第336話 よーい、どん
ミーシャによるティオへの宣戦布告から少し。
朝ご飯を食べたファイ達は、執務室からほど近い多目的室にやってきていた。
奥にエナリアの玄関にあたる巨大な門扉がある、直径300mほどの半球状をした空間。頑強石と呼ばれる黒く硬い石材が露出した無機質な広間が、多目的室だ。
その中央で向かい合う2人の少女を、ファイはかすかに不安を眉に乗せながら見つめる。
方や腕を伸ばし、足を伸ばし、ぴょんぴょん跳んで戦闘準備を整えているミーシャ。普段は下ろしている金髪は、今は動きやすいよう馬尻尾になっている。
身にまとっているのは赤い無地の半袖上衣に、股下数セルチという非常に丈の短い革製の下衣。持ち前のすばしっこさを活かすためだろうか。防具は一切身に着けていない。
背中に差してある2つの短剣がミーシャの主となる武器。太ももの装具に差してある3本の小剣が、予備の武器だと思われた。
そうしてやる気満々のミーシャに対するは、顔を青ざめさせるティオだ。
彼女の格好は、袖がひだ飾りになっている白い一枚着のみ。手にはティオが唯一持つ武器である中型の弓こそ握られているものの、防具・道具ともに見当たらない。
そもそもティオが戦闘に関する道具を持っていなことをファイは知っている。弓の他に特筆すべき装備といえば、背中に背負った矢筒くらいだった。
「ねぇ、ミーシャちゃん~! 考え直そうよ~! ティオ、戦うとか野蛮なこと、無理寄りの無理なんですけどぉ~!」
どうにか戦わずに事態を収めることができないか。決闘の直前になっても活路を探すティオの言葉を、ミーシャはこともなげに否定する。
「そ。別に負けを宣言してくれるならいいわよ。その代わり、アンタはファイと別室。自立しなさい、自立」
これこそが今回、ミーシャがティオに要求した内容だ。
かつてとは違い、ファイもティオもそれなりに生活力を身に着けた。互いに支え合う必要はなく、部屋も余っている。
やや依存状態にあるお互いのために、一度、別室で過ごしてみてはどうか。それが、ミーシャの主張だった。
「いや、そんなの無理だしっ! 自慢じゃないけどティオ、くそザコだよ? お姉ちゃんに守ってもらわないと、このエナリアで生きてけない――」
「上層に住めばいいのよ」
言い募るティオを、ミーシャが正論でぴしゃりとはねのける。
たとえ今の未成熟なティオであっても、彼女は白髪。特別な力を持つ少女だ。上層で制限なく活動できる魔物――無進化~第一進化ていど――の攻撃など、意にも介さない。
その意味では、この決闘もそうだ。
第一進化しかしていないミーシャなど、本来であればティオの敵ではない。従業員に配布されている切れ味のいい短剣を持っているからこそ、どうにかミーシャは戦いの土俵に立てているに過ぎない。
身体能力、身体強度、そして、魔法。あらゆる面でティオが有利の戦いなのだ。ただ、やはりティオは戦うことそれ自体が嫌らしい。
「じょ、上層って……4階とかでしょ? お姉ちゃんに会えないじゃん!」
「そんなことないわ。昇降機? っていうのができる予定なんでしょ? ティオの体力でも、ファイに会いに行けるじゃない」
「もうっ! なんか今日のミーシャちゃん、小賢しいし意地悪だ!」
何を言っても正しい反論をするミーシャに、ティオが地団太を踏む。同時に、遂にミーシャの説得を諦めたらしい。声を荒らげながら、攻勢に転じる。
「ティオ、分かってるよ! ミーシャちゃん。お姉ちゃんと仲良しのティオに嫉妬してるだけでしょ! だからティオとお姉ちゃんを引き離したいんだっ!」
そんなティオの言葉に、これまで余裕の態度だったミーシャが耳と尻尾をピクリと反応させる。
「は、はぁ? いつまでもアタシが発情期だとか思わないでよね。アタシは第1進化もした、れっきとした大人なの。適切なパッフ頻度くらい、わきまえて……って、なによ、ティオ! その顔!」
不服を顔に映すミーシャにつられる形で、ティオを見遣るファイ。すると、そこには、心底人を小ばかにしたようないやらしい笑みを浮かべるティオが居る。
「ぷふっ……! ミーシャちゃんのパッフって、あれでしょ? スリスリ~ってするやつ。さっき、ティオがお姉ちゃんにやってた感じの」
「そ、そうよ。それがなによ……?」
力なく尻尾を揺らすミーシャに、なおもティオは口撃を続ける。
「ティオ、知ってるよ? 本気のパッフが、そんなんじゃないって。ほら、ミーシャちゃんが発情期になった時、お姉ちゃんにあ~んなこととか、こ~んなこと、してたもんね~?」
「にゃっ!? ~~~~~~っ!」
黒歴史らしい過去を掘り起こされ、ミーシャの顔が一瞬にして赤く染まる。
「あ、アンタ、起きてたの!? のぞき見なんて卑怯じゃない!」
「いやいや。ティオが居るのにサカったのはミーシャちゃんじゃん。むしろ他人が居るのにああいうことできるとか。ミーシャってケダモノだよね~!」
「け、『ケダモノ』!?」
ティオが言った単語に、ミーシャが過剰に反応して見せる。
「ティオ! アンタそんな単語、どこで覚えたのよ!?」
「さぁ~? 別にぃ~? ミーシャちゃんに言うためだけに覚えたとか~? そんなわけじゃないですけどぉ~?」
ファイでも分かる嘘をつくティオ。わざわざミーシャを煽るためだけに、ケダモノというガルン語を覚えたらしい。
ただ、ファイはケダモノの意味するところが分からないため、なぜミーシャが憤慨しているのか分からない。
頭上に疑問符を浮かべながら首をかしげているうちに、童女2人の口論は終わりを迎えようとしている。
「はんっ! 所詮はチューしたら赤ちゃんができるって思ってるミーシャちゃん! まだまだ子供だよね~」
「そ、そんなこと……ないもん……」
「うわ、今の言い方! ガルンだと子供しか使わない構文だよねっ! 自分で子供だって言ってるようなものじゃんっ!」
「あっ! にゃ……! うにゃ……」
ティオに論破されるような形になり、遂にミーシャの目端に涙が浮かび始める。
ファイが知る限り、残念ながらミーシャがティオの口論で勝ったところを見たことがない。
それもある意味では当然なのかもしれない。
ミーシャは過酷な生い立ちのもと、まともな教育を受けずに育ってきた。
このエナリアに来てからは、主にルゥの指導のもと、きちんと教養を身に着けている。それでも、口調だったり、たまにチューリをつまみ食いしてしまったり。所作の端々には、ファイと同じ“育ちの悪さ”がにじむ。
一方のティオはといえば、“聖なる白”に軟禁状態だったとはいえ、学舎で初等教育を受けて育ってきている。
趣味も楽器に絵画と、ファイが「すごそう」と思うことしかできないような、高尚なものばかりだ。
(それに、ティオ。そもそも頭が良い、し……)
こと頭脳戦・舌戦となれば、どうしても教養のあるティオに軍配が上がってしまう。
黒毛の耳と尻尾をしおれさせ、俯いてしまったミーシャ。表情こそうかがえなくなってしまったが、鼻をすする音から泣きべそをかいていることは疑いようがない。
ティオもここまでする予定はなかったのだろう。「やばっ」と焦った様子で戸惑っている。
今朝もそうだったが、普段は年齢不相応に賢明な言動を見せるティオ。だが、やはりどういうわけかミーシャを相手にすると調子が狂うらしい。
肩を震わせるミーシャにどう声をかけようかあたふたしている姿は、本当に、11歳の少女でしかないようにファイには見えた。
(けど、これでもう、戦うは無い……よね?)
怪我の恐れがあるため、ティオとミーシャの決闘には反対だったファイ。彼女がこの場に居るのは、決闘の勝敗を見届ける立会人として。また、何より、少しでも危ないと思った時に全力で止めに入るためだ。
ならば決闘を止めれば良いという話だが、このエナリアは基本ガルンの文化で運営されている。
決闘を拒否した場合、それは拒否した側の敗北と同義。今回で言えばティオが敗北となり、晴れてファイとティオの同居が解消されかねない状況だった。
その点、口論によって決闘がうやむやに終わって良かった、というのがファイの本音だ。小さく息を吐いたファイがミーシャを慰めようと、一歩踏み出す――直前で。
「ファイ!」
ミーシャの鋭い声が、ファイの動き出しを阻止した。
「ミーシャ……?」
どうかしたのか。不安と疑問を声に乗せて呼びかけたファイに、ミーシャが顔を跳ね上げる。案の定、緑色の瞳には涙が光っていて、目元は腫れてしまっている。それでも。
「コイツとの決闘、始めるわよ!」
顔をくしゃくしゃにしながらティオのことをまっすぐに睨みつけて叫ぶミーシャの顔を見たとき――
「……うん」
――気づけばファイは、ミーシャの言葉に頷いてしまっていた。
「お姉ちゃん!? いま、うやむやになる流れだったよね!? お姉ちゃんもティオと別居、嫌だよね!?」
「あ、うん。ティオとは一緒が良い……じゃなくて。合理的? だけど……」
途中、危うく本音が漏れそうになったのを訂正しつつ、ファイはミーシャの横顔を見つめる。
ティオに立ち向かおうとしている彼女の顔を見た瞬間、ファイはなんとなく分かってしまった。
(きっとミーシャ。ティオと別居させる、が、目的じゃない。なんなら、ティオに勝つ、も、目的じゃない……?)
ミーシャは勝敗とは別の。もっと根本的な部分――自身の尊厳のようなものをかけて、決闘に臨んでいる。
――ティオにからかわれて、泣いて、ファイに慰めてもらう……弱い自分のままはイヤなの!
そんなミーシャの心の声が聞こえた気がしたのは、他でもない。ファイ自身もいつだって、弱い自分からの脱却を試みているからだろう。
「ミーシャの頑張る! をダメにする、は、ダメ……だね?」
「ごめん! ティオ、お姉ちゃんが何言ってるか分かんない! って、そうじゃなくて! ダメだよ、お姉ちゃん! 絶対に『始め』って言っちゃ――」
「よーい、ドン」
ティオに禁止されたものとは違う言葉を使って、始まりの合図を口にしたファイ。瞬間、
「死になさい、ティオ!」
戦闘準備を済ませていたミーシャが風になって飛び出す。
「そうじゃない! 別の言葉使えばいいってわけじゃないよ、お姉ちゃんっ! あとミーシャちゃん!? それ、友達に言う言葉じゃないから……ってきゃぁ!」
ミーシャが腰から抜き放った短剣を、ティオがすんでのところで避ける。尻もちをついた彼女に対し、さらにミーシャは短剣を何度も振り下ろす。それを、ティオは地面を転がることでどうにか躱し続ける。
始まってしまった以上、決着がつくまで決闘が終わることは無い。それはティオもきちんと“分かって”いるらしい。
「――お姉ちゃんの……お姉ちゃんの薄情者ぉぉぉ~~~!」
涙交じりのティオの声が、エナリアに響き渡るのだった。




