ただ、それだけのこと
「誤解されているかもしれませんが、トム殿は儂等が無理やりここへ連れてきたわけではございません。御本人が是非とも陛下にお会いして話したいことがあると申したので、ここまで同行した次第です」
先程までの威圧感のある態度が消え、好々爺の笑みでシーグラス翁はトムと何かを話し始めた。異国の言語を使い彼と話す様子に国王は再び劣等感を刺激された。こいつもその言語が使えるのかと。
「……ふむ。陛下、異母弟君はどうやらご自分の王位継承権を永久に放棄する手続きを所望しているようです」
「え……放棄してくれるのか……?」
それは国王にとってありがたい申し出だった。
異母弟と分かったからには彼にも継承権が発生し、それを貴族達にどのように説明すればよいか頭を悩ませていたからだ。
いくら先王と伯爵令嬢の子という申し分ない血筋だとしても、いきなり出てきたうえに農夫として育った男が自分達より高い継承権を保持するなど受け入れるはずもない。プライドの高い彼等にどう説明したものか……と悩んでいたから、それを放棄してくれるのはこちらにとって都合が良い。
「ええ、彼は今のまま妻子と穏やかに暮らしていきたいと願っているそうです。自分にとって両親と呼べるのは育ててくれた養父母だけ。それに、実母のように権力のいざこざに巻き込まれるのは御免だと申しております」
「そ、そうか…………」
サラが襲われた原因が権力のいざこざにあると何故知っている。
そう聞きたくても聞けなかった。いらんことを聞いてしまうとこちらに不利な状況になりかねない。
「分かった。では、手続きの書類を準備するのでそちらのトム殿にはしばし王宮に滞在を……」
「あ、その必要には及びません。陛下のお手を煩わせてはいけませんのでこちらで準備して参りました。ドミニク、書類をこちらに」
なんで我が国の継承権にまつわる書類を他国の人間が用意するの?
そう言いたかったが、渡された書類を確認すると正直こちらの文官が作成するよりも出来がいい。綺麗に纏められた無駄のない文章に思わず惚れ惚れする。
「……素晴らしく綺麗に纏められた文章ですな」
「お褒め頂き光栄の至り。これはうちの跡継ぎが作成したものです」
そう言ってシーグラス翁は執事服の青年に目を遣る。
それにより執事服の青年がシーグラス家の公子であることが分かった。
(そいつ使用人じゃなくて家の者だったのか……。なんで執事服なんて着ているんだよ。というか、書類の質がうちの王太子よりも上なんだが……)
なんだか改めてシーグラス家と王家の格の違いを見せつけられた気がして落ち込んだ。もうずっと折れっぱなしの心が更に折れ、もう折れる部分が見当たらない。
「それと、立会人として儂とノア殿下も署名させて頂きます。そうした方が後々トム殿を担ぎ上げようという馬鹿が現れることを防げるかと」
それはこちらにとって願ってもない申し出だった。
国王とトムの間で結んだ契約を、王の死後に難癖付けて無効化する輩が現れないともいえない。立会人としてシーグラス翁と皇子が署名すれば、トムを担ぎ上げようとする行為は二人に喧嘩を売るも同然になる。
つまり、トムを傀儡の王に仕立て上げる輩への抑止力になる。
だが、これは二人に貸しを作ったも同然。その代償として何を払わされるのかと考えるだけで恐ろしい。
「内容を把握頂けましたらこちらにご署名を。三部ございますので、全てにご署名をお願い致します」
三部とは……王家、シーグラス家、そして残り一つはやっぱり皇家に保管するのだろうな。先王の隠し子の存在が帝国の後の世まで伝わるのはかなり恥ずかしい。
どうしてこんな理不尽な目に遭わねばならないのだ……。
度重なる不幸ともいえる状況に国王は己が身の不幸を嘆いた。
しかし、これは全て自分の行いが返ってきているだけ。
アリッサに理不尽を強いたから、自分も理不尽を強いられることとなった。ただそれだけ。
本来であれば丁重に扱うべき存在をかなりぞんざいに扱ったせい。
ただそれだけ。
なまじ国で最高の権力を持ったせいで全てが許されるという傲慢な思い違いをして、それ以上の権力によって叩き潰されようとしているだけ。
ただ、それだけのことだった……。




