お茶でもいただいて待ちましょう
「さて、では私達も中で休ませていただきましょうか。行きますよ、お父……いえ、ヴィクトリア」
そう言って女装した中年男を連れて邸の中へと入っていくアリッサ。
それに家令が慌てて着いていく。
「お、お待ちください! 勝手に入られては困ります!」
「あら、ごめんあそばせ。では、部屋まで案内していただける? 花嫁候補としてしばらくここに滞在する件については先に書面で知らせてあるはずだから……当然、部屋は用意してあるのでしょう?」
年若い少女のものとは思えないほどの迫力に気圧された家令は声を裏返しつつ「も、もちろんです!」と答えた。
「そう、では案内をお願いするわ」
「はい! ただいまご案内いたします!」
おかしい。本来であれば主人に冷たくされて気落ちしているであろう惨めな令嬢を粗末な部屋に押し込んでやるはずだったのに、この状況はなんだと家令は冷や汗を流す。
気落ちしているであろう惨めな令嬢どころか、凄い気迫の尊大な令嬢だった……。しかも女装したオッサンを従えているという訳の分からない状況。
そこまで考えて唐突に不味いと気づいた。こんな恐ろしい女を、その粗末な部屋へと案内したら何を言われるか分からない。嫌味のひとつやふたつは確実に言われてしまう。
たかが令嬢の嫌味、と侮ってはいけないことは先ほどの主とのやり取りを聞いていれば分かる。この令嬢はその気になれば口先一つで相手を窮地に追い込めるような猛者だ。下手なことをしたら何をされるか分からない。怖い。
「あ、あの! そういえば部屋の掃除がまだ終わっておりませんでした! 申し訳ございませんがしばらくサロンの方でお待ちください!」
咄嗟に部屋の掃除が済んでいないと嘘をつき、サロンで待つようアリッサに伝える。その間に急いで客室を整え、さも最初からそちらに案内しようとした体でいこうという作戦に出た。
「え……掃除が終わっていない? 私達の訪問は数日前に知らせているはずなのに……。 なるほど、こちらのお屋敷はそこまで人手不足なのね。侯爵家なのに……ねえ?」
言外に「客が来ると分かっていながら掃除を終えていないなんて使えねえな。まさかそれが出来ないほど人手不足なわけ? 侯爵家のくせに?」という意味の嫌味を零すアリッサ。家令は内心ムッとしたものの、素直に「すみません……」と謝罪を述べる。
「早急に済ませますので……! なにとぞご容赦を……!!」
可哀想なほど頭を低く下げる家令に同情し、子爵はアリッサに「ほら、可哀想だから少しくらい待ってあげなさい」と諭す。
仕方ない、とばかりに頷くアリッサに家令は「ありがとうございます」と再び頭を下げる。
もう初日で既に上下関係が構築されつつある。
家令はメイドに二人をサロンへと案内させ、茶の支度をするよう命じる。
先程の一部始終を見ていたメイドは青い顔でコクコクと必死に首を縦に振った。
*
「お父……いえ、ヴィクトリア。そちらの砂糖壺をとってくださる?」
「……アリッサ、誰もいない時はその名で呼ばないでくれ」
サロンに案内され、お茶を振る舞われた二人。
娘に『ヴィクトリア』と女の名で呼ばれた子爵は嫌そうに顔を顰めた。
「その姿の方を『お父様』と呼ぶのはちょっと……」
「お前がやれって言ったんだよ? お父様だって好きでこんな格好しているわけじゃないからね!?」
「そうですよね。王命で仕方なく、ですものね? おまけにお母様から離婚を盾にされたらもう何も言えませんね?」
邪悪な顔で嗤う娘に侯爵は何も言えない。
自分の血を引く可愛い娘はなんだってこんな邪神のように禍々しい性格をしているのだと頭が痛くなる。
おまけに最愛の妻からは「アリッサの命令に従わないなら離婚です」と言われてしまった。
もう彼には娘の言う事を従順に聞く以外の道は無い。
「……我が娘ながらお前は本当に凄いよ。まさか陛下まで言い包めてしまうとはな……」
子爵はカップを持ったまま遠い目をした。
今更だが子爵は好き好んでドレスを着ているわけではない。
これは全て娘のアリッサの命令によるものだ。
「こんなにもあっさりと承諾するということは、陛下にも思うところがお有りだったのでしょう」
涼しい顔で優雅にお茶を飲むアリッサ。
こんな状況でよくそんな態度でいられるものだと子爵は感心せざるを得なかった。
「……流石は高位貴族のお邸ですね。良い茶葉を使っております」
良質な紅茶の芳醇な香りにアリッサはご満悦だ。
下位貴族ではとても口に出来ない高級茶を味わえただけでも来た甲斐があるというもの。
てっきり嫌がらせで不味いお茶でも出してくるかと思ったのだが、どうやらそれは杞憂だったようだ。
しかしそれを言うと子爵は渋い表情で首を横に振る。
「そんなことをすればお前はそれを逆手にとって相手を窮地に追い込むではないか……。あちらもそんなお前の恐ろしい部分を嗅ぎ取ったのだろうよ」
バーティ侯爵家の家令もメイドもアリッサを『やべー女』だと認識していることが子爵には手に取るように分かる。それも当然だ。格上の家に女装した中年男を連れ、しかもそれを花嫁候補だと平然と言ってしまえるような女なのだ、アリッサは。
「私達は改めて考えると凄い事をしているな……。格上の侯爵家にこんな女装した中年男を連れて、あまつさえそれを花嫁候補だと言っているのだぞ?」
「いいじゃありませんか。陛下がお許しくださったことなのですし」
「それが一番有り得ない事だよ……。一介の令嬢が国王陛下相手にそんな突拍子もない提案をすることも、それを認めさせることも……」
完全にふざけた所業だが、この件についてアリッサはきちんと国王の許可を得ていた。どうして一国の王がこのような戯れに近い所業に許可を出したかというと、それはアリッサが言い包めたからに他ならない。
「いいじゃありませんか。お父様も私が泣く泣く嫁いで不幸な目に遭うのはお嫌でしょう?」
「お前が大人しく泣かされる姿なんてこれっぽっちも想像できないのだが……」
この娘は婚家で虐められて大人しく泣くようなタマではない。
家ごと潰すか、乗っ取るか。そのくらい平気でやりそうだ。
「それにしても遅いな……。部屋の掃除にいつまでかかっているんだ?」
既にお茶のお代わりを二杯は飲んでいるというのに、いまだ部屋の支度が整ったとの報せが来ない。流石に遅いと子爵は苛立たし気に扉の方に目を遣った。
「おそらく全く清掃されていない客室を一から綺麗にしているのでしょう。それは時間がかかって当然ですわ」
「は? 一から? どういうことだ?」
通常、貴族の邸ではいつ来客を迎えてもいいように客室の掃除は毎日行う。
そうしておけばいざ急な来客があっても新しいベッドシーツや備品の用意、そして軽い掃除を済ませればすぐに部屋へと案内出来る。
子爵はそれが当たり前だと思っていたし、実際自分の屋敷でもそうだ。
だから侯爵家の屋敷でそれがなされていないということが信じられない。
「子爵位の我が家でも客室の掃除は毎日かかしていないはずだぞ? なのに、侯爵家でそれが出来ていないというのか?」
「その掃除を命じるのは女主人の仕事です。広大なお屋敷を維持する為には女主人の采配が欠かせません。お父様はお母様抜きでお屋敷を回せますか? 家政まで手が回りますか?」
「……いや、無理だ。領地の運営に加えて家政の采配なんて出来るとは思えない。ふむ……成程な、女主人がいない屋敷というのはこうも上手く回らないものなのか」
「ええ、女主人の役割は何も世継ぎを産むことだけではないのですよ。まあ……家令や侍女長が優秀であれば女主人の不在を補えるのでしょうけど……」
「主人が平民の愛人を屋敷に囲うのを容認している時点で無能だと判断できるな」
「でしょうね。王命を受けてやってきた私達を歓迎する気もないようですし」
家令や侍女長は貴族が務める職。つまりは先ほどの彼等も貴族ということだ。
主人が邸に愛人を囲っている以上、彼等は平民である愛人に傅いていることと同義。そういうことを平気でしている時点で彼等に貴族としての矜持があるとは思えない。何より王命により選ばれた花嫁候補を丁重に扱わないということが、王家への反逆と見做されると理解していない。この時点で残念な輩の集まりだということが分かる。
「しかし、そうなると元々私達をどの部屋に案内するつもりだったんだ? お前に恐れをなして慌てて新しい部屋を準備しているようだが……」
「物置か屋根裏部屋にでも案内するつもりだったんじゃないですか? ほら、よく物語でもあるじゃないですか。女主人公が嫁ぎ先で冷遇されるやつ。あれでもそういう汚れた場所に押し込む描写をよく見ます」
「お前は普段どんな本を読んでいるんだ……? いくらなんでも現実で客人をそんな場所に案内する奴なんていないと思うぞ」
「あらあら……お父様ったら世間知らずの甘ちゃんなんですから。そうであったなら、部屋の準備にそもそもここまでの時間などかけませんよ」
確かに自分が世間知らずだという自覚はあった子爵だが、それをまだ十七の娘に指摘されるとは思わなかった。
「まあそんなことよりも、お父様は此度の王命の目的は何だと思います?」
「目的……?」
娘の発言の意味が分からず首を傾げる子爵。
この王命は三十年前サラを死に追いやった子爵への罰、という理由以外に何があるのかと。
「やだ、お父様ったらそんな子供だましみたいな理由を本気で信じていたのですか? よく考えてください、王家が王命まで出してそれをする理由なんてどこにも無いでしょう?」
「え? あ、いや……実はヘブンズ伯爵は先代陛下のご友人だったんだ。だから友人の娘を死に追いやった私を憎んでそのような命を出してもおかしくないかと……」
亡くなった先代の王はヘブンズ伯爵と親友とも言える仲だった。
だから親友の娘を騙して死に追いやった子爵を憎み、あのような王命を遺したとしてもおかしくはない。
しかしその考えはアリッサに鼻で笑われるようなものだった。
「先代陛下にはあっても、今の国王陛下にお父様を断罪する理由などありません。そうでしょう?」
「それはそうだが……先代陛下の遺志だとおっしゃっていたではないか? 先代陛下の遺言ならば今の国王陛下に私を断罪する理由などなくても関係ないだろう?」
「素直なお父様でしたら御自分の父親の遺言を素直にそのまま遂行するでしょうけど、国王陛下もそうであるとは限りませんよ? ご自身や国に何の利益ももたらさない遺言を馬鹿みたいにそのまま王命にしてまで遂行するとは思えません」
勘違いでなければ、自分は今娘に馬鹿にされている。
素直で何も考えない馬鹿だと罵られている。
「え、ええ……? なんでそう思うんだ?」
「お父様、王命とは政治の一環です。利益があるからこそ発令されるもの。家庭教師から教わったのですが、王命は議会の半数以上から承認を得ませんと発令されないのでしょう?」
「ああ、その通りだが……。お前、令嬢なのに政治分野まで家庭教師から教わっているのか?」
通常の淑女教育に政治分野は含まれない。主に家政や社交、それと礼儀作法を学ぶもの。子供の教育は妻に任せていたせいで、子爵は娘が政治まで学んでいたとは今の今まで知らなかった。
「その話は後にしてくださいませ。それで、このような個人の感情に基づく王命が議会を通ると思えますか? 議題に上がった時点で陛下が白けた目を向けられる案件ですよ。いくらサラさんがお気の毒な結末を辿ったとはいえ、それはお父様とヘブンズ伯爵家以外にとっては関係のないことです」
「それもそうだな……。だが、実際にこの王命は通ってしまっているのだぞ?」
「ですから、背景に何か国もしくは陛下と議会の面々にとって利益になるような事が隠れているのですよ。だいたい王命というのであれば、三十年前に下すべきではありませんか? それが成されていないということは、当時は反対されたか、もしくは議題にもあげていないということでは?」
「あ……確かにそうだな。だが、もしかすると娘が産まれるかも分からなかったから……ということも考えられないか?」
「だとすれば、私が産まれた時点でその王命を下してもよかったはずです。それがなされていない事態がおかしいでしょう? 私はもう十七です。結婚可能年齢が十六なのですから、場合によっては既にどこかに嫁いでいた可能性もあります。そうなればバーティ侯爵に嫁ぐことなど不可能です」
「……それは、その通りだな。だとすれば、王家は何故今頃になってこんな王命を下してきたんだ?」
「それをお母様に探っていただいております。もしかすると当家にも害を及ぼすことかもしれませんので、そうなればこちらも対処を考えねばなりません」
いつの間にそこまでの動きを……と子爵は言葉が出なかった。
妻と娘がそこまで暗躍していたというのに、当主である自分は完全に蚊帳の外だったことがショックで何も言えない。
ここでどうして自分にも教えてくれなかったと責める言葉を吐こうものなら娘に辛辣な台詞を返されてしまう。お父様が役立たずだからです、と絶対零度の瞳で蔑みの視線を向けられたら辛い。だから余計なことは言わず「そうか……」とだけ返した。
「もしかしなくとも、この茶番はただの時間稼ぎか……?」
この茶番とは女装した子爵が婚約者候補になったという事態。
娘はどうしてこんな非常識な行いを……と思ったらまさかそこまで深い考えがあったとは思いもしなかった。
「その通りです。目的が分からない限り簡単に嫁ぐなんて真似は出来ませんからね」
子爵は自分の娘がここまで狡猾に育っているとは想像もしていなかった。
間違いなく妻の血を色濃く受け継いでいると改めて思う。
国王相手に怯むことなく己の主張を告げるほどの胆力と、有り得ない出来事にも動じない冷静さ。男であれば間違いなく跡継ぎにしていた。
「というわけで今後どのような方向に行くかはお母様からの調査報告が来てから考えます。お父様は私の指示通りに動いてくださいませ」
娘が当主である父親に指示するって何?
そう反論したかった子爵だが決して声には出さない。
悲しいが、甘い考えしか持たない自分よりもこの狡猾でぶっ飛んでいる思考の娘の方がよほど頼りになる。




