二人の花嫁候補
王宮でそんなやり取りがあった数日後、アリッサは王命に則りバーティ侯爵家へと向かった。
王家からバーティ侯爵家にはフロンティア子爵家の娘が花嫁候補として向かうという先触れを出しており、本来であれば歓迎の雰囲気が出ていてもおかしくはないのだが……
(あ~……うん。予想通りまったく歓迎されていないわね)
一応は当主らしき人物と使用人一同が揃って立ってはいてくれるものの、彼等の目は招かれざる者に向けるそれだ。もしかしなくとも主人とその恋人を引き裂く悪役だと思っているのだろう。
少なくとも王命で定められた花嫁候補に向ける目ではない。
しかし、それを指摘したところで聞く耳は持たないのだろう。
特に当主らしき人物はまるで仇を見るかのような憎しみを込めた視線をアリッサが乗る馬車へと向けている。
馬車の窓からその様子を眺めていたアリッサはその顔に満面の笑みを浮かべた。
今から自分達が馬車を降りて姿を見せたら彼等はどんな顔をするだろうか……。想像しただけで笑いが込み上げてしまう。
「……アリッサ、その笑顔は止めなさい。凄く怖い……」
「あら、ごめんあそばせ。あんなにも憎々し気にこちらを見ている方々が……どのような反応を見せてくれるのか、想像するだけで面白くて……」
同乗者に注意され、アリッサはすぐ表情を整えた。
馬車を降りる、とバーティ侯爵家の一同は皆鳩が豆鉄砲を食らったような顔をアリッサ達に向ける。
予想通りの反応にアリッサは思わず吹き出しそうになってしまった。
「おい、君! いったいなんだ、その……女装したオッサンは!!?」
彼等がそんな反応をするのも無理はない。
なぜなら馬車を降りて姿を現したのは余所行きのドレスで着飾ったアリッサと、女装をした中年男だったのだから。しかも男は髭面に化粧すら施さず、金髪縦ロールの鬘を被り古めかしいドレスを身に着けているという、やる気の無い女装。
その生気のない瞳と、嫌々やってます感剥き出しの姿から、これは彼が自主的にしているものではないということがうかがえた。
とんでもないものを見た、と驚く侯爵は慌ててアリッサに向かって問い質した。
そんな反応に再び吹き出しそうになる。
「いやですわ、オッサンだなんて……彼女はれっきとした『フロンティア子爵家の娘』でしてよ?」
アリッサはおかしそうに笑い侯爵の言葉を否定する。
「は……? そのオッサンが『フロンティア子爵家の娘』……だと?」
平然とそう言われた侯爵はもう一度アリッサの隣にいる人物に目をやった。
凝視をした後、目を擦り、また凝視する。何度かその作業を繰り返した。
うん、やっぱりオッサンだ。紛れもなく女装したオッサンだ。
「もしかすると、オッサンに見える外見をした女性だったかな?」と思ったが、どこからどう見ても女性の外見をしたオッサンだった。
「いや……どこからどう見ても男だよな? オッサンだよな? それで娘と言い張るのは無理があるよな?」
侯爵は目の前にいる女装をした中年男を指差しつつ少女に問いかけた。
人を指差すことは無礼だと分かっているが、そんな場合ではない。
「まあ……! バーティ侯爵様はそう思われますのね? 人の価値観はそれぞれですし、無理強いは致しませんわ」
「何で私がそのオッサンを女として見られないことがおかしいみたいに言うんだ⁉ いや……もう何なんだこの茶番は!」
「茶番などとは失礼な。私とお父様……じゃなかった、私とヴィクトリアは偉大なる国王陛下の命を受け、はるばるやって参りましたのに……」
「おい、今お父様って言わなかったか⁉ ……ということは、まさかそのオッサンはフロンティア子爵か?」
侯爵の指摘にアリッサはフイッと顔を逸らしてだんまりを決め込む。
それに腹が立った侯爵は女装した中年男の方に矛先を向けた。
「フロンティア子爵だな⁉ そうだろう? おい、これはいったい何の真似だ! そんな恰好をしてどういうつもりだ!」
侯爵の問いかけに女装の中年男……もといフロンティア子爵は虚ろな目のまま面倒くさそうに答えた。
「………………どう、と言われてもね。王命だとしか言えませんよ」
まるで小馬鹿にしたような言い方に侯爵はこれでもかと腹を立てた。
「なんだその態度は! あと、声野太いな! というか、こんなふざけた王命があるか! 馬鹿にするのも大概にしろ!」
「いえ、だから正真正銘の王命ですって。きちんと証明もございます」
「は? 証明?」
「はい、こちらが国王陛下直筆の書簡です。どうぞご覧ください」
子爵に手渡された書簡をひったくるように奪い、中身に目を通す侯爵。
読み進めていくうちに彼の顔から段々表情が失われていった。
「なんなんだこれは……。フロンティア子爵家の娘、『アリッサ・フロンティア』もしくは『ヴィクトリア・フロンティア』のどちらかと婚約を結ぶこと……だと?」
ここに書かれているアリッサ・フロンティアはこの少女だろうことは分かる。先ほど自分でそう名乗っていたし。
しかし、このヴィクトリア・フロンティアとは……まさか……
侯爵はちら、と子爵の方に目を向けた。
ドレスと金髪縦ロールの鬘を被っただけの中途半端な姿で不遜な態度をとる中年男。
まさかこいつのことを言っているんじゃないだろうな、と侯爵はこめかみをピクピクと震わせた。
「……なんだこの有り得ない条件は‼ アリッサ・フロンティアを選んだ場合、今の愛人とは縁を切り彼女を侯爵夫人として丁重に遇すること。ヴィクトリア・フロンティアを選んだ場合、今の愛人を妻扱いすることを許す……。はあああ⁉」
侯爵の脳は状況の理解に追い付かず、既に限界が来ていた。
どうして、自分の婚約者候補に普通の令嬢と女装したオッサンが一緒にやってくるのか。
どうして、それが王命で定められているのか。
どうして、国王は有り得ない条件を付けてまでこの二人のどちらかを選ばせるのか。
……というか、オッサンという有り得ない選択肢まで用意するのか。
何一つ理解が出来ない。理解まで頭が到達しない。
「ふ……ふざけるなよっ! こんなの納得できるはずがないだろう⁉」
「そう言われましても……。王命を拒否するのであれば王家に反逆の意思有りとみなされますよ?」
もっともらしく諭す女装姿の中年男。正論だが、そんな姿の奴に言われたくなかった。
「そんなことは分かっている! だが、そうだとしてもあまりにも理不尽だろう!?」
「理不尽……ね。それを私に言いますか? 私もこの程度の理不尽に耐えているのですから、貴方もその程度くらい耐えてくださいよ」
「知るかそんなもの!! というか、貴殿も耐えるなよ! そこは抗えよ!」
「そうは言いましても、私も娘の命令には逆らえないものでして……」
「ちょっと待て! 王命ではなく娘の命令? どういうことだ⁉ 意味が分からん!」
もうその場は混沌と化していた。
自分の父親を自分と同じ花嫁候補だと言い張るアリッサ。
嫌々この格好をさせられました、と言わんばかりの不貞腐れた態度で女装姿を披露する中年男、フロンティア子爵。
それに対するは状況を把握しきれず唖然とするバーティ侯爵家一同。
侯爵本人も、その隣に侍る愛人も、背後に控える使用人一同も皆目の前で起きている状況が全く呑み込めていない。とりあえず分かることは普通の令嬢とオッサンが花嫁候補としてやって来た、ということだけ。何を言っているか自分達でもよく分からないが、紛れもない事実なのだからどうしようもない。
本来ならばここで侯爵が愛人を抱き寄せ「お前を愛するつもりはない!」と高らかに宣言するはずだった。そして愛人は潤んだ瞳を侯爵に向けた後、勝ち誇った顔をはるばるやって来た令嬢に向けてやるはずだった。主人の真実の愛を応援する使用人達も蔑んだ目を一斉に令嬢へと向けてやるはずだった。何だったら馬鹿にしたようにクスクスと笑ってやるつもりだった。
しかし、今この状況でそれをやる気力はない。
というよりそんなことはすっかり頭から抜けていた。それくらい女装したオッサンが花嫁候補だという事実の衝撃は凄まじかったのだ。
「ちなみに花嫁の選定期間はこの日から一週間です。それまでにどちらを選ぶか決めておいてくださいませ」
混沌としたこの場に可憐な声が響きわたる。
声の主は一見すると普通の令嬢であるアリッサだ。だが、こんな状況でそんな平然とした態度を崩さないことが彼女の異常さを際立たせる。
──この令嬢、頭がおかしい……。
バーティ侯爵家一同は声に出さないまでも皆一様に心の中でそう呟いた。
こんな状況でそんな飄々とした態度を崩さず、なんなら年齢も身分の上の相手をおちょくる余裕すらある。どう見ても只者じゃない。むしろ異常者の雰囲気をひしひしと感じる。
「いやいやいや……ちょっと待て! なんで僕が自分の妻にオッサンを選ぶと思うんだ⁉」
「え……? ですが、私を選ぶとなると……隣にいらっしゃる恋人と縁を切ることになりますよ?」
そこで侯爵はハッとなり傍らにいる恋人に目を遣る。
呆然自失となっていた恋人は侯爵の視線に気づき「え? アタシ?」と驚いた様子を見せた。
「え、ごめん……。今、何の話をしているの?」
侯爵の恋人は女装したオッサンの衝撃が強すぎて今までの会話を聞いていなかった。
彼女は混乱した様子で侯爵に今の状況について尋ねている。
「ジェシカ……。その、どうやらあのオッサンを選ばないと君と別れることになってしまうようだ……」
「…………はい? え? 何を言っているの……?」
侯爵の恋人ジェシカは彼が何を言っているのか本気で理解出来なかった。
オッサンを選ばないと別れることになる? どういう交換条件なの?
「何でそんな話になっているの!? 何がどうしてそういう結論になるの?
なんでその二つが交換条件みたいになっているの!? 意味が分からないわ!!」
ジェシカの叫びに侯爵は「僕だってそう思うよ……」と苦しそうに同意する。
婚約者となる令嬢に対して非常識な対応を試みていた彼等は自分達を上回るほどの非常識を目の当たりにして、ひどく困惑していた。
「今日は貴方の嫁になる女が来るって話だったのに……なんでドレス姿の中年男が来るのよ⁉ なんなのよ、この茶番は!」
「いや、一応その花嫁予定の女はいるが……」
「え? じゃあ、あの中年男は何? 付き添い?」
「いや…………あれも花嫁候補だそうだ」
「…………………………」
侯爵の言葉にジェシカは脳の処理が追い付かないのかその場で気を失った。
「ああっ、ジェシカ! 大丈夫か⁉」
「まあ、大変! すぐにでも休ませてあげた方がよろしいわ」
「なに他人事みたいに言っているんだ⁉ 君達が原因だろう!」
「あらあら、侯爵様。気を失った方の傍でそんなに大きい声を出してはいけませんわ。そんなことより早く休ませてあげたほうがよろしくてよ?」
自分達が原因だというのに平然とそう言ってのけるアリッサに侯爵は憤慨した。
だが、彼女の言う通り今は気を失った恋人を休ませるほうが先決なのは確かだ。
「…………………………失礼する!」
去り際に何か捨て台詞でも吐いてやりたかったが、何も思いつかない。
悔しそうな顔で侯爵は恋人を横抱きにし、屋敷の中に向かって足早に去って行った。




