第339話 “知ってる”と、“分かる”
ティオとミーシャの決闘。また、トゥエラの来訪から少し。
念のためにティオを部屋に残したファイが多目的室に戻ってみると、もうそこには誰の姿もなかった。
ならば、と、ニナの執務室に向かってみれば、
「先ほどはお見苦しいものを……。申し訳ございませんでしたわ、ファイさん」
開口一番。ニナがしょんぼりと謝罪の言葉を口にしたのだった。
確かに知識として知っていただけで、ガルン人がウルン人の肉――魔素供給器官――を食べる姿を目にするのはファイも始めだ。
ただ、幸か不幸か、ファイはありのままを受け入れるのが得意な思考・性格をしている。また、初めて目にした魔素供給器官が、思いのほか、ただの“お肉”に見えていたこともあるだろう。
特段、大きな衝撃もなく、ファイはトゥエラの行動を受け入れられていた。
「ううん。私は大丈夫。ただ……」
「てぃ、ティオさん……ですわね?」
唇を引き結んだファイの代わりにニナが続く言葉を口にする。
トゥエラが口にしたものが、自分たちと同じウルン人の肉であること。自分と同じ人型の生物が、生のまま、美味しそうにソレを口にしていたこと。
そして、そんなトゥエラと同じ生態・文化を持つガルン人と、これまで一緒に暮らしてきていたということ。
ファイが「ナスト」との意味を教えた瞬間、ティオは持ち前の聡明さで様々な情報を一気に飲み込んでしまったのだろう。
好奇心で輝いていた瞳は一転。混乱と恐怖の色に染まっていき、次の瞬間には嘔吐してしまったのだった。
『ごめん、お姉ちゃん。ちょっとだけティオに考えさせる時間、ちょうだい』
青い顔のまま、ティオは無理をした笑顔で言った。
遠回しに「1人にして」と言われたのだと察せないファイではない。戸締りだけはきちんとするように伝えて、こうしてニナのところまでやって来たのだった。
「はぅ……。ティオさんにも、あとできちんと謝らなければいけませんわね」
折を見てティオに会いに行くつもりらしいニナ。彼女が言うには、トゥエラが来ることは事前に分かっていたらしい。今回の事態も、防ごうと思えば防げたと考えているのだろう。
とはいえ、ガルン人の時間感覚はガバガバだ。
“少し前”にトゥエラから来たという連絡――「こんど遊びに行きますわ!」――が、いつのことを示すのか。ウルン人のようにきちんと決まっているわけではなかっただろう。
そして、今日。なんとなくそれっぽい“強者”が近づいている気配があったため、ファイ達に裏に戻るよう指示したらしいのだ。
「ファイさんにもご覧いただいたように、トゥエラさんは決して乱暴な方ではありませんし、どちらかと言えば理知的な方ですわ」
理知的。ニナの言葉に、ファイは先ほどのトゥエラの行動を思い出す。
人様の家の玄関を壊さんばかりの勢いで開け放ち、家主を大声で呼ぶ。さらには人前で見せつけるように生肉を頬張り、ファイ達をウルン人だと判断するや「アレ」と物に対する指示語で呼んだ。
ファイは世間一般で言うところの“理知的”の判断基準を持ち合わせていない。そうなると当然、これまで会ってきたガルン人たちとの初対面の時と比較して判断せざるを得なくなる。
(ルゥ、には、睨まれた。ミーシャには武器を向けられた、し。リーゼにも、エリュにも、攻撃された……)
別にそれら個別の事象にファイが何かを思うことは無いが、目と目が合えば、即、戦闘。あるいは敵意と警戒を向けてくるのがガルン人たちの定石だ。
中でも分かりやすい例と言えばやはり、ムアとエリュだろう。「こんにちは、死ね♪」とばかりに悪気なく攻撃してくる。そんな彼女たちの行動を思うと――。
(……ん。確かにトゥエラは、“理性的”)
ファイの中で、トゥエラは“理性的なガルン人”に分類される。
さらに、ファイからすれば“良い人”でもある。なにせ初見でファイを道具であると見抜き、物として扱ってくれたのだ。
(道具としての風格? が、出てきたの、かも……!)
長年の努力が少しずつ実を結び始めているのかもしれない、と。ファイが胸をポカポカさせる一方、主人であるニナは広いおでこに浮かぶ茶色い眉で急峻な山を描いている。
「たとえファイさん達と会おうとも、即座に襲い掛かることは無い。そう判断して退避を急いでいただきませんでしたが、まさかファイさん達の前でお食事をなさるとは……」
思わぬ形で被害――主にファイ達の精神面に対して――が出てしまったことを、ニナは悔いているようだった。
大好きな主人の曇った声と表情に、すぐに気持ちを切り替えたファイ。少しでもニナの気がまぎれるだろうかと思い、改めてティオとミーシャの決闘を認めた理由について明かす。
「……なるほど。つまり、ティオさんがこのエナリアで生きていくために、ガルン人の本質を知ってもらおうと考えていた、と?」
拙いファイの言葉を的確に要約してくれるニナに瞳を輝かせつつ、ファイは首を縦に振る。
必要最低限でさえない。黒狼の組員たちが取捨選択した知識だけが与えられ、それ以外は自らの目や耳、手足で知ることしかできなかったファイだ。
しかも、教えてもらった情報の精度が低く、魔物に殺されかけたことも一度や二度では済まない。
「知ってる、だけじゃ、ダメ。なんて言ったらいいか分からない、けど……分かってる、が……大事」
ガルン人の文化や生態についてはティオも知っていたことだろう。ただ、自身の目や耳、肌を通して感じ取ることでしか理解できないものもあるとファイは思っている。
「知るだけではなく、実際に身をもって理解する……。生きた知識というものでしょうか?」
「そう、かも?」
ニナが口にした言葉が正確なものかは、まだファイには分からない。ただ、一目見て、一聞すれば多くのことを分かってしまうティオだ。彼女に耳年増の傾向があることは、誰よりもすぐそばで彼女を見てきたファイが知っている。
「きっとティオ、“知ってる”けど“分かって”ない、が、多い。ガルン人を簡単に挑発したり、舐めたりするのは危ない……そう言ってる、のにっ! ニナとか、ミーシャをからかったりするし……だから……あぅ」
どうにかこうにか、今回のティオとミーシャの決闘を止めなかった理由を口にしたファイ。説明に必死になるあまり、「ティオが心配だった」という“本心”が出てしまっていることにファイは気づかない。
一方、優しい顔のまま言葉に耳を傾けていたニナ。彼女が、ファイが口にした“想い”に気づいたかどうかは分からない。だが、
「ふふっ! ティオさんとの同居を許可したのは、どうやら正解だったようですわね……!」
そう言いながらファイを見つめる目は、まるで愛しい我が子を見守る親のような慈愛に満ちている。
「ひとまずファイさんのお考え。そして、ティオさんを大事にしていらっしゃることは理解いたしました。ですが、どうして今になってティオさんに少し厳しくなさるのか、お聞きしても……?」
ミーシャに自立しろと言われたように、客観的に見てもファイは可能な限りティオを甘やかしてきた。にもかかわらず、今日はティオに試練を課すようなことをした。
何か心変わりするような出来事でもあったのか、と。主人に尋ねられて、そういえば「ティオに危機感を持ってほしい」と思うようになった理由を話せていなかったことを思い出すファイ。
特段隠し立てするようなことでもないし、尋ねられれば答えるように育てられてきたのがファイだ。
「えっと、ね……。ティオが私と働くって、言ってくれた、から」
まぶたの裏に数日前の出来事を映しながら、ファイが答える。
あれは完成した昇降機を始めてみた時だったか。やけに喜んでいるティオにその理由を聞いた際、
『でもティオ、分かるよ! これでティオも、お姉ちゃんのお仕事のお手伝い、できるって!』
最高の笑顔のまま、ティオは言ってくれた。
決して言葉にすることはできないが、ファイだってティオと一緒に仕事がしたい。
しかし、エナリアの仕事には思わぬ危険がつきものだ。魔獣はもちろん、原生種に密猟者。ウルン人であるファイ達を脅かす存在も多い。
もちろん一緒に仕事をするとなれば、ファイは全力でティオを補佐するし、守る。ただ、ミーシャが誘拐されてしまった時のように、予想外のことは必ずと言っていいほど起きてしまう。
ましてファイとティオは白髪。ただ立っているだけで、祝福も、災いも。向こうから勝手に歩いてやってくるような、特別な存在だ。
単に物理的に守るだけでは足りないことを、ミーシャの誘拐事件を通じてきちんとファイは学んでいる。
危機に陥らないよう、知識と危機感を身に着けること。また、少しだけ逃げ癖のあるティオが、窮地に陥っても諦めず抗えるよう自信をつけてあげること。
それら間接的に守ることも大切なのだ、と。最近のティオとのかかわりあいの中で、ようやく気付くことができたファイ。
いつも、新しい気づきや学びをくれるティオ。いつか彼女と働く日を夢見て、いつになく優しい顔でうつむくファイ。
目を閉じる彼女は、気づかない。
――これまで親のような顔でファイを見ていたニナが胸を押さえ、痛みに戸惑うような顔をしていたことに。
そして、ファイが主人の表情に気づくよりも先に事態は動く。
「あら? ユアさんから連絡ですわ」
そんな呟きを受けてファイが目を開いた時には、もうすでにニナの顔から困惑は消えている。
ニナと言えばユアとルゥ、リーゼの3人と個別のピュレ回線を常に結んでいる。中でもユアからの連絡は主に、「飯をくれ」か「密猟者が来た」のどちらかが多いとファイは聞いている。
しかし、どうやら今回はそのどちらでもなかったようで――
『ニナ様。探索者たちが来ました』
通信越しゆえのハキハキとした口調で、“お客様”の来訪を教えてくれるユアだった。




