第二十三話 甘い蜜桃と二人だけの約束
南の高台から丸太小屋へ戻る頃には、樹海の木立の隙間を茜色の夕暮れが染め上げていた。
背負い袋を下ろすと、部屋いっぱいに甘美な紅玉蜜桃の香りと、ピリッとした岩山椒の爽やかなアロマが広がる。
「ふぅ……! 今日もたくさん歩いたわね!」
アリアは革の胸当てを外すと、いつものように「んーーっ!」と両腕を伸ばして身体をほぐした。夕日が射し込む窓際で、赤銅色のポニーテールがサラサラと揺れている。
「きゅう~」
ハクは小屋の床に敷いた白砂のクッションに倒れ込み、短い手足を伸ばして満足そうに目を細めていた。高台までの長い道のりを、一度も抱っこをねだらずに自分の足と風魔法で踏破したのだ。
「お疲れさま、ハク。今日も大活躍だったね」
僕が頭を撫でてやると、ハクは「くぅん」と喉を鳴らして僕の手のひらに頬を擦り寄せてきた。
「リュート、さっき採った蜜桃とお肉、どうやって料理するの?」
アリアが琥珀色の瞳をキラキラと輝かせ、調理台へ身を乗り出してくる。その距離があまりに近くて、吐息が首筋に触れそうになり、僕は思わず小さく身体を引いた。
「え、あ……うん。蜜桃を細かく刻んで、白岩塩と少しの香草、それに森の野生姜と一緒に煮詰めて……『特製蜜桃の照り焼きソース』を作るんだ。それを、ダグラスさんからもらった厚底鉄鍋で焼いた鎧猪のお肉に絡めるよ」
「照り焼き……! 名前だけでお腹が鳴っちゃいそうよ!」
アリアが八重歯を覗かせて笑う。
彼女の無防備な笑顔を見るたびに、胸の奥がキュッと締め付けられるような、温かくて少しくすぐったい感覚が走る。
僕はかまどに薪をくべ、鉄鍋を火にかけた。
熟れた紅玉蜜桃の果肉を木べらで潰しながら煮立てていくと、驚くほど芳醇な果汁が溢れ出し、部屋中に甘酸っぱい薫香が立ち込める。そこに白岩塩をひとつまみ、乾燥させた岩山椒をすり潰してパラリと落とした。
――スキル発動:【至高の食卓】。
――対象料理:鎧猪の厚切りソテー・極上蜜桃山椒ダレ。
――素材調律:果実の酵素によるタンパク質完全軟化。岩山椒の麻味による消化促進と血行循環。
――付与効果:
・基礎活力の大幅充填(中)
・精神疲労の完全解除(極)
・親和魔力の活性化(絆強化)
ジュワァァァッ……!!
厚切りにした肉を強火で焼き、仕上げに蜜桃ソースを一気に回しかける。
濃厚な甘いタレが鉄板の熱でカラメル状に焦げ、山椒のピリッとした柑橘香と合わさって、抗いがたい極上の匂いが小屋を満たした。
「できたよ! 冷めないうちに食べよう!」
木皿に盛り付けられた肉は、飴色の照りを纏って美しく輝いていた。
アリアは木匙とナイフを手に取り、待ちきれない様子で肉を口へと運んだ。
サクッ、ジュワッ。
「…………っっっ!!」
一口噛みしめた瞬間、アリアの瞳が限界まで見開かれた。
モグ、モグと咀嚼するごとに、その顔が真っ赤に火照り、両手で頬を押さえて息を呑む。
「……んぐっ、……な、なんなのこれぇぇっ……!?」
ゴクリと飲み込んだアリアが、叫ぶように声を上げた。
「お肉が……とろけるみたいに柔らかいのに、蜜桃の濃厚な甘さと、山椒のピリッとした刺激が絶妙に絡み合って……! 噛むたびに甘じょっぱい旨味が溢れて止まらないわ……!」
「ふふ、山椒の刺激が桃の甘さを引き締めてくれるんだ」
「美味しい……本当に美味しいわ、リュート……。こんなの食べたら、もう王都の宮廷料理なんて二度と食べられないじゃない……!」
「きゅうっ! きゅうっ!」
塩分と刺激を抜いて、細かくほぐした肉と裏ごしした桃の果肉を混ぜた特別皿を出すと、ハクも夢中でハフハフと食らいついた。あっという間にお皿をピカピカにして、ぽんぽんのお腹をさすりながら満足そうに丸くなる。
食事が終わり、ハクが静かな寝息を立て始めた頃。
ランタンの柔らかな明かりが揺れる中、アリアがふと、手元の木製マグカップを見つめて口を開いた。
「……ねえ、リュート」
「ん? どうしたの、アリア」
「今日、南の高台から見えたじゃない。……東の谷のさらに奥、黒い瘴気が渦巻いてた場所」
アリアの琥珀色の瞳が、真剣な光を宿して僕を見つめていた。
「あそこには、きっと母狼を傷つけた元凶がいる。……この森の奥で、何かが確実に壊れ始めてるわ」
「……うん。僕のスキルでも、あの谷の奥は『生命拒絶領域』って出てた。放っておいたら、いつかこの拠点や、樹海全体が飲み込まれちゃうかもしれない」
沈黙が落ちる。
けれど、アリアの横顔に怯えの色は微塵もなかった。
彼女はそっと手を伸ばし、僕のテーブルの上の手に、自分の温かい手を重ねてきた。
ぎゅっと、確かな力を込めて握りしめてくる。
「私ね、怖くないわ。……あんたの作った美味しいご飯を食べて、ハクと一緒に風を駆けてれば、どんな敵だって絶対に負けない気がするの」
「アリア……」
「だから、約束して。何があっても、三人で一緒に乗り越えるって。……私、絶対にリュートとハクを守り抜くから」
アリアの顔が、ランタンの灯りのせいだけではない熱を帯びて赤く染まっている。
真っ直ぐで、どこまでも一途なその瞳に射抜かれ、僕の心臓がドクンと激しく跳ねた。
「……うん、約束するよ。僕も、アリアとハクのために、世界一の料理を作り続ける。二人の力を何倍にも引き出して、絶対に誰も傷つけさせない」
「ふふ……約束ね」
アリアは照れくさそうに八重歯を覗かせて笑うと、重ねた手を離さず、僕の肩にコテンと頭を預けてきた。
甘い蜜桃の香りと、アリアの髪の温もりが混ざり合い、夜の静けさの中へ溶けていく。
明日からは、きっと厳しい探索が始まる。
けれど僕たちの手には、決して解けない確かな絆と、世界を温かく満たす小さな奇跡の食卓があった。
(第24話へ続く)




