とある剣士の懸念
さっきの失態を振り払うように剣を振る。基本の型を何度も繰り返していると、ふと脳裏にアイツの色気のない薬草の香りや肌の柔らかさを思い出してかぶりを振るのだった。
俺、レオンは黒狼族(黒い毛皮を持つ狼の獣人)の末裔であり、アンダンティカ王国騎士団特務隊の隊長だ。ついでにいうと、この国の魔導師団のトップであるフィオーレの幼なじみでもある。
…とは言っても特務隊も魔導師団の連中も個人主義の奴らが多いから、実質ほとんど纏め役としての役割は果たしていない。例え大きな戦があったとしても、あいつらは俺の指令なんか待たずに戦場に飛び出していくだろう。
個人の能力によるところの大きい魔導師団もしかり、だ。
というわけで戦闘力がある剣士と魔法的な知識のある魔導師の連携が必要な任務では、俺とフィオーレは昔から組むことが多かった。
任務の中には危険なものもあり、ふたりでそれなりの山場を乗り越えてきた自覚もあるし、死を覚悟したこともある。
だというのに、昨日みたいな怯えた顔は一度も見たことがなかった。
「くそっ…!」
悪態をつき、額の汗を袖で拭ってまた剣を振る。
アイツを怯えさせて泣かせた男は、イツキと名乗った。戦いを知らない平和な世界から来た十八の学生だったという。
フィオーレのことを“花”と呼び、何度もアイツの部屋の前に来ては会わせろと叫んでいた迷惑極まりない男だ。
さらにこの国に来たばかりだというのに、すでにプリュイさんに目を付けられている要注意人物でもある。
そんな異世界の、一度も会ったことがないはずの男をなんで最強の魔導師と豪語するアイツが怖がるのか意味がわからない。
まぁ、不愉快なことは確かだけどな。
イライラを吹き飛ばすようにメチャクチャに剣を振っていると、
「レオン、ちょっといいですか?」
と後ろからよく知る声が俺の名を呼んだ。
振り返るとそこには一部の隙さえ見せないくらいキッチリと宰相の制服を着こなす、俺たちの兄代わりのプリュイさんが立っていた。
…あれ、俺何か悪いことをしたか?
プリュイさんがこうやって後ろから呼びかける時は、大抵お説教の時だ。
胸をチリチリと炙られるような苛立ちは消えないが、プリュイさんに反抗的な態度をとるのは恐ろしい。
俺は素直に剣を鞘に収めてプリュイさんの方に向き直った。
「いや、大丈夫っすよ」
答えると、プリュイさんはいつもの穏やかな笑みを浮かべた。
「よかった。君にちょっと頼まれごとをしてほしかったんです」
「頼まれごと?」
珍しいな、と思いつつ俺はプリュイさんの真意を探る。
プリュイさんは俺よりも遥かに頭が良いし、投げナイフの技術ならこの国で右に出る者はいない。つまり、俺に何かを頼むよりもプリュイさんひとりでやったほうが早いのだ。
「ええ。フィオーレがイツキ殿を探ると飛んで行ってしまったので、サポートに…」
最後までじっと話を聞くことなんてできなかった。
気づいたら足が動いていた。
アイツ、イツキのことを恐がっていた癖に何やってんだよ⁉︎
身体の芯が燃え立つように熱い。匂いが色とりどりの糸を見ているかのように鮮明になる。
その中に、甘くて苦い薬草と石鹸の匂いが混じり合ったアイツの匂いを見つける。
アイツの匂いはいつも特別で、どんなに糸が絡まり合っていたとしても一目で見つけられるくらい美しい瑠璃色に見えた。
それはいつもたくさんの星を閉じ込めたかのように輝くアイツの瞳だからかもしれない。
アイツが魔法を使うときに放つ光が、鮮烈な青だからかもしれない。
アイツの匂いの糸は、俺の中では昔から変わらず瑠璃色だった。
それはとにかく、人生のほとんどを一緒に過ごした女の匂いだ。それを嗅ぎ分けられないほど俺は馬鹿な狼ではない。
腕はいつのまにか黒い毛に覆われて地面を蹴り上げていた。周りの風景が流れていく。風が泣く。意識もしていないのに、喉の奥から唸り声が漏れる。
あー、きっとアイツに会ったらまた、感情くらい制御しなさいって笑われるんだろうな。
自分は銀氷族…年中氷に閉ざされた高山に住む人型の亜人だからって偉そうに、いたずらを企むガキのように目を輝かせて。
でも、その時の楽しそうに笑う笑顔と黒狼の姿の時にだけ撫でてくれるその優しい手が好きで。
それさえも奪いかねないあの男にフィオが捕まる前に、辿り着きたくて全力で王宮を駆けた。




