つい感情的になってしまいました
「このお茶、とても美味ですね。どちらのものですか?」
「さあ、知らないな。仕入れは使用人に任せている」
「はあ、そうですか……」
侯爵邸にある陽当たりの良いサロン。
その一室でアリッサは侯爵と向かい合ってお茶を飲んでいた。
一応礼儀として話題を振るアリッサだが、招待した側でありながら会話を盛り上げる気の無い侯爵に呆れを隠せない。早々に会話を諦めて窓越しに景色を楽しむことにした。
(あの桃色の薔薇綺麗だわ。我が家の庭にも植えてもらおうかしら? 何という品種なのか後で庭師に確認しておきましょう……)
もう会話をする気も失せたアリッサはティーカップ片手に庭に植えてある薔薇を眺めていた。何も話さない三十路の男よりも美しく咲き誇る花を見ていた方がいい。前者の方を向いていては折角の美味しいお茶が台無しだ。
それにしても侯爵は高位貴族家の当主でありながら茶会の作法も知らないのかと呆れてしまう。茶会で提供されるお茶がどこの産地の物かを客人が尋ね、それに招待した側が答えるのはこの国では当然の作法。幼少の頃より高等な教育を受けてきたであろう高位貴族が何故それをしないのか理解に苦しむ。
(……もしかして、知らないのではなくて忘れてしまったのかもしれないわね)
平民をまるで妻のように傍に置き、長年に渡り縁談も断っているせいでバーティ侯爵は社交界で爪はじきにされていると聞く。そうなると必然的に他家から茶会の誘いを受けることもないだろう。そうして過ごすうちに貴族として当然の礼儀作法も忘れつつあるのかもしれない。
「菓子は足りているか? 遠慮は無用だ。好きなだけ食べるがいい」
「え? あ、はい。ありがとうございます……」
「不味い食事ばかりで辛かっただろう? よければ父親の分も持っていって構わないぞ」
「?? はあ……お気遣いありがとうございます」
アリッサは公爵の発言の意味が分からず首を傾げた。
不味い食事とは何のことだろう? それに父の分と言っても、お茶もお菓子も望めばいつでも出してもらえるからわざわざ持ち帰ることもないのに……
「それと、あんな部屋に君のような可憐な令嬢を押し込めてすまなかった……。王命にかこつけて僕とジェシカを引き裂く悪女だと思い込んでしまって……」
「はあ……?あんな部屋、ですか……?」
先程から侯爵の発言が意味不明だ。
何故やたらと菓子を勧めたり用意された部屋について謝罪したりするのだろうか。
「ああ、今日中にでもちゃんとした客室に行けるよう手配しておく」
「?? あの……先ほどから何の話をしているのです?」
「え? いや、だから……その……」
急に口籠る侯爵をアリッサは黙って見つめる。
すると彼は気まずそうに呟いた。
「その……悪かった。勝手に決められた婚約者など追い出してしまおうと思い、わざと粗末な部屋や食事を用意させたんだ。さぞかしひもじく惨めな思いをしただろうと……」
「?? ……ああ! そういうことですか」
そういえば初日に父とそんな話をしたなと今更ながら思い出す。
あの時は冗談で「屋根裏部屋にでも案内されるところだったのかも」と言ったが、侯爵の口ぶりから本当はそうするはずだったのだと気づく。
(実際は部屋も食事もまともなものが提供されているのだけど……もしかして侯爵様の命令を無視して家令さんあたりが独断でやってくれたということ?)
勘のいいアリッサは瞬時に理解した。
目の前のボンクラ侯爵が下した愚かな命令を家令が無視をしたと。
なかなか賢明な判断じゃないかとアリッサは密かに家令を見直した。
「本当にすまなかった……。どうか許してほしい……」
神妙な面持ちで謝罪をする侯爵。三十を過ぎているとはいえ未だ健在の美しい顔立ちの男がまるで叱られた犬のように項垂れる様は母性本能をくすぐられる…………とはならなかった。
「初対面の相手を虐げようとした事を謝罪一つで済ませようとするなんて正気ですか? いくら私が貴方様より身分が低いといえども、やっていいことと悪いことがあると思いますけど……」
アリッサの冷めた言葉に侯爵は一瞬何を言われたか分からなかった。
侯爵である自分がしおらしく謝れば許されるという謎の自信があったのに、こうも冷たく突き放された挙句に説教をされるとは思ってもいなかったのだ。
「あ、いや……だからこうして頭を下げて……」
「下げるだけで許されて然るべきと? それは随分そちらに都合がよろしい考えでございますね。私は我が父が何十年も前に犯した罪を償えと強要されておりますのに……」
まるで地の底から這い出るような迫力のある声に侯爵は圧倒された。
自分よりひと回りは下の令嬢から発せられたとは思えぬほど低く威圧感に満ちた声。いくら鈍感な侯爵といえども目の前の少女が怒っていることは容易に理解が出来た。そして自分の言葉で少女を怒らせてしまったということも。
「……ああ、失礼。つい感情的になってしまいました。無礼をお詫びいたします」
「あ、ああ……いや、こちらもすまなかった……」
正直侯爵はこの時何に対して謝っているのか自分でもよく分からなかった。
目の前の少女の怒りを収めたいと、ただそれしか頭にない。少女が何にそんな怒っているのかなど考えもしなかった。
だから彼は盛大な勘違いをしてしまう。
アリッサは婚約を結ぶであろう自分に構ってもらえなかったから怒っているのだと。
「すまない……君は寂しかったんだな?」
「……はあ? 何をおっしゃっているんです?」
またもや訳の分からない発言をかまされたアリッサは思い切り眉根を寄せた。
しかし、そんな彼女の嫌悪にも似た表情に気づかず侯爵はそのまま己に酔ったような台詞を続ける。
「分かっている。君は僕がジェシカばかりに目を向けていることが気に入らなかったのだろう?」
「はい? いえ、別にそれにつきましては何も気にしておりません」
何を言っているんだコイツは。そんな言葉が喉元まで出かかった。
「僕に恋人がいると分かっていたから……気を引きたいが為にわざとあんなことをしたのだろう? 少しでも僕の印象に残るようにと……実の父親を引き立て役にまでするなど、君は面白い人だな」
「何をおっしゃっているのかさっぱり分かりませんが、貴方様の気を引くという些末なことの為に、実の父親にあのような恥辱を味合わせるほど鬼畜ではございません」
「恥辱を味合わせているという自覚はあったのか……?」
一応は父親に恥辱を味合わせているという自覚のあるアリッサ。
だが、罪悪感は一切ない。
「照れなくてもいい。そうでなければ実の父親にあのような真似をさせないだろう?」
「そうでなくとも、あのような真似をさせます。むしろそのような意図は想定しておりませんでした」
「ふう……強情だな。分かった、そういうことにしておいてやろう」
「そういうことも何も、それしかありません。まあ、物事をどのように捉えるかは個人の自由ですのでご勝手にどうぞ」
子爵が女装をした件について侯爵はアリッサが自分の気を引く為と勝手な妄想をし始めた。勿論アリッサにそんなつもりは微塵もなく、侯爵の気を引くなどという無駄な行為をするつもりもない。
「ふむ……そのような強気なところも魅力的だな。気の強い女性は嫌いではない」
「……………………どうも」
最早反論する気も失せたアリッサは適当に流すことにした。
それにしても先ほどから悪寒が背筋を駆け巡って止まらない。
確かめてはいないが全身には鳥肌が立っていると思う。
それほどこの男からの好意を感じさせる台詞やじっとりと熱の籠った瞳が気持ち悪くてたまらないのだ。
「まあ……なんだ、王命で勝手に定められたとはいえ……君は僕の婚約者候補だ。これからはもっと親交を深めようと思う……」
思わず「は?」と言いそうになった。
こちらに関わらなかったくせにいきなり興味を示してくるとかどういうことだろう……。
「あら……それならば私だけではなく、どうぞ『ヴィクトリア』とも親交を深めてくださいませ。彼女も貴方様の婚約者候補ですから、平等に扱っていただかなくてはね……」
「は? どうして僕があんな女装中年男と親交を深めなくてはならない……」
「それは彼女も私と同じ婚約者候補だからです。候補者とは平等に扱われて然るべきでしょう?」
「はあ……いい加減にしてくれ。いつまでそのおふざけに僕を付き合わせるつもりだ?」
「おふざけ? まあ……国王陛下が定めし事をおふざけとは……随分と不敬ですこと」
苛ついた態度を見せる侯爵だが、アリッサが怯むことはない。
余裕の態度で返すアリッサに怯んだのはむしろ侯爵の方だった。
「如何にふざけた内容だろうと王命は王命です。だから私も不本意ながら婚約者候補としてこの邸に来たわけです」
「……不本意だと? 君は望んでここに来たわけではないのか!?」
驚く侯爵にアリッサは白けた目を向ける。
何をどうしたら望んでここへ来たと思えるのか不思議でならない。
「何故そのように思われたのです? 何故、私が貴方様との婚約を望んでいるなどという勘違いが出来たのですか?」
「かっ……勘違いだと!?」
「だってそうでしょう? 会ったこともない、顔も見たことの無い殿方との婚約を望むとでも? おまけに貴方様は私に嫌がらせをしたではありませんか」
実行はされていないものの、この男は自分達に嫌がらせをするよう命じていた。
よくそれで平然と擦り寄ってこようとするな、と呆れてしまう。
「っ……!? い、いや……だからそれは謝罪したじゃないか……」
「謝罪一つで罪が消えてなくなるとでも? その理論でいけば何十年前の我が父の罪など存在しないはずですよね?」
「そ、それは……僕には関係の無いことだし……」
「ええ、そうです。ならば私にとって貴方様がジェシカさんを溺愛するあまり独身を貫いているということも関係の無いことです」
「その話は今関係ないだろう!?」
「いいえ、大いに関係しております。そもそも貴方様がこのような中途半端な状態をお続けにならなければ私がここへ来ることもなかったのです」
淡々と話すアリッサの迫力に侯爵は小声で「中途半端って……」と返すことしか出来なかった。年下の令嬢とは思えぬほどの威圧感に冷や汗が流れる。
「中途半端でしょう? ジェシカさんをそんなにも愛しているのなら、なぜ何年も今のような状態のままでいるのです? 妻扱い、と聞こえはいいですが戸籍上も世間的にも妻ではなく愛人です。そんなにも愛しているのなら身分など捨てて夫婦になればよろしいでしょう?」
「身分を捨てろだと!? ふざけたことを……長年守り続けてきた由緒正しきバーティ家を途絶えさせるなど先祖への冒涜だぞ!」
「ふん、愛する人よりも家が大切だとでも? その程度で真実の愛とのたまうなど笑わせますね」
「なんだと……? 君は僕のジェシカへの愛を愚弄するつもりか!」
「つもり、ではなく愚弄しております。そもそも貴方様はジェシカさんをどうしたいのですか?」
男の怒号にも怯むことなく淡々と詰め寄るアリッサに気圧されたのは侯爵の方だった。この少女は自分よりも身分も年齢も遥かに下のはずなのに、何故か格上の者と話している気分になる。
「どうって……。傍にいてほしいと、ただそれだけだが……」
「それはどのような形で? 妻として? それとも愛人として?」
「なっ……なにを言っているんだ、君は……!」
その問いかけに焦りだす侯爵。明確な答えを避けようとするその態度にアリッサは表情を消した。
「何故答えられないのです? 至極簡単な質問でしょう。たったの二択ですよ?」
「そ、そんなの……答える必要は……」
「答える必要がないのではなく、答えられないの間違いでは? 侯爵様、貴方……ただジェシカさんを自分の都合のいいように扱っているだけでしょう? 彼女が貴方よりも身分が圧倒的に低い平民だから、どう扱ってもいいと思っているのでは……?」
「そ……そんなことはない! 僕はジェシカを誰よりも愛している……!」
顔から表情を消したアリッサは大の大人が悲鳴をあげてしまうほど恐ろしかった。
その美貌も相まって迫力が物凄く、思わず逃げ出したくなってしまうほどに。
「本当に? では、何故ジェシカさんを中途半端な位置に置いておくのです? 愛しているならさっさと身分などお捨てになり、夫婦になればよろしいではありませんか」
「君の意見を押し付けないでくれ……! 僕が貴族だからこそ愛するジェシカに贅沢な暮らしをさせてやれるんだ。愛する人に金で苦労をさせないことだって大切だろう!?」
「贅沢を知らない村娘だったジェシカさんに煌びやかな服や宝石をふんだんに与え、贅を凝らした食事に舌を慣れさせ、働くこともなく何不自由のない暮らしをさせることは本当に大切ですか? そしてそれは愛なのですか?」
「え……? どうしてジェシカが村娘だったことを知っているんだ……?」
「そんなことはどうでもよろしいんですのよ。それより、お金だけをかけることが愛情だとおっしゃるつもりですか? 私はそうは思いません。それは単に現実から目を逸らしているだけでは?」
「は……? どういうことだ……?」
「お金をかければジェシカさんの物欲は満たせますし、貴方も愛する方の喜ぶ顔を見ることで満ち足りた気分になれるでしょう。でも、それだけ。身分差がある限りジェシカさんは決して貴方の妻にはなれません。そうでしょう? 貴方はそれを分かっていながら不確かな立ち位置のままジェシカさんを傍に置き続けている。そんな不誠実極まりない態度が本当に“愛”だと? 笑わせますね……」
「────っ!!」
それは侯爵がずっと目を背け続けていた事だった。
平民は貴族の妻になれない。そして平民を貴族にすることも出来ない。
侯爵に身分を捨てるつもりがないのであれば、いくら妻気分を味合わせたところで本当の妻には出来ない。
それを理解したうえで現実から目を逸らし続けていた。
何年間も、ずっと。ジェシカの結婚適齢期が過ぎたとしても、妻に出来ないと分かったうえで自分のもとへと縛り続けていた。
結婚できなくとも、本当に愛しているのは君だよと耳障りのいい言葉を囀って。
「う、うるさい! 君には関係ないだろう!?」
「関係はないですが、腹は立ちます」
「はあ!? どうして君が怒るんだ?」
「私が憤る理由は二つあります。まず一つは、貴方が妻に出来ない身分のジェシカさんを侍らせているとだけという中途半端な状態を続けていたせいで今更ながら世継ぎの為に妻を娶らなければいけないという事態に発展し、そこに私が巻き込まれたことです。……こうなる前にどうにか出来なかったのですか?」
「ど、どうにかって……」
アリッサの鋭い目で睨みつけられた侯爵は蛇に睨まれた蛙のように縮こまった。
恐ろしいまでの威圧感に声を出すのが精一杯で、とてもじゃないが反論することも出来やしない。
「身分を捨てる気もない、ジェシカさんと離れる気もないのであればさっさと親戚から養子でもとればよかったんですよ。その子を跡継ぎに指名すればとりあえず貴族としての体面は保てます。まさかこの程度のことが思いつかないはずもありませんし、となると何故そうしなかったと疑問が湧きますね」
「い、いや……それは……だって、やはり自分の血を引いた子に跡を継がせたいし……」
女々しい言い訳にアリッサは苛々を募らせた。
何をするにしても目の前の男には覚悟が足りない。身分差の恋を貫くか、当主の座に居続けるか、どちらも捨てられないがためにこんな中途半端な状態を何年間も続け、その結果何の関係もないアリッサがとばっちりを受けている。
そもそも目の前の男は自分の願望ばかりだ。
身分差があろうとも愛する人と離れたくない、貴族の身分も手放したくない、養子は嫌だ、自分の子に跡を継がせたい。夢を見るのは結構だが、それを叶えようと動かないあたりに腹が立つ。




