第129話『世界で一番あたたかい隠し味』
いつも『社畜OLの葛木萌、猫を助けて異世界へ!』を
お読みいただきありがとうございます!
前話では、萌のために公爵家のみんなとみちゃーれが
粉まみれ・カスタードまみれになりながら
「あえて不器用なタルト作り」に大苦戦してくれ
ました。
ジント様の最高に格好いいセリフ(!?)と共に焼き上がった、少し歪なタルト。
果たして、萌の心と不思議な本にみんなの想いは届くのでしょうか……?
うさぎ姿の萌ちゃんの、ドキドキの実食からスタートです!
差し出されたフォークの上で、少し
不格好なタルトの一切れが小さく揺れている。
端っこのタルト生地はほんの少しだけ分厚くて、カスタードクリームの中には、お父様や料理長が命がけで残した
小さなダマが、まるで愛おしい宝物の
ようにつぶつぶと顔を覗かせていた。
「……いた、だき、ましゅ……きゅ」
私はドキドキと、うさぎの長いお耳を小さく震わせながら、その一切れをぱくりとお口に含んだ。
サクッ、とした少し不揃いな
歯ごたえ。
その直後、お口いっぱいに広がったのは――。
(あ……)
一瞬で、頭の奥の記憶が鮮やかに呼び覚まされた。
プロの計算された完璧な味じゃない。
少しだけ焦げそうだったり、少しだけ
甘みにムラがあったりする、優しくて
素朴で、不器用な味。
「ひっく、うぅ……みゅ、う……っ」
喉の奥から、ちっちゃなうさぎの泣き声が漏れた。
こらえようと思えば思うほど
大きな涙の粒がうさぎの白い毛並みを
濡らして、ポロポロと床へとこぼれ落ちていく。
あの頃と同じだ。
まだお母さんが優しかった頃。
私がまだ本当に小さくて、お母さんの
エプロンの裾を掴んでキッチンをずっと見上げていた、あの頃の、お母さんの
味がする。
(お母さん……っ)
前世の、まだ小さかった頃の記憶。
いつからか家の中の空気が冷たくなって、お母さんの笑顔も消えてしまって
寂しい思い出ばかりが積み重なって
いった。
だから、異世界に転生してからは、前世の幼い頃の記憶なんてなるべく思い出さないように、どこか心の奥底に鍵をかけて仕舞い込んでいたのだ。
思い出すだけで、胸がキリキリと痛む
から。
お母さんの優しかった記憶と、その後に訪れた寂しさのギャップに、ちっちゃな心が押し潰されそうになるから。
だけど。
いま、私の舌の上で優しく溶けていくこのタルトには、そんな寂しさなんて
一微塵も残っていなくて。
(ライダ兄様の熱い想いも、アレク兄様の優しい気遣いも、お母様の慈愛も
お父様の不器用な真剣さも……
みちゃーれの頑張りも、ジント様のお耳のぬくもりも……全部、全部入ってる……!)
みんなが私のために、粉まみれに
なって、泥泥になって、何度も何度も
失敗しながら作ってくれた、世界で一番温かい『愛の隠し味』。
あの頃を、思い出したくはない。
冷え切ってしまった前世の家庭の記憶なんて、全部忘れてしまった方が楽なのかもしれない。
だけど、こんなにも温かい家族が今
私の目の前にいてくれるなら。
私のために、必死になってくれる手を差し伸べてくれているなら。
(……向き合って行くのも、いいのかもしれないな)
寂しかった過去も、お母さんが
変わってしまった悲しかった結末も
全部含めて私の人生だったのだと。
今のこの幸せな温かさがあれば、いつかちゃんと、笑顔で振り返ることができるかもしれない。
私の小さなお腹のあたりが、満腹の
タルトとはまた違う、はち切れんばかりの幸福感でいっぱいになっていく。
前世の寂しかった記憶が、目の前の愛おしいドタバタ劇によって、どんどん幸せな色に塗り替えられていくのが分かった。
「萌ちゃん!? やっぱりどこかお口に合いませんでしたの!?」
「萌、泣かないでくれ! 悪かった
やっぱりどこか焼き加減を間違えたか!? クソ、もう一回作り直す!」
お母様とライダ兄様が、粉まみれの顔をさらに真っ白にして大慌てで駆け寄ってくる。
お父様もアレク兄様も、まるでお国の
大事態かのような張り詰めた表情で私を見つめ、料理長にいたってはプロの
プライドが崩壊したのかガタガタと震えていた。
私は大きく首を横に振って、うさぎの長いお耳をパタパタと激しく揺らしながら、涙を短いおててでゴシゴシと
拭った。
そして、とびきりの満面の笑みを弾けさせた。
「きゅ、ううん……っ! おいちい! おいちいの……っ! もえ、いま
ちぇかいで一番しあわせ、でしゅ……
みゅきゅーっ!」
その瞬間だった。
机の上に置かれていた、あの
『不思議な本』が、突如として眩い
ばかりの黄金色の光を放ち始めた。
「にゃ, にゃあ! 本が、本が光ってるにゃー!」
みちゃーれが泡立て器を落とし
カスタードまみれの顔のまま飛び上がる。
光の中に浮かび上がった本のページが、パタパタと生き物のように激しく
めくれていく。
これまで頑なに白紙のままだったページに、まるで誰かが透明な絵の具で描いているかのように、鮮やかな文字と挿絵がみるみるうちに刻まれていった。
描かれていたのは、粉まみれになってボウルを囲む公爵家一同と、カスタードまみれのみちゃーれ。
底には、それを嬉しそうに見つめて
タルトを食べる、ちっちゃな白い姿。
「なるほどな……。完璧な魔術や完璧な調理ではなく、萌を想う
『不器用な愛』、そして萌が自らの過去を受け入れた心の成長こそが、この本の封印を解く真の鍵だったというわけか」
ジント様が感心したように目を細め
光り輝く本をそっと指先で撫でる。
カチリ、と頭の中で何かのストッパーが外れるような音がして、本から溢れた温かな魔力が、私の小さな身体を優しく包み込んでいくのが分かった。
(あ、あれ……? なんだか、身体がポカポカする……?)
魔力の暴走のせいで、今はすっかりちっちゃなうさぎの姿になってしまって
いる私だけど、その身体の奥深くで
せき止められていた魔力の流れが
すうっと正常に戻っていくような感覚があった。
まだ完全ではないけれど、この本の
謎を解き明かしていけば、いつかこの
魔力の暴走を完全にコントロールして
本来の姿に戻る日もそう遠くはないかもしれない。
そんな確かな希望が、本の光とともに胸に宿る。
だけど、今の私にとっては何よりも。
「萌ちゃん、もう一口いかが? 今度はもっと上手にカスタードのダマを作ってみせますわ」
「おいおい母さん、俺の混ぜた生地の
不揃いさだって負けてないぜ!
次はもっと下手くそに作ってやる!」
「フッ、私の定規で測ったかのような
美しい厚みをあえて崩す技術こそが
至高だよ、ライダ」
「にゃあ! みちゃーれのカスタードまみれのおててで作ったやつも、もっと
美味しくなるにゃ!」
ドタバタと賑やかに、お互いの
『不器用さ』を誇らしげに自慢し合うみんなの姿が、何よりも愛おしくて、誇らしかった。
「みんニャ、ありがとぉ……でしゅ! きゅきゅっ!」
私はもう一度、世界一優しい味がするタルトをお口に運びながら、心の中で前世のお母さんにそっと呟いた。
(お母さん、私ね、こっちの世界で
こんなに素敵な家族に巡り合えたよ。
だからもう、寂しくないよ――!)
真っ白な小麦粉の煙がダンスする
キッチンで、私たちの甘くて不器用な挑戦は、最高の笑顔とともに幕を閉じたのだった。
第129話をお読みいただき、ありがとうございました!
みんなが泥泥になりながら作ってくれたタルトは
前世の優しかった頃の思い出の味。
寂しかった過去を今の温かい家族の愛で塗り替え
一歩前へ踏み出す萌ちゃんの姿に、書いていて少し目頭が熱くなってしまいました……!
そして、ついに『不思議な本』が黄金の光を放ち、魔力の暴走(うさぎ化)にも少し変化が……!?
これから本来の姿に戻るための、大きな一歩になりそうです!
「みんなの不器用な愛のタルト、食べてみたい!」
「うさぎ萌ちゃん可愛い!」と思ってくださった方は
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次回、ついに本に浮かび上がった内容とは……!?
その前に番外編を行います!
第130話もどうぞお楽しみに!




