高貴な血
「は……? メリッサ夫人が御老公のご息女……? 確か夫人はさる伯爵家の出だったはずでは……」
流石の国王も事前にフロンティア子爵家を調べたうえで婚約をもちかけていた。
その際に子爵夫人の出自は確かに帝国だったとはいえ、聞いたこともないような名前の伯爵家出身だったはず。シーグラス家の令嬢だったという情報など無かった。
「ああ、それは嫁ぐにあたってシーグラスの名が邪魔になるのでな。知り合いの伯爵家に頼んでメリッサを養女にしてもらったのですよ」
なんでそんな真似をしたの……?
国王の頭はもう混乱状態にあった。
婚姻の際に箔付けの為格上の家の養女になることはよく聞くが、その逆で格下の家の養女になるというのは初耳だ。
「何故そのような真似を…………」
「それはまあ、こちらの事情ですな」
どんな事情だ!と叫びそうになった。
そんな隠すような真似をしないでくれていたら、アリッサ・フロンティアをこんな馬鹿げた婚約の生贄に選んだりはしなかったのに……。
国王自身も分かっていた。アリッサに強要した婚姻は決して幸せなものではないということを。
なにせ相手は三十路になっても独身を貫き、かといって養子をとって貴族当主としての体面を保つという真似もしない無責任な男だ。そしてその行動が原因で社交界から爪はじきにされている。嫁いだら苦労するのは火を見るよりも明らかだ。
こんな不幸せな結婚を強要したのは、アリッサがとるに足らない存在だと思っていたからだ。王族にとって沢山いる下位貴族の、しかも爵位を継がない令嬢などどう扱ってもいい存在でしかない。
ろくでもない男との結婚を強要し、それで不幸になったとしても国王の心は全く痛まない。子爵令嬢一人の人生を潰したところでどうとも思わないのから。
それが蓋を開けてみればただの下位貴族の令嬢ではなかった。
取るに足らない存在だと思っていた娘は帝国皇家の血を引くやんごとない令嬢であったのだ。
なにせ、シーグラス翁は先々代皇帝の実子。
継承権すらない愛妾の子とはいえ、その身に流れるのは紛れもなく皇帝の血。
皇族の血族にこんな理不尽な婚約を押し付けていいはずないということは嫌でも分かる。
(不味い、不味い、不味い……。先代皇帝も現皇帝もシーグラス翁に心酔していると聞く。その孫娘にこんな理不尽な婚約を強要したなんて知られたら……最悪は戦争だって有り得る!)
シーグラス翁は先代皇帝の異母兄、そして現皇帝の伯父にあたる。
どちらの皇帝にも尊敬の念を向けられている彼が一声かければすぐにでも帝国の軍勢がこの国に雪崩れ込んでくるであろうことは想像に難くない。
戦の大義名分は十分成り立つ。皇族の血を継ぐ姫に理不尽な婚約を王命で強いたというのは、ひいては帝国への侮辱となる。
それにこんな馬鹿げた理由で開戦となれば、国王は稀にみる愚王として後世に不名誉な名を残すこととなってしまう。それだけはどうしても避けたい。
国王にとって戦で民が苦しむ事よりも己の名が汚されることの方が耐えがたいことだった。民よりも己の方が大切だという器の小ささ。そこが先代の忠臣達から馬鹿にされてしまう所以である。
「陛下の貴重なお時間を不必要に奪ってしまうわけには参りません。単刀直入に申し上げますが、何故、王家が我が孫アリッサの婚約に介入なさるのです? 本来貴族の婚姻はその家の当主同士で決めるものでは?」
「そ、それは…………」
痛い所を突かれ国王は言葉を詰まらせる。
全くその通りなので何と言ったらよいか分からない。
馬鹿正直に己の浅はかな目的を伝えるわけにもいかず、国王は途方に暮れた……。(るが不要)
*
貴族間の婚約について王家が介入することはほとんどない。
あるとすれば国の事業が関わるものや、王族の血縁者の家が傾いた時に資金援助を頼む際など。そして今回のバーティ侯爵家とフロンティア子爵家の婚約に関してはそのどちらでもない。
シーグラス翁の言う通り、王家が王命まで下して婚約を強要する対外的な理由が無い。あるのは「憎き仇の娘を苦しめたい」というヘブンズ伯爵の私怨と、「これをダシに難癖付けてバーティ侯爵家とヘブンズ伯爵家の爵位と領地を没収したい」という理不尽かつ雑な国王の私欲だけ。
流石にこれを馬鹿正直に伝えれば、目の前の大御所が怒り狂うことは想像に難くない。
(いや……、そもそも、フロンティア子爵家に何と言って婚約を強要したのだったか……?)
二つの爵位をどう没収してやろうか、ということばかりを考えていたせいでフロンティア子爵家に何と言って婚約を結ばせようとしたのかをすっかり忘れてしまった。
覚えてこそいないものの、それを言って納得してもらったのだからそれなりの理由だったはず。
(少なくともフロンティア子爵家が納得するような理由だったのだから、それを言えばシーグラス翁も納得するのでは……)
国王は必死に思い出そうとするも全く思い出せない。
それだけ彼にとってはどうでもいいものだったのだろう。
無関係の令嬢に平民女に傾倒して貴族の責務を果たさない盆暗との婚約を王命まで使って強行したことを、少しも悪いと思っていないことの証である。
「私はフロンティア子爵が過去にやらかした事への不始末が理由と耳にしましたが……それは真ですか?」
思い出そうと必死になる国王へ、シーグラス翁の隣にいた身なりのいい青年が問いかける。それに対し国王は許可なく声をかけるなど不敬な……と眉をしかめたが、青年の上着に金糸で施された獅子の刺繍を見て愕然とする。
「……シーグラスの御老公、失礼ですがこちらの御方は……」
「おお! 儂としたことが紹介を失念しておりましたな。こちらは帝国第三皇子殿下であらせられます」
やっぱりか……畜生──!!
心の中で国王は思いっきり叫んだ。
帝国皇家の紋章である獅子を見た瞬間から何となくそうじゃないかとは思っていたが、頼むからそれは違っていてほしかった。皇家の紋章は皇族以外使用できないから違いようもないのだが。
「お初お目にかかります。帝国皇帝フリードリヒ二世が三男、ノアと申します。以後お見知りおきを」
人のよさそうな笑みを浮かべる第三皇子ノア。
その笑みに国王は寒気がした。
帝国の皇子なんてまず初めに紹介して然るべき人物だろうが!
それをこんなタイミングで紹介するとか絶対わざとだろう!
立て続けに権力曝け出してくるの止めてほしい。こちらはもう腹いっぱいで胃もたれを起こしそうだ……。
「それで話を戻しますが、アリッサは父親の責任を取らされてこのような理不尽な婚約を押し付けられたのでしょうか? それが真実であるなら、あまりにもアリッサが哀れだと思うのですよ」
全然よろしくする気の無い皇子が話を戻す。
普通、帝国の皇子ともなれば王家として正式に迎えてもてなすほどの賓客なのだが、この皇子はまるで近所の家に寄った並の軽さで他国の王宮に来た。それだけでもうこちらが完全に下に見られ、且つ「お前の国と仲良くする気はない」と突きつけられていると分かる。
「いやっ、その前にまず第三王子殿下は何故シーグラスの御老公と共にこちらへ……?」
「ああ、それはシーグラスの御老公が息女、メリッサ子爵夫人が養女として入られたのが我が母の生家だからです。つまりメリッサ夫人は我が母第二皇妃と義理の姉妹。アリッサは皇妃の姪にあたります。そういった縁がありまして、皇帝陛下より御老公に随行するよう仰せつかりました」
また新情報が出てきた。
とるに足らない下位貴族の娘だと思っていたのに、大貴族シーグラス翁の孫娘で帝国皇妃の義姪、しかもその身には皇族の血が流れているという。
詰んでいる。もう完全に詰んでいる。
どうしてこんな権力山盛りの令嬢に馬鹿みたいな婚約を強要してしまったんだ。
しかも王命まで使って。
それに皇子に言われて婚約をフロンティア子爵家に強要した理由を思い出したが、どう考えても目の前の覇王然とした老人を納得させられるものじゃなかった。
──フロンティア子爵が過去にヘブンズ伯爵の娘を不幸な目に遭わせたから、子爵の娘にも同じ目に遭ってもらう。
いや、改めて考えるとおかしいだろうこの理由。
こんな純度100%の私怨が王命を下す理由って……これで納得したフロンティア子爵は阿呆なのか?
なんでこの王命の案を出した時に議会の連中は誰も止めてくれなかったんだ、と国王はここにいない議員達に責任を転嫁し始めた。
(いや……そもそもこの阿呆みたいな理由は議会の連中に言ってなかった……。侯爵がいつまでも独身のままでは体裁が悪いだろうとか何とか言って二人の婚約を定めただけだった)
その時の国王も、流石にこんな私怨を理由に王命を下しても議会の承認は得られないだろうと考え、もっともらしい事を言ったのだ。
高位貴族が独身のまま跡継ぎも作らないなぞ有り得ない、という理由で適当な若い貴族令嬢を宛がうのはよくある話。反対する理由も無いのであっさりと承認されてしまった……。
国王は「誰か一人くらいフロンティア子爵令嬢の出自について知らなかったのか!?」と自分も知らなかったことを棚に上げ心の中で毒づいた。
そのせいで国際問題に発展しかねない不味い状況に陥っている。
いやむしろもう国際問題になっていると言っていい。先ほど皇子が皇帝より随行を命じられた、と発言したことや皇家の紋章をわざわざ身に着けてきたことから彼が皇帝の名代を務めていると解釈できる。
不味い、非常に不味い。そんなつもりじゃなかったのに、結果的に帝国相手に喧嘩を売ってしまった。
下手をすると開戦待ったなしだ。
「陛下? 如何なさいましたか?」
「あ、いや……その……急に気分が悪くなってしまって……」
「おお! それはいけませんな。陛下の御身体が心配ですので手短に話を済ませてしまいましょう」
下がらせる気などないシーグラス翁に国王の顔色は青を通り越して白くなる。
(どうする……もういっそのこと王命を撤回してしまうか……? いや、でも……それは……)
この場で「あの王命はちょっとした間違いでした!」と言って速やかに王命を撤回すれば多少の非難はあれども最悪の事態は避けられるだろう。だったらすぐにでもそれを口に出せばいいのだが、国王は躊躇った。
国王が躊躇う理由、それは王命の撤回は王位を退くことを意味するからだ。
王が間違うことなどあってはならない。王の決定は常に正しい。
それが大前提とされ、もし王命を撤回するようなことがあればそれは王の選択が間違っていたことを意味する。
人は間違うものだが、王は間違ってはいけない。
間違ったのならば、それはもう王ではない。
だからこそ王命を撤回すればこの先ずっと愚王の汚名がつき纏う。
プライドだけは非常に高い国王は後世まで自分の名が蔑まれることには耐えられなかった。




