とある王の災難
イツキが起こした騒ぎを聞きつけ、おれ、ウラノスは茂みに隠れて事の一部始終を眺めていたのだが。
「…あの男はやはり紛い物か」
手違いで召喚されてしまった勇者の奇行を目にして、ギリリッと拳を握りしめた。
勇者が不意にこちらを振り向く。そしておれがいる茂みの方をまっすぐ見つめて、口の端を歪めた。
勇者、イツキがこの世界にやって来たのはフィオーレとレオンの喧嘩のせいで実験器具が倒れたから…つまり、手違いだったという。
レオンがグッタリと気を失ったフィオーレを横抱きにしながら、
「プリュイさん!王サマ!」
と執務室に駆け込んできたときには本当に驚いた。そして、その後ろから、
「花を返せ!」
と勇者が追いかけてきたことにも。
プリュイは血相を変えて、
「レオン、フィオーレをそこの仮眠室に寝かせて、医者を呼んできて!」
とフィオーレの介抱に向かい、指示を飛ばした。
「わかりました!」
とすぐに頷き、フィオーレを仮眠室のベッドに寝かせて執務室を飛び出していった。
おれは、
「僕が看病する!」
と言って聞かない不審者を取り押さえたのだった。
結局フィオーレが倒れたのは疲労と精神的ショックによるものだとわかり、当初は女官に世話してもらうことにした。
だが不審者、もとい勇者であるイツキが問題だった。
「僕はこのチラシを見てここに来ました。世界を救えば、願いを叶えてもらえるんですよね?」
そう言って彼が差し出したのは、確かに勇者召喚の実験として彼の勇者の世界に送った、おれの直筆のチラシだった。
「拝見させてください。…確かに、ウラノスの字ですね」
プリュイもそのチラシを見て頷き、勇者の全身を見渡す。その目が、本当にこの子で大丈夫かと訝しげに細められる。
「そのチラシが届いたってことは、能力的には問題はないのだろうが…」
行動に問題がある。
どう元の世界に帰すか…。勇者は一応、この世界の希望だ。それなりの人格者でないと困るのだ。
考えを巡らせていると、勇者はおれたちに飄々と、
「僕、願いごとが叶うまではここに残ります。元の世界に未練はありませんし」
と言い放った。
その言葉におれは一旦思考を停止する。
「未練がない?」
「はい。あの世界にはもう、僕の大切な人は一人もいません」
勇者が仄暗い瞳で断言する。
そこまで元の世界が嫌いなのだろうか。だとすると、無理矢理帰すのは少しだけかわいそうな気もするな。
だが、この勇者に世界の命運を預けるのは少々不安がある。それにあのフィオーレを倒れさせるほどの精神的ショックを負わせた相手だ。油断はならない。
ジッと勇者の様子を観察していると、隣のプリュイがふう、とひとつ息を吐き出した。
「ちなみに、あなたの願いは何ですか?」
そうか、そういえばそれを聞いていなかったな。
勇者の方に視線を向けると、プリュイの問いに勇者は目に異常なまでの強いギラついた光を宿して答えた。
「花を取り戻すことです」
本当にぶれない男だ。が、問題がある。
「ちょっと待て。ハナとは誰のことだ?」
まさかフィオーレのことを言っているんじゃないだろうな。
さっきからフィオーレのことを違う名前と呼び追いかけ回すような男に、本当の妹のように可愛がってきたつもりの子をそうやすやすと渡す気にはなれないのだが。
だからと言って、例え別の子だったとしても、本人の意思を無視して彼と引き合わせるつもりもない。
正直、奴隷や女が欲しいという願いは困るのだ。奴隷制度は廃止されてから久しく、今では歴史書に載っているのみだし、遊女もしかりだ。
今から100年ほど前に女性の権利の尊重を求める運動が起こってから、女性の権利を侵しかねない遊女や娼婦などの売春を禁止されている。
が、予想は嫌な意味で当たってしまったらしい。
「あなたたちがフィオーレと呼んでいる子です」
勇者が目にドロリとした熱を籠らせてフィオーレを見つめる。その目を見た瞬間、胸にザラリとしたものが広がった。
あの子を遊女や奴隷として扱うつもりか、と。
「その子をくれれば、僕は全力でこの世界を救います」
くれる、だなんてうちの子を物みたいに言ってくれやがって。
やはり同情などするものではなかったか。早々に自分の世界に帰って貰った方が今後のためになりそうだ。
勇者の首根っこを掴み、召喚された部屋に連れて行こうとした。
「…残念ですが、うちの子をはいどうぞ、と簡単に渡すことはできません」
プリュイも首を横に振り、近くの女官にフィオーレを彼女の部屋に運べる男衆を呼んでくるように申しつけた。
その様子を見た勇者が、
「…なぜ?」
と、低く尋ねる。
「あなたがこの子を幸せにできるとは思えないからです」
そう言ってプリュイは天敵を見つけた猫のように鋭い眼差しで勇者を射抜いた。
「…そんなことはない」
地の底から這い出てくるような声。ピリッと皮膚が痺れるような感覚。一瞬だけ揺らめいた視界。
まずい、魔法か⁈
覚えのある感覚に、慌てて魔法が使えないプリュイとフィオーレの前に出る。パチンと指を鳴らせば、フィオーレのものと比べれば劣るが、それなりに強固な障壁が出来上がる。
「花は僕といて幸せだった!幸せじゃないはずがないじゃないか!花はいつも笑っていたぞ!花は、花は、花は…ッ!」
勇者がいきなり狂ったように叫び出す。その言葉の意味はよくわからないが、ハナという人物に彼の幸福を押し付けているようにも聞こえた。
目を細め、魔力を込めて障壁を強くしていく。
勇者はブツブツと呪詛を唱えるように、ハナという人物への思いを吐露していく。
その執着の重さに身震いした。
彼女を鎖で縛った?
言うことを聞かないから殴った?
そんな扱い、奴隷と同じじゃないか。
勇者がこちらを見据える。
「…花を返せ」
まるで、それが合図だったかのように。
「うっ…!」
プリュイが胸を押さえてその場に蹲る。その目は愕然と見開かれ、体はガタガタと震えている。
「なっ!プリュイ、どうした⁈」
抱き起こそうとすると、
「触らないでくださいッ!」
と手を打ち払われた。
「えっ…」
思わず払われた手を摩る。
今までスキンシップを軽くあしらわれたことはあったが、明確な拒絶をされたことはなかった。
そんなにおれのことが嫌だったのか、と唖然とした。が、それはおれだけではなかったらしい。
「あ、ウラノス、ごめんなさい。私…」
プリュイは未だにガタガタと震えながら、目尻に涙を滲ませる。蒼ざめ、罪悪感の嵐で森の色の瞳が翳る。
手を払ったのはプリュイの意思じゃない?だとしたら…っ!
その原因と思われる男を睨みつけると、彼はニヤリと口角を持ち上げた。
「僕に花をください」
どうやら、やはり犯人はコイツらしい。
…クソッ!汚い手を使いやがって!
「フィオーレはやらん!プリュイに何をした!」
叫び、プリュイの体を支える。
「ウラノス、やめっ…!」
ともすれば暴れようとするプリュイを押さえつける。
「お願いです、離れてください!あなたを傷つけたくありません!」
泣き叫ぶプリュイの手には、いつの間にか彼女の愛用のナイフが握られていた。
まったく、おれの宰相はかなり物騒な性分らしい。
「いいから、眠れ」
声に魔力を乗せて短く囁く。
ビクリとプリュイが体を震わせた。
一瞬にして暴れていたプリュイの体から力が抜け、数秒ほどでその瞼が閉じられる。プリュイが完全に眠ったのを確認してフィオーレの隣に寝かせ、勇者の濁った黒い瞳を見つめる。
勇者はまだ嗤っていた。
「花をくれるまで、僕は帰りませんよ。そこの人みたいに、全員を狂わせてやる」
勇者はフィオーレに一度だけ絡みつくような甘ったるく熱い視線を向けると、クルリと踵を返した。
「待て!」
その背中に手を伸ばした。
こんな害にしかならない奴を逃すわけにはいかない!
しかし、指が勇者の襟首に届いたその瞬間。勇者はまるで煙のように姿を消した。
「嘘だろ…っ⁉︎」
扉はレオンが出て行ってから閉まったままで、一度も開けられていない。だというのに、勇者は姿を消した。
慌てて扉を開け放って辺りを見回したが、廊下には人の影すら見当たらず。
「…あいつは何者なんだ」
勇者がいた場所を睨んでも、その答えは返ってこなかった。
その日の夕方、おれの名を騙った何者かによってあの男が勇者であると世界中に報らされた。




