第338話 ナストは、ね
「あら? この感じは……」
呟いたニナが玄関の大扉を見遣ったのは、ミーシャとティオの決闘に決着がついてから少し経った頃のことだった。
「どうしたの、ニナ?」
何やら異変を察知したらしい主人の反応に、ファイも気持ちをやや緊張させながら尋ねる。
「……念のため、ですわね。ファイさん。ティオさんを連れて、エナリアの中に戻っていただけますでしょうか?」
「え。裏、に……?」
当惑こそすれ、ニナからの言葉だ。ファイはひとまず、広間の隅で膝を抱えているティオに歩み寄る。
「てぃ、ティオ? ニナが裏に戻れって――」
「フンッ!」
ファイが声をかけるも、ティオはフイッと顔をそむけてしまう。
それでもニナの指示を実行しようと、改めてティオの視線の先へと移動したファイ。
「ティオ? ニナが裏に……」
「つーん!」
「……あぅ」
やはりプイッとそっぽを向く妹に、もはやファイはなすすべがない。
ちらりと見えるティオの目元は赤く腫れあがっており、つい今しがたまで泣いていたことがよく分かる。
理由は言うまでもなく、ミーシャに“教育”をされていたから。具体的には手足をルゥの毒で麻痺させられたのち、ただひたすらにくすぐられ続けたのだ。
最終的に笑いすぎたティオが完全にぐったりしてしまったところで、勝負あり。
勝者であるミーシャは特に満足した様子もなく、汗を流すと言ってお風呂へ。敗者のティオはといえば、こうして1人、部屋の隅で丸くなっていたのだった。
そして、そんな事態を看過したのが立会人であるファイだ。
守ると言いながら決闘を終えさせなかったファイに、妹はご立腹なのだろう。
「ティオ……。その……ミーシャを止めなくてごめん、ね?」
きちんと自分の非を言葉にして謝るファイに、ティオはフルフルと首を横に振る。
「ううん。お姉ちゃんが何でミーシャちゃんを止めなかったのか。ティオ、なんとなく分かるもん。だから大丈夫」
これからも生活を共にする以上、ティオに少しでもガルン人の本質を知ってもらおうとしていたファイ。そんな姉の真意を、ティオは持ち前の理解力ですぐに察したらしい。
「そう、なの? じゃあ、なんで……」
膝を折って視線を下げたファイが尋ねると、ようやくティオもこちらを向いてくれる。
「だって! ……ティオ。手と足が動かなくても、魔法があるから勝てたもん……」
ティオが言った内容は、実のところ、ファイも気づいていたことだ。
たとえ手足を動けなくされようが、ウルン人には「発声」と「想起」さえできれば使える魔法という切り札がある。
ゆえにファイはティオが追いつめられていても、くすぐられ続けて涙を流していても、決闘を続行した。本当の意味で勝負は決していなかったからだ。
「なのに、ティオ。すぐに怖いって……『負けた』って。そう、思っちゃった……!」
たとえ相手がミーシャでも、何をされるのか分からない恐怖で思考停止に陥ってしまったのだ、と、ティオは語る。
「勝ちを確信してたミーシャちゃん、めちゃくちゃ隙だらけだった……! くすぐってるときも! ティオが魔法使ったら、勝ててた……のに……っ!」
今になって悔しさがこみあげてきたらしいティオ。ムスッと頬を膨らませ、目に涙をたたえ始める。
「ミーシャちゃんごときに負けるなんて、ほんと最悪なんですけど……っ! おかげでお姉ちゃんにかっこ悪いところ見られちゃったし……っ! もうっ、もうもう……もうっ!」
座ったまま足をばたつかせ、愚痴をこぼすティオ。どうやらファイに合わせる顔がなかったために、妹は顔を背けていただけらしい。
「次からは……次からは絶対、最後まで諦めてあげないし……っ!」
たとえ動けなくなっても、苦手な戦闘であっても、せめて考えることは止めない。負けん気たっぷりに言う妹の姿に、ファイの瞳がきらりと輝く。
――何があっても、最後まで抗う。
その姿勢は間違いなく、ティオの生存率を高めてくれる考え方に違いないからだ。
「だからお姉ちゃん! 今の可愛くないティオのこと、見ちゃダメだから! 分かった!? あと、ティオまだ歩けないから! 部屋までお持ち帰りして!」
開き直ったのか、吹っ切れたのか。両手をファイの方に伸ばして抱っこをねだってくる妹に、ファイも少し表情を和らげながら頷いて見せる。
「ん、分かった。それじゃあ……」
言いつけの通りなるべくティオの方を見ないようにしながら、彼女の細い腰に手を回したファイ。
話し込んでしまったが、ファイは「ティオと一緒にエナリアの中へ戻れ」というニナからの命令を忘れていない。
ティオが大人しく小脇に抱えられてくれたことを確認して、いざ。踏み出した時には、どうやら少し遅かったようだ。
突如として、バァンッと大きな音がする。
反射的にファイが目を向けてみれば、多目的室の奥。玄関に当たる巨大な扉が開け放たれていた。
背後にガルンの闇をたたえる中、豪奢な赤い衣装に身を包んだ女性がエナリアに入って来る。
「オーッホッホッホ! オーッホッホッホッホ!」
螺旋階段のように渦を巻く濃い紫色の髪。口を手元にやる上品な笑い方は、どこか気品を感じさせる。
遠目に見ても身長は高い。恐らくリーゼよりもさらに高く、180㎝はあるだろうか。服の上からでも分かるメリハリのある体つきをした女性は、口紅に彩られた大きな口を開くと、
「ニナ・ルードナム~? ニナ・ルードナム~? 王家の血を引くこのワタクシが遊びに来てあげましたわ~!」
声高に来訪を告げたのだった。
冒頭の反応から、事前に彼女の来訪を察知していたらしいニナ。
「や、やはりあなたでしたか、トゥエラさん……ごきげんよう」
女性の名前を呼びながら自身の裳の裾を掴んで膝を折る。“頭を下げる”などという隙をさらさないための、アイヘルム流の礼だ。
「あら! ごきげんよう、ニナさん。わざわざお出迎えですの? 殊勝な心掛けですわね」
「あっ、いえっ。コレはたまたまと申しますか、何と申しますか……」
こちらに歩いてくる女性に対して、苦笑しながら真実を打ち明けるニナ。すると女性は、ムッと表情をしかめる。
「相変わらず正直ですわね。アナタのそういうところは決して嫌いではございませんが、もう少し相手をだまくらかすことも……って、あら?」
「「(ぎくっ)」」
この時ようやくトゥエラと呼ばれた女性は、ファイ達に気づいたらしい。ファイ達から10mほどの距離を置いて、赤い瞳をこちらに向けてくる。
「この気配……それに極上の匂い……アレがお母さまのおっしゃっていたウルン人ですわね?」
ニナに聞きながらも鋭い視線を送ってくるトゥエラに、ファイとティオの身体が硬直する。
なにせ、彼女が身にまとう雰囲気はニナに勝るとも劣らない強烈なもの。赤色等級以上の実力を持つガルン人ということになる。
そんな彼女に、病み上がりのファイと、戦闘はからきしであるティオが見つめられているのだ。今のファイ達はさながら、蛇に睨まれた蛙といったところだろう。
身体をひねり、小脇に抱えるティオを背後に庇うファイ。そんな白髪姉妹とトゥエラの間に、ニナがそっと割って入った。
「こほん。トゥエラさん! 本日はようこそおいでくださいましたわ! 以前よりお知らせいただいていた探索をしにいらした、という認識で合っておりますでしょうか?」
トゥエラの相手をしながら、ちらりとファイのことを見て、「早く中へ」と言うような視線を送ってくるニナ。その指示に頷いて、ファイも目立たないよう気を付けながらエナリアの裏へ続く扉を目指す。
幸いなのは、トゥエラと呼ばれた女性がそれ以上ファイに興味を示さなかったことだろう。
「ええ、その通りですわ。ウルン人狩りが禁止されていることも、重々承知しております。なので……」
言いながら肩にかけていた鞄に手を突っ込んだトゥエラ。取りされたのは、透明な液体で満たされた瓶だ。
中にはこぶし大の謎の肉塊がプカプカと浮かんでおり、どうやらその肉がトゥエラの非常食であるらしい。
「ご覧あそばせ、ニナ・ルードナム! 産地直送、取れたて新鮮のナストですわ! その証拠に……」
「あ、ちょっ! ちょっと待ってくださいませ、トゥエラさん! 今それを召し上がるのは――」
「こうして……っと。あ~ん♪」
焦った様子のニナに構わず、瓶のふたを開けたトゥエラ。中に入った肉塊を上品に摘み取ると大きく口を開け、一思いに丸呑みする。
果たしてあの肉は何なのか。じりじりと後退しながらも、好奇心のあまり、ついファイの足取りが遅くなってしまっていたのが良くなかったのかもしれない。
ニナとトゥエラのやり取りが、きちんと聞こえてしまった。おかげで、トゥエラがいま口にしたものが何の肉なのかを知ってしまう。
(なるほど。だからニナ、私たちに戻るように言ったんだ、ね)
別に気にすることではないのに、と。相変わらずの主人の優しさをファイが感じていると、服の裾がチョイチョイと引っ張られた。
見れば、腕の中からこちらを見上げる紫色の瞳と目が合う。
「お姉ちゃん、お姉ちゃん! ナーダムは『ウルン人』だって分かるけど、ナストって……!? あの人、めっちゃ美味しそうに食べてるけど……!」
声を潜めながら聞いてくるティオ。彼女も彼女で、トゥエラがあまりに美味しそうに食べるため、あの肉の正体が気になるようだ。
てっきりティオも知っているものだと思っていたが、なるほど。普通の生活をしていれば、確かにあまり聞かないガルン語だろう。
ファイが妹の問いに答えたのは、何事もなく裏へと戻った後のこと。念のためにティオを自室の寝台に腰掛けさせてあげた時だ。
「それでそれで! お姉ちゃん、ナストってなに!? ティオも食べてみたいかも!」
瞳を好奇心で輝かせるティオに対して、膝を折って目線を合わせるファイ。そのままゆっくりと腕を伸ばし、ティオの右の胸にツンと人差し指で触れる。
「ティオ。ナスト、は……コレ」
「これって……おっぱい?」
まだまだ成長の余地がある自身の胸を軽く揉みながら言うティオに、ファイはゆっくりと首を横に振る。
「そうじゃなくて……身体の中の方」
ファイが言った瞬間、ティオが「あ」と気づきの声を漏らして固まる。そのままゆっくり、視線を上げた彼女の瞳からはもう、好奇心の光が消えている。
どうやら、きちんと意味を理解してくれたらしいティオ。それでも一応、ファイは「ナスト」の意味を教えてあげる。
いつも自分たちが一緒に暮らしているガルン人たちにとっての、真の“ご馳走”を。
「ナスト、は……魔素供給器官だ、よ」
※いつも温かなリアクションをありがとうございます。今後とも、手間をおして押してくださった「いいね」や★評価を励みとしながら、ファイ達の姿を描いてまいります。




