第347話 今の、ナシ!
トゥエラの捜索を主目的、白の艦隊との接触を副目的として、エナリアの表にやって来たファイとニナ。
――ニナと一緒に居られる。
ファイが内心ウキウキでニナの隣を歩いていられたのは、表に続く隠し扉を開けるまでだった。
(あ、あつぃ~……)
黒い侍女服の襟もとに汗染みを作り、頤から雫を落とす。不死者のようによろよろ歩くファイを、赤熱が照らし出す。
彼女が今いるのは“不死のエナリア”第17層。従業員たちからは「溶岩の階層」と呼ばれている、階層全体が灼熱で満たされた場所だ。
かつてフィリスの町の暑さや、高温蒸し風呂に参ってしまっていたファイ。熱さを苦手とする彼女にとってこの階層はまさに、天敵ともいえる場所だろう。
「ふぁ、ファイさん? 本当に裏に戻らなくても大丈夫なのですか?」
ファイの隣を行くニナが、心配そうにファイのことを見上げてくる。
「だ、だいじょうぶ。私は道具。だから……暑い、は、ない……よ? ふぅ」
小さく息を吐きながら、急いで姿勢と表情を取り繕うファイ。だが、自分でも分かるくらい頬は火照っているし、吐く息も熱っぽい。やせ我慢をするにも限界がある。
このままではニナに心配をかけてばかりになってしまうと判断したファイは仕方なく、切り札を使うことにした。
「……ごめん、ニナ。ちょっと魔法使っても、良い?」
かつてフィリスの暑さをしのぐためにそうしたように、魔法で暑さを和らげることにするファイ。
使い渋っていたのは、前提として、魔素が有限であること。また、第17層は大気中の魔素の濃度が低く、魔素の回復に時間がかかるからだ。
この階層には赤色等級以上の魔物がゴロゴロと生息している。有事に備えて魔素を温存しておきたかったファイだが、ニナの表情を曇らせるよりはるかにマシだ。
「もちろんですわ! わたくしのことは気にせず、じゃんじゃん使ってくださいませ!」
「ん。じゃあ……」
ニナからのありがたい許しを得たところで、ファイは氷の魔法〈ヒシュカ〉と風の魔法〈フュール〉を使用する。と、氷交じりの冷たい風が、ファイとニナを包み込んだ。
「はわぁ~……涼しいですわ、快適ですわ~! ……それに」
声に喜びの色をにじませながら顔をとろけさせたニナ。さらに彼女は、周囲を飛び交う氷の粒に手をかざすと、
「キラキラと氷の粒が光を映して……見た目にもとぉ~っても、きれいですわぁ~……!」
きらめく氷の粒に目を輝かせている。
ファイの勘違いでなければ、ニナは魔法に“憧れ”を持っているように思う。それは彼女がガルン人だからなのか、それとも特殊能力を持たない人間族だからなのかは分からない。
それでもファイが魔法を見せるたび、ニナは子供のように目を輝かせてくれる。
ひとまずニナが幸せそうなら、ファイとしても魔法を使った甲斐があるというものだろう。少しして歩き出した主人に続く形で、ファイも歩みを再開する。
そもそもファイ達が第17層にやって来たのは、他でもない。ユアがトゥエラを見失ったのが、この階層だからだ。
印象的な紫色の髪をした角族の姿を探しがてら、周囲に目を配るファイ。自分たちを包み込む魔法の雹霧の向こうに見えるのは、溶岩の海だ。
この階層のすぐ下に、あの氷獄の階層――一面が氷で閉ざされた場所――があるというのだから、相変わらずエナリアは不可思議に満ちている。
天井から流れ落ちている溶岩の滝は、どこからやってきているのか。あるいは通路の果て、壁の中へと消えて行く溶岩の川はどこへ流れついているのか。
なにぶん初めて訪れる第17層だ。暑さから解放されて余裕が生まれたファイの中で、むくむくと好奇心の芽が顔をのぞかせ始める。
そうしてファイが好奇心のまませわしなく視線を動かしていると、ニナが捜索対象であるトゥエラについて少し教えてくれる。
「角族……特にリーゼさんやトゥエラさんのような突き角族の方は、暑いところを好まれる傾向がありますわ。当然、そこに生る果物や魔獣のお肉を好物とする方も多いのです」
「おー、そうなんだ。果物っていうと……」
言いながらファイが見上げたのは、開けた通路に立っている木の先端の方に生っている緑色の実だ。
それだけではない。ファイが想像していたよりもずっと多く、第17層には植物がある。
さすがに下草などは生えていないものの、見上げるほど背が高いものや腰の高さのものまで。多種多様な植物があって、実を生らせていたいたり、花を咲かせていたりする。
ファイでさえ、ジッとしているだけで肌が焼かれているように感じる第17層の暑さだ。きっと、ここで本を広げようものなら、たちまち燃えてしまうに違いない。
そんな暑さの中で生えている植物たち。耐熱性に優れた彼らは家具だけでなく、火災に強い紙の素材になったりもするのだったか。
水分をたっぷりと含んだ溶岩地帯の木々の加工の難しさについて語っていたロゥナの姿を思い出すファイ。
「じゃあトゥエラも。あの木の実、とか。食べ物を取りに来たの、かな?」
「恐らく、そうだと思いますわ……っとぉ!」
近くに落ちていた小石を投擲して、ファイが先ほど見上げていた実を落としてくれるニナ。落ちてきた実を空中で軽やかにつかみ取った彼女が、ファイの目の前まで持ってきてくれた。
近くで見てみれば、大きさは人の頭ほど。遠目には真ん丸に見えた形も、緩やかな円錐形をしていることが分かる。
さらにその実をニナが「ちょいやっ」と手刀で強引に割ってみれば、中は2層になっている。外核には淡い黄色の果肉。中央の格の部分には、種と思われる真っ白な粒々がぎっしりと詰まっていた。
「これは『キキナ』ですわね。果肉の方はあまぁく、しっとり! 種の方はプチプチと弾ける食感が楽しい、溶岩地帯を代表する果物ですわね」
甘い。そう聞いて黙っていられるファイではない。知らず、彼女の手はキキナに伸びており、甘いと言われた果肉の部分に触れていて――
「あつぃっ!?」
手を伸ばしたのが無意識の行動だったこと。また、果物からはなかなか想像がつかない“熱さ”という要素。何よりニナが何食わぬ顔で持っていた木の実が想像以上に熱くて、思わず悲鳴を上げてしまう。
だが、それも当然だろう。大部分が溶岩に囲まれた第17層。加熱調理機の中にいるようなものであるため、果物も当然のように熱々に熱されていたらしい。
「あっ、えっと。今のは……そう、冗談。私に熱いは無い……よ?」
「ふふっ! 焦らなくてもキキナは逃げませんわ。冷ましてからゆっくりと、味わってくださいませ」
ニナからの温かい眼差しに少し耳を赤くしつつ、それでも、甘いらしいキキナを受け取ったファイ。魔法の膜につつまれた涼しい空間でキキナにかぶりつきながら、「そういえば」とニナに切り出す。
「そういえば、ニナ。どうしてトゥエラは『大丈夫』なの?」
トゥエラがエナリアに来てファイ達と出くわした時も、監視が外れた際も。ニナは慌てることなく、むしろ、トゥエラなら大丈夫だというような対応を続けている。
どうすればニナから手放しの信頼を得られるのか。トゥエラのように「ファイさんなら大丈夫」と言ってもらえるようになるのか。
(道具として。聞く、は、当然だよ、ね?)
別にトゥエラとニナの関係性が気になったわけではないし、ニナからの信頼が厚いトゥエラに嫉妬しているわけでも、対抗心を燃やしているわけでもない。
誰にともなく言い訳を並べて立てていたファイだが、ふと、目の前のニナがためらうような表情をしていることに気づく。
(あれ……?)
てっきり、ニナとトゥエラは良好な関係を気づいているものとばかり考えていたファイ。実際に目にした2人のやり取りからも、親密な様子はうかがえた。
しかし、トゥエラとニナの関係性は、ファイが考えていたものではないのかもしれない。それこそ、一言では言い表せないほど、複雑な関係性なのかもしれなかった。
いずれにせよ、どう見ても自分の質問のせいで困っている主人の姿を、これ以上認めるわけにはいかない。
「あっ、えっと、やっぱり今の、無しっ! だから、その……えっと……キキナ、美味しい、ね?」
キキナを自身の眼前に掲げて見せながら、話題の転換を図るファイ。
実際、ニナが教えてくれたようにキキナは面白い味をしていた。身の部分はぎゅっと詰まった肉質で、瓜に近い食感をしている。味も驚くほどに甘く、こちらには瓜のような独特の青臭さもなくて食べやすい。
一方、種の方は蛙の卵のようになっていて、いくつもの種が透明な膜で連なっている。そのため、麵のようにつるんと1本をすすることができて、噛めばぷるぷる、プチプチとした触感を楽しむことができた。
「ふ、フーカ達のお土産に、持って帰ってあげようかな……なんて……」
暑さとは違う汗をかきながら、それでも懸命にニナの気を逸らそうとするファイ。ひとえに、ニナに笑顔を見せて欲しいからだ。
ただ、彼女の努力もむなしく、ニナが顔を上げてくれることは無い。
「あ、ぅ……(ぱくっ)」
気まずさのあまり、もはやキキナをかじることしかできなくなってしまったファイの耳に、ふと。
「……ふふ……ふふふっ!」
こらえるようなニナの笑い声が聞こえてくる。だが、それも一瞬だ。直後にはこらえきれなくなったらしいニナが「あははっ!」と楽しげな声を上げ、顔を跳ね上げる。
と、彼女の顔には満面の笑みと、涙が光っていた。
「も、もうっ! ファイさんってば、どれだけ誤魔化すのがへたっぴさんなのですわ! そんなところが、本当に……そんなファイさんだから、わたくしは……ふふふっ!」
「ニナ……!」
主人の晴れやかな笑顔が見られて一安心な一方で、得も言われぬ羞恥心もこみあげているファイ。
安堵すれば良いのか、恥ずかしがればいいのか、怒ればいいのか。相変わらず厄介な“心”に翻弄されるまま、あたふたすることしかできないファイ。
そんな彼女に構わず、ニナが目端に浮かんだ涙を拭いながら口を開いた。
「ふぅ……別にそこまで気を遣っていただくようなお話ではありませんので安心してくださいませ。ただ、トゥエラさんの伺いなく話していいものか、と。そう思ってしまっただけですわ」
トゥエラの私情に関わる話になる。ゆえにどうファイに答えるべきかを考えていただけのようだ。
「そ、そうなんだ。でも、トゥエラの許可がない、なら。教えてくれなくていい、よ?」
「ご配慮、感謝いたしますわ。ですが、概要くらいであれば少し調べるだけで出て参りますので、そちらの方はお話いたしますわね」
言いながら歩き出したニナの揺れる艶やかな茶髪を、ファイも急いで追いかけた。




