第二話 光の聖騎士と、無価値の食卓
王都の大聖堂は、威圧感を覚えるほどに巨大だった。
天を突き刺す白亜の尖塔、色鮮やかなステンドグラスから差し込む七色の光条、そして石造りの床に響き渡る無数の足音。
ルミナ村から乗り合い馬車に揺られること丸一日。
僕とアリアは、王国中から集まった同年代の子どもたちと共に、大聖堂の広間に整列していた。
「……すごい人ね。リュート、平気? 酔ってない?」
隣に立つアリアが、心配そうに僕の顔を覗き込んできた。
「うん、大丈夫。全然平気だったよ」
前世の僕なら、車に数分乗っただけで酷い吐き気と貧血で倒れていただろう。
けれど今の体は、深く息を吸い込むたびに全身へ酸素が行き渡るのがわかる。健康であるというだけで、世界がこれほど鮮やかに見えるものなのかと感動すら覚えていた。
「ならいいけど。無理は禁物よ。……いよいよ、始まるわね」
アリアがぎゅっと小さな拳を握りしめる。
その視線の先、一段高くなった祭壇の中央には、淡い光を放つ巨大な青水晶が鎮座していた。あれが神託の水晶――触れた者の魂の本質を読み取り、生涯を共にする固有スキルを顕現させる奇跡の遺物だ。
アリアは以前、村で語っていた。
――私は絶対に騎士のスキルを引いて、王宮騎士団に入るんだ。
決して名誉欲や自己顕示欲からではない。貧しい村で朝から晩まで泥だらけになって働く両親を、少しでも早く楽にさせたい。騎士団の手厚い俸給と仕送りがあれば、村の家族に豊かな暮らしをさせてあげられる。
彼女の真っ直ぐな瞳には、家族を背負う覚悟が宿っていた。
「次! ルミナ村の者、前へ!」
祭壇の脇に立つ、豪奢な祭服を纏った神官長が鋭い声を張り上げた。
列の最前列にいたアリアが、僕に振り返って小さく頷く。
「行ってくるわ、リュート」
「うん。頑張って、アリア」
アリアが背筋を伸ばし、祭壇の階段を上がっていく。
その堂々とした足取りに、周囲の神官や、儀式の見学に来ていた王宮騎士団の幹部たちから「ほう」と感嘆の声が漏れた。
アリアが青水晶の前に立ち、深呼吸を一つして、その両手を水晶の表面へと置いた。
次の瞬間。
――カッ!!
視界が白く染まるほどの、眩い黄金の閃光が弾けた。
大聖堂のステンドグラスを震わせるほどの魔力の波動が広間に吹き荒れ、見物人たちが一斉にざわめく。
「な、なんだこの光は……!?」
「水晶が、黄金に共鳴している……!」
水晶の内部に、神聖な光の文字が浮かび上がった。
それを読み取った神官長の目が、信じられないものを見るように見開かれる。
「――こ、これは……! 【聖騎士】……ッ! 天賦の戦闘適性と、神聖加護を宿す最上位の武芸スキルじゃ!!」
広間が爆発的な歓声とどよめきに包まれた。
「平民の少女から聖騎士が出ただと!?」
「王宮騎士団の第一隊に即刻推薦すべきだ! 逸材中の逸材だぞ!」
騎士団の幹部たちが身を乗り出し、興奮を隠せない様子で叫び合っている。
祭壇の上のアリアは、一瞬驚いたように目を見張った後、満面の笑みを浮かべて両手を掲げた。
遠く離れた僕へ向けて、得意げに親指を立ててみせる。
(よかった……! アリアの願いが叶ったんだ)
これで彼女の親御さんも報われる。アリアの努力が認められたのだ。僕も胸が熱くなり、力いっぱい拍手を送った。
「次! 同じくルミナ村、リュート!」
神官長の声に呼ばれ、僕は息を整えて階段を上がった。
すれ違いざま、アリアが「あんたも続きなさいよ!」と興奮気味に僕の肩をポンと叩いて励ましてくれた。
黄金の余韻が残る水晶の前に立つ。
周囲の視線は、まだアリアという大当たりの余熱に浮き立っており、続く僕に対しても「同じ村なら、こちらも何か戦闘系のレアスキルでは」という期待が混ざっていた。
(神様、僕は戦う力なんていりません)
(ただ、健康な体で、美味しくご飯が食べられて、大切な人と温かい食卓を囲めるような……そんな力があれば十分です)
前世の白い病室を思い返しながら、僕は青水晶にそっと手を触れた。
水晶が一瞬、淡く白濁した光を放ち――それきり、静まり返った。
アリアのような神々しい爆発も、魔力の突風も何一つ起きない。ただ、小さな文字が水晶の底にぼんやりと浮かび上がっただけだった。
「む……? どれ……」
期待に満ちた顔で水晶を覗き込んだ神官長が、文字を認識した瞬間、その眉を露骨にひそめた。
「……スキル名は……【至高の食卓】……?」
「食卓……? 戦闘スキルではないのか?」
階下の騎士団幹部が怪訝そうに尋ねる。
神官長は、魔力測定用の羊皮紙をパラパラとめくり、次にそばにあった本を手に取り、何かを確認した後困惑したような声で告げた。
「戦闘値や適性魔力は下限のようじゃが……要するに、生活・調理を補助するスキルのようじゃな。もっとも、古い書物の後ろの方に数行書かれている程度で、儂も二十年以上この儀式を取り纏めてきて初めて見る珍しいものじゃよ」
一瞬の静寂の後。
大聖堂のあちこちから、先ほどの熱狂を嘲笑うような冷たい笑い声が湧き起こった。
「なんだ、ただの飯炊き係かよ」
「聖騎士の後にこれとは、落差が酷すぎるな」
「時間の無駄だった。戦場に立たせたら一秒で魔獣の餌だ」
騎士団の男たちや貴族の子弟たちが、蔑むような視線を隠しもせずに投げつけてくる。
それどころか、これ以上関わるのも汚らわしいとばかりに、手の甲をヒラヒラと振った。
「終わりだ。無能な飯炊きに用はない。さっさと祭壇を降りろ」
突き刺さるような嘲笑と、冷酷な侮蔑。
けれど――。
(……至高の、食卓……!?)
僕の心臓は、周囲の冷たい視線とは真逆の熱さで、激しく跳ね上がっていた。
誰にも見えない僕の頭の中に、スキルの詳細が滝のような情報となって流れ込んできたからだ。
――あらゆる食材の特性看破。
――滋養と潜在能力を極限まで引き出す神聖調理法。
――魂を満たす美味の創造。
(これがあれば……僕の手で、本当に美味しい温かいご飯が作れる……!)
戦闘なんかできなくていい。名誉なんていらない。
前世で何一つ口にできず、チューブの点滴だけで終えた僕にとって、このスキルは神様から授かったどんな聖剣よりも尊い、本物の奇跡だった。
「やった……!」
思わず小さく拳を握りしめ、顔を綻ばせる僕。
その様子は、周囲からは「あまりのショックでおかしくなった哀れな少年」にしか見えなかったことだろう。
嘲笑に背を向け、祭壇の階段を降りようとしたその時だった。
「――おい。あんたたち、今なんつった?」
大聖堂の床を揺るがすような、低く、ドスを利かせた少女の声が響き渡った。
見れば、先ほどまで満面の笑みだったアリアが、拳を白くなるほど握りしめ、神官長と騎士団の男たちを獣のような眼光で睨みつけていた。
(第3話へ続く)




