その頃のアリッサ
城で今まさに国際問題が勃発しそうな状況にある中、アリッサはバーティ家の一室で読書に興じていた。
「アリッサ、何を読んでいるんだ?」
「この屋敷の図書室にあった蔵書ですわ。中々興味深いですよ。お父様も読んでみます?」
読んでいた本に栞を挟んで閉じ、それを子爵へと手渡す。
どれどれ……と渡された本を開いて中に目を通す子爵だが、読み進めているうちに何とも言えない表情へと変化していった。
「……なんだこの荒唐無稽なお伽噺は……」
「お父様、お伽噺は荒唐無稽でないと面白くありませんよ?」
「いや、それはそうなのだが……私が知るものとは大分違う。だってこの内容……ただの村娘が王子に見初められて王妃になる? あるわけないだろう、馬鹿馬鹿しい……」
アリッサが読んでいた本は恋愛物語であった。
天真爛漫さと優しさだけが取り柄のヒロインが王子に見初められて王妃となり、いつまでも幸せに暮らしましたという予定調和もの。甘ったるい乙女の心情と、キザな王子の愛を請う台詞はオジサンにはきつい。
そして何より理解しがたいのは平民が国母たる王妃に選ばれることだ。
知識・教養・財力・権威の全てが揃った令嬢が選出されることが当然とされているのに、どれも持ち合わせていないただの村娘に妃の位を授けるなど王子の正気を疑う。
「創作物としてなら面白いですよ? 現実でこんなことをすれば貴族の反感を買ってその座から簡単に追い落とされるでしょうけどね。あくまで物語としてなら楽しめます」
「そうか……オジサンには分からない感覚だ。しかし、大人びていてもやはりお前も年頃なのだな。こういう恋愛物語を好むとは……」
子爵がアリッサの娘らしさに感動していると、ふと何かに気づきハッとなった。
「いや、待て……。これはこの屋敷の蔵書なのだよな? ということは侯爵がこれを……?」
「多分そうでしょう。もしかするとこういうシチュエーションがお好みなのかもしれません。ちなみに他の蔵書も似たような内容の恋愛物語ばかりでした」
「そういえば侯爵もこれと似たようなことをやっているな……。しかし、理想と現実を一緒くたにしてはいかんだろう。身分差はそう簡単に埋められるものではないと分からぬものだろうか……」
呆れたように子爵が呟くと、ふとアリッサが一瞬悲しそうな顔を見せた。
「そうですよね……。身分差は、そう簡単には埋まるものではありません。その地位に見合う方と結ばれるほうが、苦労は少ないでしょう……」
やけに気持ちが込められた口調に子爵は息を呑む。
まさか……と娘のやけに憂いを帯びた横顔を黙って見つめた。
(なんだこの……恋する乙女のような顔は……!? お父さん、娘のそんな顔初めて見た……)
父親として言わせてもらえば娘のそんな顔は見たくなかった。
いつもの余裕のある表情ばかりを浮かべた強者然とした娘が、一国の王を言いくるめてしまうような策士の娘が、実の父親に女装姿を平気でさせるような精神強者の娘が……こんな、叶わぬ恋に身を焦がすような乙女の顔をするなんて……。
見目の良い娘の憂いを帯びた表情は息を呑むほどに美しい。
絵物語の挿絵に出てきそうなほど絵になる。
だが、物事全てを手の平で転がしていそうな娘が恋ごときで悩むことなどあるだろうか……。
「……お前でもそんなことを考えるのだな」
娘のこういうデリケートなことに口を出してはいけないと分かっていても、我慢できずつい口にしてしまった。しまった、と口を押さえる子爵の方を見もせずアリッサはポツリと呟いた。
「私にだって、叶えられぬことくらいありますわ……」
え? 何その意味深な発言は……。
まるで好いた相手がいることを匂わせるような発言。父親としては可愛い娘の口からそんなことを聞いてショックやら気恥ずかしいやらでどうしたらいいか分からない。
「アリッサ……。あの……」
その時、何かを言おうとした子爵の言葉を遮るように部屋の扉がノックされた。
「失礼いたします。今、よろしいでしょうか?」
なんだこんな時に……と怪訝な顔をする子爵とは反対にアリッサは「丁度良かったわ」と両手をポンと叩いた。
「この声は家令さんですね。丁度彼に話しておきたいことがあったのですよ。お父様、中に入れてもよろしいでしょうか?」
「あ、ああ……勿論だ」
話が途切れてしまったことに子爵は何とも言えないモヤモヤとした気持ちになった。
娘に好いた相手がいるのかどうかが知りたいような知りたくないような……。
こんな父親特有の複雑な感情は初めて味わった。
出来ればこんな場所、こんな格好のまま味わいたくはなかったな……。
「おくつろぎのところ恐れ入ります。あの……実は、旦那様がお嬢様と夕食を共にしたいと……」
「お断りするわ。それより貴方にお話があるのだけど、少し時間を貰ってもいいかしら?」
「へ? あ、はい……構いませんが……」
こりもせずアリッサへ接触を図ろうとする侯爵の下心にウンザリとしつつも、使用人の立場からは断ることも出来ない。致し方なくアリッサの滞在する部屋へ赴いた家令は予想以上の展開に驚いた。
断られることは想定済みなのでそれは別にいい。
だが、自分に話があると言われるとは思ってもいなかった。
促されるまま家令が部屋にある椅子へ座ると、テーブルを挟んだ向かい側にアリッサが腰掛ける。なにやら物々しい雰囲気に委縮する家令を真正面からじっと見据えながらアリッサは口を開いた。
「単刀直入に言うとね、貴方、速やかにここから出て行った方がいいわ。出来ればすぐにでも。でないと人生終わるわよ?」
「へっ………………?」
いきなりそんな突拍子もない事を言われた家令は目を丸くした。
確かにあの阿呆な主人はいつか破滅しそうではあるし、自分を含めた他の使用人にも累が及ぶ可能性は十分ある。その前に逃げてしまおうとは考えていたが……今すぐにでもとはどういう意味だろうか。
「あの……それはどういうことでしょうか……?」
「近いうちにこの屋敷に国の監査が入るからよ。そうなれば不味いのではなくて? 貴方……給金を横領しているのでしょう?」
「…………っ!!?」
何故それを、と言わんばかりに目を見開く家令にアリッサは淡々と話を続けた。
「これは私じゃなくてお父……ヴィクトリアが見つけたことです。分かる人には帳簿を見ただけで分かってしまうようですよ。もしかして貴方だけでなく他の使用人もそうなのではなくて?」
「ち、ちがいます……! 私は、横領なんてそんな……」
「別に認めないならそれで結構よ。私は別に貴方の罪を暴いて横領罪で王宮に引き渡すなんて真似をする気はないわ。他家の事にそこまで介入する気はないもの。ただ、忠告をしているだけよ」
「え……? どうして私に忠告を……?」
あわや王宮につき出されると額に脂汗を滲ませた家令だが、それを否定され思わず素っ頓狂な声を出した。横領が明るみに出れば処罰は免れないと怖れを成していたのに、それをするつもりはないと言われ唖然とする。しかも忠告などという親切な真似をしてもらえる意味が分からない。
「それは、貴方が私に理不尽な真似をしなかったから。むしろお世話になったもの。だからこうして忠告をしているのよ」
アリッサの意外な返答に家令は驚きを通り越して呆気にとられた。
たったそれだけで……と。
「それで話を続けるけど、国の監査官が屋敷に派遣されたならすぐにでも貴方の横領は知られてしまうわよ。そうなる前に帳簿を処分してしまいなさい。跡形もなく焼いてしまうのがいいわね。どこかに隠すだけでは駄目よ、いつか誰かに見つかってしまうから」
「え、えええ!? あ、あのっ! 私が言うのもなんですが、いいのですか!?」
「あら、そう言うってことはやっぱり横領に手を染めているということね?」
「あ、いや……その……それは……」
「隠さなくても結構よ。これで貴方の横領のせいで領民が飢えや寒さに苦しんでいるなら許せないけど、そういう事実は無かったもの。むしろ領民は皆、そこそこ裕福な暮らしをしていたわ。あれを領民と言っていいかどうかは別として……」
「? え? それはどういう意味です」
「どういう意味って……やっぱり貴方、気づいていないのね?」
「え? え……?」
「あのね、この間視察して分かったのだけど、バーティ家の領地は……」
アリッサが説明を始めると家令の顔色はどんどん青褪めていく。
彼女の話す内容が真実だったとしたら、家令は自分が知らぬ間にとんでもない犯罪に加担していることになる。
「そ、そんな……! だって私がこの屋敷に勤めた時には既に領地はその状態でした! 領民だってそうで……」
「貴方はどれくらい前からここに勤めているの?」
「ほんの数年です! 初めて旦那様に領地の視察を命じられた時から領地も領民もその状態でした!」
「ということは何年もその状態ということ……。せめて侯爵様自ら視察を続けていれば、すぐ異変に気づいたでしょうに。ねえ、以前貴方は侯爵様が領地に足を運ばないのはジェシカさんが嫌がるからと言ったわよね? となると、ジェシカさんが裏から手を引いてこの状態にした可能性も……」
「あ、いえ……ジェシカ様が嫌がる理由というのは……村長の息子と結婚直前に婚約破棄したからです。もともとジェシカ様は村長の息子の花嫁になるはずだったらしいのですが、たまたま領地の視察に訪れていた旦那様と恋に落ちて結婚直前に村長の息子をこっぴどく振ったとか。それで気まずくなって領地に足を運べなくなったそうですよ」
「え? そんなくだらない理由で長年領主としての責務を果たしてこなかったの? 信じられない……」
調査でジェシカが領地のとある村の娘ということは知っていたが、侯爵が彼女を婚約者から奪い去ってしまったことまでは知らなかった。そしてそんな暴君みたいな真似をした挙句領民から背を向けるだなんて統治者としての資格がないと心底呆れる。




