幻滅
その日の昼、小旅行を楽しんだであろうバーティ侯爵が満足そうな顔のジェシカと共に邸へと帰ってきた。
「……お帰りなさいませ、旦那様」
恭しく主人を迎える家令だが、その声や表情にはどこか非難めいたものを滲ませている。それもそのはず、意に添わぬとはいえ仮にも花嫁候補が屋敷に滞在しているのに、それを放って外泊するという不作法さは貴族としてあるまじき行為だ。
「ふむ。留守中、変わりはなかったか?」
「……はい、つつがなく……。旦那様のお仕事もフロンティア子爵家の方々が随分な量を処理してくださいましたので……」
仕事をせず愛人にかまけている当主のせいで執務室に書類は溜まる一方だった。
しかしながら領地経営も学んでいない家令にそれを代わりにこなす能力はなく、出来ることと言えば簡単な報告書の作成と領地の視察くらいだ。それすらも出来ているのかあやしい。
「そうか……結構なことだ」
覇気のない主人の様子に家令は違和感を覚えた。
これまで愛人と外出した後はいつも阿呆みたいに上機嫌だったのに、今はどことなく不満気な雰囲気を漂わせている。
「やっぱり遠出すると疲れるわね。部屋で少し休むとするわ」
恋人のそんな様子を気づきもしないジェシカはメイドを従え女主人の部屋へと向かう。それはいつも通りの行動であるのに、この時ばかりは鼻につくと家令は苛立ちを募らせた。
(ちっ……平民風情が偉そうに……)
数日アリッサと交流したことにより、家令の心にも変化が表れていた。
かなり常識から飛び出た言動をする令嬢だが、知性や気品はまさしく上に立つ者のそれ。当主を支え、使用人を従える女主人の器とはこうあるべきと思わせる姿。
アリッサを見ていると、ジェシカに頭を下げることに嫌悪を感じるようになってしまった。金の為に我慢していたが、どうして貴族の自分が平民に媚びへつらわなければならないのかという不満が湧き上がる。そんな資格などないのに、当たり前のように女主人の部屋を使うジェシカに殺意すら覚えた。
「旦那様もお休みになられますか?」
「いや……僕はいい。それよりその……」
言葉を詰まらせる主人に家令は首を傾げた。
侯爵はまるで何かを探しているように周囲に目を遣った後、意を決して家令にこう告げる。
「あー……その、彼女は何をしているだろうか?」
「はい? 彼女……? あ、もしかしてフロンティア子爵家のお嬢様のことですか?」
「あ、ああ……そうだ。フロンティア嬢は部屋にいるのか?」
「はあ……アリッサ・フロンティア嬢も“ヴィクトリア”・フロンティア嬢も部屋におられますが……」
「ちょっと待て、お前何であの女装中年男を選択肢に入れた? 僕がアレを女性扱いしていると思ったのか?」
「いえ、一応はどちらもフロンティア子爵令嬢という肩書ですので……」
「だから何だよ! オッサンを女性扱いするわけがないだろう⁉」
「ですが、王命でそう定められていますし……」
「だからって『じゃあ、きちんと令嬢として扱おう』となるか! ああ、もういい! とにかくあの令嬢は部屋にいるんだな?」
吐き捨てるようにそう言った後、侯爵は二階へ続く階段に足をかける。
「? 旦那様、どちらへ? お部屋に戻られるのですか?」
「……違う。あの令嬢……アリッサ嬢とお茶に誘おうと思ってな」
「はあ?」
一切のもてなしをしてこなかったくせに今更何を言っているのだろう……。
呆れた顔を隠しもせずにいると、侯爵はそんな家令に気づきムッとした。
「何だその顔は! 彼女は僕の仕事を手伝ってくれたんだろう? だったら労ってやるのは当たり前じゃないか!」
「いえ……それでしたらアリッサ嬢だけでなく“ヴィクトリア”嬢も誘うべきでは? どちらかというと“ヴィクトリア”嬢が主体となって仕事を片付けてくださったのですから」
「は? お前は僕にあんな女装したオッサンと茶を飲めというのか!」
「はい、そうです。だって仕事を手伝ったことへの御礼なのですよね? だったら、お一人だけ誘わないのはおかしいではありませんか?」
「う……そ、それは……」
家令は正論を突きつけただけでタジタジになる主人を白けた目で見た。
その様子から労わる意味合いではなく、下心で言っているだろうことが分かる。
(あれだけジェシカ、ジェシカと騒いでいたくせに……若くて綺麗な令嬢が来たらこれか)
アリッサが美しいということは家令の目から見ても明らかだった。
あのような美少女が嫁にくるとなれば大抵の男は喜ぶだろうこと分かる。
だが、あれだけ周囲の反対を押し切ってジェシカを長年侍らせていた主人が、今更他の女に余所見をするとは思わなかった。
「そのようなことをしたら、ジェシカ様が嫌がるのでは?」
「大丈夫だ。ジェシカは午睡すると言っていたからな。黙っていれば問題ない」
つまり愛人が寝ている隙に若い令嬢との逢瀬を楽しむわけか。
あれほど“真実の愛”だとかぬかしていたくせに呆れたものだ。
「はあ……さようでございますか。ところでご令嬢を誘うのにどうして二階へ行かれるのです?」
アリッサ達の部屋は一階にある客室だ。それなのに何故彼女を誘う為に二階への階段を上がろうとしたのかと家令は侯爵に尋ねた。
「は? お前は何を言っているんだ? 僕は彼女達を屋根裏部屋に押し込んでおけと命令しただろう?」
家令は一瞬何を言われているのか分からず固まってしまったが、すぐに「あっ……」と気づいた。
(しまった……そういえば最初そんな命令を受けていたんだった。すっかり頭から抜けていた……)
目の前の主人から言われていた命令を家令はすっかり忘れていた。
そういえば客人を二階にある屋根裏部屋へと押し込んでおけと命令されていたのだったと、今更ながら思い出す。
あの恐ろしい令嬢をそんな場所に押し込めるなんて出来っこない。そう独断で客室を用意し、主人から「嫌がらせをしろ」と命じられていたことなど、今の今まですっかり忘れていた。
というか、実行されてはいないとはいえ貴族の令嬢を屋根裏部屋に押し込むという嫌がらせをしておいて呑気にお茶に誘う神経が分からない。多少なりとも罪悪感が湧くものだろう、普通は。
「あー……旦那様、お嬢様方は私の方でお声掛けしておきます。旦那様はまず御着替えをどうぞ」
こいつに嫌がらせをしていないことを知られると面倒だ。
それを防ぐためにとりあえず部屋には近づけないようにしようと自らアリッサを誘う役目を担う。
「ふむ。そういえば外出着のままだったな。分かった、ならば声掛けとお茶の準備は頼んだぞ」
鼻歌交じりで自室へと向かう主人に家令はまるでゴミを見るような軽蔑した目を向けた。愛人との小旅行後に若い婚約者候補と親交を深めようとするとか最低だ。
「……………………」
なんだかなあ、と家令は深くため息をついた。
ここ数日アリッサ達と接していたせいで家令の侯爵を見る目が変わりつつあった。
前々から人としても当主としても駄目な男だとは思っていたけど、他家の人間に仕事を任せて好きな事だけをする情けない姿にますます幻滅した。たとえ女装をしていたとしても真面目に仕事に取り組む子爵の姿に本来当主とはこういうものだと実感し、楽な方へばかり行きたがる主人は当主の器ではないと改めて思う。
今まで金の為と我慢して仕えてきたが、もう限界に近い。
あんなどうしようもない屑に何故傅かなければならないという感情が頭を占める。
鬱々とした気分のまま家令はアリッサが滞在する部屋へと足を進めるのだった。




