今なんつった?」
大聖堂の静寂を切り裂いたのは、地を這うような低く冷たいアリアの声だった。
つい先ほどまで【聖騎士】の発現に目を輝かせていた少女の面影はそこにはない。琥珀色の瞳を限界まで吊り上げ、拳を白くなるほど強く握りしめながら、階段下の騎士団幹部を両断せんばかりの眼光で睨み据えていた。
「な、なんだ急に……」
豪奢な甲冑を着込んだ四十がらみの騎士団幹部が、少女の放つただならぬ気迫に気圧され、思わず眉をひそめて後ずさる。
「アリア、ダメだよ……っ」
僕は慌てて駆け寄り、彼女の袖を引いた。
相手は王宮騎士団の重鎮だ。平民の僕たちが逆らっていい相手じゃない。けれどアリアは僕の手を払うどころか、その小さな手で僕の手首を力任せに握り返してきた。
「リュートは黙ってて。……おい、偉そうに着飾った騎士様よ。私のリュートを『無能の飯炊き』だの『時間の無駄』だの、好き勝手言ってくれたよな?」
「……ふん、事実を口にしたまでだ」
幹部の男はすぐに威圧的な態度を取り戻し、冷たく吐き捨てた。
「そいつのスキルは戦闘値ゼロのゴミ屑に過ぎん。だが小娘、お前は違う。天賦の【聖騎士】だ。貧民街同然のド田舎など捨て、王宮騎士団へ来い。お前の実家にも手厚い俸給と仕送りを約束してやる。あんな役立たずの雑用係とは、最初から立っている世界が違うのだ」
親を楽にさせたい――それがアリアのたったひとつの願いだった。
その急所を突くような、酷く尊大な物言い。
一瞬、アリアの肩が小さく震えた。僕の胸にちくりと痛みが走る。アリアの将来を考えれば、僕が身を引くべきなのは分かっている。なのに――。
「……ふざけんな」
ぽつりと落とされた言葉は、次の瞬間、大聖堂の天井を震わせる咆哮となって爆発した。
「誰がてめえらの施しなんか受けるか、このブタ野郎がぁッ!!」
広間中の空気が凍りついた。神官長も、居合わせた貴族たちも、信じられないものを見たように口をあんぐりと開けている。
「親への仕送りならな、私が自分の腕一本で魔獣を山ほど狩って稼いで送る!大切な幼なじみを笑い者にするような腐れ外道の下で、誰が誇りある騎士になんかなるもんか!その薄汚ねえ推薦状、目にでも突っ込んでろ!!」
「き、貴様ぁッ!? 平民の分際で無礼にも程があるぞ! 衛兵、その小娘を取り押さえ――」
「誰に刃向かってんのか分かってんのか?」
ドンッ、と大聖堂の大理石の床が鈍い音を立てた。
アリアが一歩踏み出しただけで、目に見えるほどの黄金の闘気が彼女の全身から立ち上る。【聖騎士】の絶対的な威圧感。並の大人なら気絶しかねないほどの殺気に、腰の剣に手をかけた騎士たちが青ざめてその場にへたり込んだ。
「行くわよ、リュート!」
「えっ、ちょ、アリア――!?」
ぐいっと腕を引かれ、僕たちは怒号と混乱が渦巻く大聖堂を駆け抜けた。
重厚な扉を飛び出し、王都の裏路地を抜けて、ようやく大聖堂の尖塔が見えなくなる噴水広場の片隅まで逃げ込んだ。
「はぁ……はぁっ……! ざまあみなさいよ、あの偉そうな連中!」
肩で息を切らしながらも、アリアは胸のすくような満面の笑顔を浮かべていた。けれど、僕は申し訳なさで胸が押し潰されそうだった。
「……ごめん、アリア。僕のせいで、騎士団への道が……お父さんやお母さんを楽にさせるチャンスだったのに」
「バカ言ってんじゃないわよ!」
アリアは僕の両肩を掴むと、その大きな瞳で僕を真っ直ぐに見つめた。
「あんたをコケにされて黙ってるような奴が、誇りある騎士を名乗れるわけないでしょ!それに、言った通りよ。金なら私が狩りで稼ぐ。あんたは私の隣で、誰よりも美味い飯を作って待ってればいいの!」
その言葉の温かさに、視界がじんわりと滲んだ。
「――まったく、元気のいいお嬢さんじゃな」
不意に、背後から穏やかな老人の声が響いた。
跳ね起きるように振り返ると、そこには息を切らした大聖堂の神官長が立っていた。護衛の騎士は連れておらず、手には使い古された革の鞄を提げている。
「神官長様……!? 騎士団の追手ですか!?」
アリアが即座に僕を背中に庇い、警戒の姿勢をとる。しかし、老神官長は困ったように眉を下げ、優しく両手を振った。
「そう身構えるでない。儂はあんな狭量な騎士どもと一緒くたにされたくはないわい。……リュート君、じゃったな」
「は、はい……」
神官長は僕の前に歩み寄ると、その皺だらけの温かい手で僕の肩をぽんと叩いた。
「すまなかったな。あの場では、国の掟として戦闘スキルかの有無を明確に答える必要があった。それによって騒ぎの火種となってしまい、申し訳なく思っておる。だがな、儂は長年この儀式を見てきて思うのじゃ。力とは、戦うためだけにあるのではない」
神官長は鞄から、年季の入った一冊の分厚い手帳を取り出し、僕に手渡してくれた。
「儂が若い頃に書き留めた、王国の野草や食材、辺境の風土を記した覚書じゃ。【至高の食卓】……太古の書にも、ただ『人を満たし、命を繋ぐ奇跡』とだけ記されていた。戦闘には使えんかもしれんが、人を温かくする、実に君らしい良い力じゃよ。美味い飯で、君自身の人生を豊かにしなさい」
「神官長様……」
「さあ、行きなさい。東の街道を抜ければ、魔獣は多いが実り豊かな辺境の森『ヴェルデの樹海』へ至る。アリアさんの腕があれば獲物に困ることはあるまい。……君たちの旅に、神の祝福があらんことを」
神官長は優しく微笑み、大聖堂へと引き返していった。
「……いい爺さんじゃない」
アリアがぽつりと呟き、僕の手帳を覗き込んでニカッと笑った。
「決まりね、リュート! 目指すは東の辺境よ! そこで世界一美味いもの、腹いっぱい食べましょ!」
「うん……!」
前世の病室で、ただ憧れるだけだった「温かい食事」と「生きている実感」。
僕たちの新しい人生が、いま鮮やかに動き出そうとしていた。
(第4話へ続く)




