第346話 のんびり、しっかり
裏で働くウルン人たちとお風呂を済ませたファイ。身体も心もきれいさっぱりした彼女は皆と別れ、1人ニナの執務室を尋ねていた。
「ニナ。きた、よ」
「ファイさん! お待ちしておりましたわ!」
伺いと共にファイが扉を開くと、笑顔のニナが迎えてくれる。
相変わらず見ているだけで心がポカポカしてしまう主人の笑顔につられてしまわないよう気を付けながら、ファイはニナのもとへと歩み寄る。
と、その際に洗剤の匂いがしたのだろうか。椅子に座ったままスンスンと鼻を鳴らしたニナが「あら?」と茶色い髪を揺らした。
「ファイさん。お風呂に入っていらっしゃったのですか?」
「うん、そう。しばらく入ってなかった、から。……あっ。急いだ方が良かった?」
ひょっとして急ぎのようだったのだろうか。だとすれば、悠長に身を清めていた場合ではなかったかもしれない。
1人反省するファイに、ニナが慌てた様子で「いえいえっ」と首を振る。
「大丈夫ですわ! わたくしの方こそ、なかなか休憩を差し上げることができなくて申し訳ございません。まさか階層主の補充があれほど忙しくなるとは……」
「ううん、私なら大丈夫。だって――」
「道具だから、ですわね?」
言いたかったことを先回りしてくれたニナに、ファイはわずかに表情を柔らかくしながら頷く。
「でも、ニナ。大丈夫、なの? もうそろそろ補充の時間だ、よ?」
ファイの体感では、そろそろエナが補充されて階層主の間が開く頃合いだ。暗に「対応しなくても良いのか?」と尋ねたファイに、ニナが大丈夫と苦笑する。
「そちらの業務につきましては、ユアさんにしていただくことにいたしました。と申しますのも、ユアさん、トゥエラさんを見失ってしまったようでして……」
トゥエラとは、ファイが階層主の補充作業をする直前に出会った、角のない角族の女性だ。このエナリアには散歩がてら鉱物・食べ物の採集に来ているのだとニナは言っていただろうか。
彼女のようなガルン人の『来場者』がウルン人を殺さないよう、このエナリアでは監視がつけられる。大抵は“何か”あっても対応できるニナかリーゼが対応するのだが、今回はユアが担当者だった。
「幸い、トゥエラさんであれば、ほぼ間違いなく、わたくしのエナリアの決まりを破ることはありません。考えなしに“おイタ”をするような方でもありませんし、ユアさんでも大丈夫だと思っていたのですが……」
ピュレ越しに監視していたユアが目を離していた間に、ピュレの視界からトゥエラが消えていたのだという。
ということで、ユアはお役御免。これまで通り、ファイが行なっていた階層主の間の補充作業に戻ってもらったようだ。
「それに、これ以上ファイさんにあのお仕事をしていただくのは……」
そこで言葉を区切って、ファイのことを見上げていたニナ。こちらを見つめる茶色い瞳に憂慮の念が見えた気がして、ファイも思わず聞き返してしまう。
「それに……?」
ニナが突然引き上げるように言ったように感じていたファイ。今の発言からしても、何か自身の仕事に至らない点があったのではないか、と。
つい不安になって眉尻を下げるファイに、ニナがクスッと小さな笑みをこぼす。
「ふふっ! 通話では少し心配いたしましたが、どうやらお風呂が良いお薬になったようですわね! どなたかとご一緒されたのですか?」
「あ、えっと……」
正直、ファイとしては先のニナの視線や発言の意図が知りたいところだ。が、質問されれば、自身のことは差し置いて答えてしまうのがファイという少女でもある。
「フーカ達、ウルン人のみんなと一緒、した。みんな弱い、のに。自分にできるお仕事してて、すごい……ね?」
現状に甘んじるのではなく、自らできることを探して、時には協力しながら1つの事に当たる。
ファイが思う“弱い人たち”の強さや逞しさを改めて感じられた語らいには、自ずと金色の瞳も輝くというものだ。
どうすれば自分も、彼女たちのような強さを手に入れられるのだろうか、と。いつしかファイの興味は、先のニナの態度からは離れてしまっている。
おかげで、ニナと通話をしていたファイが声にたくさんの感情を乗せてしまっていたこと。翻って、多くの魔獣の死を目にして、自分を取り繕うだけの精神的な余裕がなくなっていたこと。そんなファイの精神状態を見抜いたニナが、早々に彼女を仕事から遠ざけてくれたらしいこと。
以上、3つのことを聞きそびれることになるのだが、ともかく。
ファイはもう、白髪以外の人々が守られるだけ、弱いだけではないことを知っている。むしろフーカ達は、弱いからこそ知恵と工夫を凝らして生きている。
(どうしたら、フーカ達みたいに強くなれる、かな……?)
彼女たちを守るため。また、何よりニナの役に立つために。庇護対象をも学びの対象としながら、貪欲に強さを求め続けるファイだった。
「こういった場合、強者を見つけるユアさんの“嗅覚”に頼ることが多いですわ。ですが彼女は今、階層主の間でマテをしていただいております。なので……」
「えっと、私……?」
自分を指さして首をかしげるファイに、勢いよく首を左右に振ったニナ。椅子から立ち上がった彼女は、やる気に満ちた表情でファイを見上げると、
「わたくしとファイさんで、表に参りましょう!」
言って、自身の胸に手を当てる。
瞬間、ファイの瞳が輝いたことは言うまでもない。ニナと一緒に仕事ができる。それはつまり、ニナと長時間一緒に居られるということだからだ。
ただ、懸念材料がないわけではない。
「えっと……。来てるのは、ウルンでもさいきょーの探索者。その……大丈夫?」
先ほどお風呂場で聞いたフーカの話では、白の艦隊はウルンでも屈指の探索者組合なのだという。もしも彼女たちと鉢合わせた場合、戦闘になる可能性が多分にあった。
ファイとしてはもちろん、主人の実力を信じたい。だが、ニナの道具として、客観的な白の艦隊との戦力差を考慮しなければならないとも思う。
(私が戦ったニナの力、と、私4人分以上の白の艦隊。戦ったら、きっと……)
感情が導く理想と、理性が導く客観的な事実。身体の横で握った拳にファイが力を籠める前で、ニナはひどく優しい笑みを浮かべる。
「ファイさん。わたくしね? 白の艦隊の方々とお話をしてみたいのですわ」
戦ってみたいではなく、話してみたい。ニナの発言の真意に、ファイは黙って耳を傾ける。
「ウルンの犯罪者の方々が居ると聞いた時から、考えておりました。どうすれば、他者から幸せを奪うような彼らがエナリアに定着するのを防げるのかを」
悲しそうな、悔しそうな顔で言って、胸元で両こぶしを握るニナ。
良くも悪くも力こそが全てで、本能的に強者に従うガルンの文化。力こそが人々を縛る鎖となり、秩序を生んでいる。
一方、ウルンには本能的な“鎖”が無い。ゆえにウルンでは法律を作り、罰を設けることで、世界の秩序を守っている。
だが、エナリア内は実質的に無法地帯。ウルン人の方こそ“やりたい放題”の状態にある。
さらに、“不死のエナリア”にはガルン人という脅威がないため、犯罪者たちにとっては格好の隠れ家になってしまうのだ。
「犯罪者が住み着きやすい上層に派遣できる従業員も、犯罪者さん達に立ち向かえる人材も。どちらも限られておりますわ。わたくし達の方でできる対策も、かなり限られております」
「だから、白の艦隊の人たち……。従業員にする、の?」
ファイと同じ白髪の従業員が4人も増えれば、上層の秩序の維持など容易だろう。相手がどれほどの凶悪犯でも、白髪であれば1人で制圧することができる。
ファイも合わせれば白髪は5人。十分に、交代で上層の警備を行なえる人数だろう。
だからニナは白の艦隊を勧誘しようとしているのではないか。ファイの考えに、ニナは「惜しいですわ!」と三角を付ける。
「ウルンでも有数の影響力を持つという彼女たちの力を借りて、可能であれば同盟を結んでみたいのです!」
「どうめい……?」
「従業員とはまた違う、協力関係といったところでしょうか」
上層の警備を頼む代わりに、エナリアの資源を提供する。そんな、互いに利のある協力関係――同盟を結ぶことができないか、と、ニナは考えているようだ。
「この関係性であれば、ウルン人に“裏”の存在を知られることなく協力を仰ぐことができますものね(どやっ)」
「おー……たしかに?」
少し難しい話だが、大枠は理解できたファイ。胸を張ってドヤ顔をするニナを、懸命に持ち上げる。おかげでニナも気分が良くなったのだろうか。もう少しだけ、同盟について教えてくれた。
そもそも「ウルン人と同盟を結ぶ」という考え方自体は、かなり前から考えていたものらしい。具体的には、フーカを従業員として迎え入れたあたりだそうだ。
「聞けば、アミスさんはアグネスト王国の王女だという話ですわ。ウルンの王政には明るくありませんが、彼女の力を借りれば、アグネスト王国の協力を得られるはずです」
剣を交えて語り合い、アミスの人となりは知ることができた。だが、裏事情を説明するのはまだ信頼できない。
ゆえに腹心だというフーカをあえて引き入れ、動向をよく観察し、間接的にアミスが同盟相手としてふさわしいのかを見極めていたらしい。
同時に、フーカにニナ自身を知ってもらって、同盟関係を結ぶにふさわしい人物なのかを測ってもらっていたのだという。
「そして! ……しばらく観察させていただきましたが、フーカさんに怪しい動きはありませんでしたわ。むしろ献身的に、このエナリアの発展に尽力してくださっております」
この歓迎態勢が終わり次第、彼女をアミスのもとへ返し、同盟の話を持ちかけてもらう予定なのだとニナは言う。
そうして、法律の面でアグネスト王国の協力を得られれば、より一層、このエナリアの秩序を保つことができるとニナは考えているらしい。
ただ、エナリアの秩序を守るためにはある程度の実力が求められる。ゆえに今日、白の艦隊に接触を図って接点を持っておく。
「時間をかけて彼女たちが同盟を結ぶのにふさわしいのかを見極めたのち、彼女たちには武力の面で、協力を仰ごうかと思っております!」
言って、身振り手振りを交えた説明に終止符を打ったニナ。懇々と自身の戦略について語る主人は、いつもより少し幼くファイには映る。
同時に。
別に侮っていたわけではないが、どうやって理想のエナリアを形作っていくつもりなのだろうと考えなかったファイではない。
ガルン人らしく、のんびり計画を立てているのだとばかり思っていたのだが、さすがはニナというべきだろうか。ファイが気づかなかっただけで、ずっと前から手を打っていたらしい。
すべては、このエナリアを幸せで一杯にするという自信の夢のため。
ファイが想像していたよりもずっと長い目で、深い考えで、自身の夢を実現するための道筋を考えているらしい主人の姿に、
(さすが、ニナ!)
きらりと瞳を輝かせ、心からの尊敬の念を送るファイだった。




