第十話 新たなる旅立ちとヴェルデの樹海
東の空が群青色から薄紅色へと、ゆっくりと染まり始める頃。
村が朝露と静寂に包まれている中、僕とアリアは旅立ちの準備を整えていた。
背負い袋には、干し肉と堅パン、水筒、調理用の小型の鉄鍋。
そして羽織っているのは、昨夜村長が届けてくれた、仕立ての良い鹿革の外套だ。夜明けの冷気配をしっかりと遮り、内側に心地よい体温を閉じ込めてくれる。
「きゅう……」
僕の胸元から、銀色の小さな鼻先がひょっこりと覗いた。
ハクだ。昨晩ミルクをたっぷり飲んだおかげで毛艶も良く、金色の瞳をくりくりと動かして外の空気を美味しそうに吸い込んでいる。
「ハク、大人しくしててね。もうすぐ出発するから」
頭をそっと指で撫でてやると、甘えるように鼻を擦り付けてから、また服の隙間へと潜り込んで丸くなった。
「……忘れ物はないわね、リュート」
隣に立つアリアが、腰の短剣と狩猟用の弓を確認しながら声をかけてくる。
琥珀色の瞳は、昨日までの迷いや葛藤を脱ぎ捨て、どこまでも澄み渡っていた。
「うん、大丈夫。……アリア、お父さんとお母さんには、ちゃんと挨拶できた?」
「ええ。昨日の夜、全部話したわ」
アリアは少し照れくさそうに、けれど誇らしげに口元をほころばせた。
「王宮の騎士団を断って、リュートと一緒に東の辺境へ行くって言ったら、最初は二人とも目を丸くしてたけどね。……『お前が決めた道なら、胸を張って行ってこい。その代わり、リュート君をちゃんと守るんだよ』って、背中を叩いてくれたわ。村長から貰った路銀の半分は、実家に置いてきた。これで当面の暮らしは大丈夫よ」
「そっか……よかった」
胸を撫で下ろす僕に、アリアはニカッと八重歯を覗かせて笑いかけた。
「さあ、行きましょ! 目指すは東の魔境、『ヴェルデの樹海』よ!」
ルミナ村のあぜ道を抜け、東へと続く街道へと足を向ける。
村の境界にある木製の簡素な門をくぐろうとしたその時、背後から声をかけられた。
「……おい、若造ども」
振り返ると、そこにはトネリコの杖を突き、煙管をくわえた村長ゴルドが立っていた。
見送りなどしないと言わんばかりのぶっきらぼうな立ち姿だったが、その目元には温かい光が宿っていた。
「村長……」
「見送りなんぞに来たわけではないわい。ただ、この門を通る者に一つだけ言い残しておこうと思うての」
村長は杖を地面にトンと突き立て、僕たちを真っ直ぐに見据えた。
「リュート、お前の【至高の食卓】は、ただの飯炊きなどではない。人を癒やし、立ち上がらせる確かな力じゃ。自分を卑下することなく、その力で仲間を満たしなさい」
「……はい!」
「アリア。お前は強いが、猪突猛進が過ぎる。リュートの温かい飯を食って、頭を冷やしながら戦うのじゃぞ」
「わかってるわよ、頑固爺さん!」
アリアが憎まれ口を叩くと、村長は破顔し、豪快に笑った。
そして、僕の胸元で耳を澄ませていたハクへ向けて、小さく片目を瞑ってみせる。
「三人とも、元気で行くのじゃぞ。ルミナ村の風は、いつでもお前たちの味方じゃ」
僕たちは深く頭を下げ、今度こそ村の門を後にした。
昇り始めた朝日が、東の空を眩い黄金色に染め上げていく。
街道を歩くこと数時間。なだらかな丘陵地帯を越えた先、僕たちの視界を覆い尽くすようにして、その広大な『新天地』が姿を現した。
「……すごい……」
思わず息を呑んだ。
見渡す限り、地平線の彼方までうねるように広がる、圧倒的な緑の海。
天を衝く巨木が幾重にも重なり合い、木々の間からは神秘的な薄緑色の靄が立ち上っている。王国東端の未踏エリア――『ヴェルデの樹海』。
凶悪な魔獣が跋扈する危険地帯であると同時に、王国では見たこともないような未知の薬草、極上の木の実、清らかな水源が眠る、実り豊かな生命のゆりかご。
僕の【至高の食卓】が、樹海から吹き抜けてくる風に反応し、視界の隅に無数の淡い光を浮かび上がらせた。
――遠方感知:原生林の恵み(未開拓の香辛料、高純度の湧水、滋養獣の気配)。
――素材の潜在値:極めて良好。
「ふふっ……身体の奥がワクワクしてくるわね」
アリアが風に赤毛を揺らしながら、琥珀色の瞳をギラリと輝かせた。
「あそこなら、王都の偉そうな騎士どもも追ってこれない。美味しい肉も、見たこともない食材も取り放題よ!」
「きゅうっ!」
僕の胸元から顔を出したハクも、大自然の匂いを感じ取ったのか、嬉しそうに甲高い声を上げた。
前世の白い病室で、冷たい点滴の管に繋がれながら、窓の外の青空を眺めていたあの日。
あの頃の僕には想像もできなかった、温かくて、美味しくて、どこまでも自由な世界が、いま目の前に広がっている。
「行こう、アリア、ハク!」
「ええ、出発よ!」
少年の手の中にあるのは、世界を温かく満たす小さな奇跡の食卓。
僕たちの本当の冒険とスローライフが、この広大な樹海から幕を開ける――。
(第11話へ続く)




