実家は肛門科の専門病院です
某サイトで、なぜか突出してPVがありましたので、SSにしてみました。お楽しみ頂ければ、幸いです。
「どうなさったの、初音お姉さま。お顔の色が、真っ青よ」
一乗寺財閥総裁夫人、綾音は、訪ねてきた姉に、コーヒーを勧めた。馥郁とした香りが立ち上る。それなのに、姉は、コーヒーカップに、手をつけようともしない。
「玲音が……」
言ったきり、後が続かない。
「まあ! 玲音ちゃん! 彼、もう、高校生なのよね……。お祝い、あげたわよね!」
「あなた、それ、去年の話よ」
「去年! 月日の経つのは、本当に早いものね……」
「それはあなたが、40歳を過ぎたからでしょ!」
「なんてことを! 姉さんだって、とっくに過ぎたでしょ! お金をかけた若作りだけど!」
姉は、綾音の挑発に乗らなかった。心ここにあらずで、そわそわと髪をいじっている。
「あのね、玲音が……」
「玲音君が?」
「あの子ね……」
「うん」
「玲音が……」
「だから、何よ!」
綾音が辛抱袋の緖を切らせた。
「痔らしいの」
観念したように、姉の初音が言ってのけた。
「痔!」
綾音は、目を剥いた。
「それは大変!」
「そうなの。大変なのよ」
「あれは、辛いのよ。私も、創を生んだ時、いきみすぎて、切れちゃったのよ」
「あなたのことは、どうでもいいの!」
今度は、初音が切れた。
「よくないわよ!」
姉の剣幕などものともせず、綾音が言い返す。
初音は、ぎろりと妹を睨んだ。
「あのね、綾音。玲音は、子どもなんか、生んでないのよ?」
「そりゃそうよ。男の子ですもの」
「うちの料理人が、食べ物に気を配っているから、お腹の調子だって、絶好調の筈! ヨーグルトも、ふんだんに食べさせているもの!」
「じゃ、どうして?」
「……」
「……」
「ねえ、綾音。玲音に、あなたの義理の娘さんを、会わせて貰えないかしら」
切羽詰った口調で、初音が言った。
「義理の……って、典子さんに?」
綾音が目を剥いた。
「なんで?」
「なんで? 彼女、その方面では、有名だからよ。経済産業省に勤めている、私の友人が、手放しで褒めていたわ。彼女のおかげで、日本の経済は救われたって!」
「ちょっと、姉さん、それ、何の話?」
「BLよ!」
きっぱりと初音は言った。
「BL!」
綾音は、立ち上がった。2、3歩、姉の方に歩み寄り、立ち止まった。床にクッションが置かれているのを確認して、その上に倒れ込んだ。
「なんて恐ろしいこと言うの! め、目眩が……ああ、私、失神するわ!」
初音は、妹のことなど、頓着しなかった。
「あなた、知らないの? BLが売れに売れて、今、日本経済は潤っているの。彼女の会社のBLは、海外では引っ張りだこだという話よ?」
「だからって、玲音君をなんで、典子さんに会わせなくちゃならないの? 彼女は危険よ! 若い美形の男性には、特にね!」
床のクッションの上から、失神したはずの綾音が金切り声を上げる。
「姉さんだって、かわいい息子に、男をあてがわれたくないでしょう? それでもって、典子さんは、物陰から覗いて、にやにやするんだわ!」
「……手遅れかもしれないのよ」
べそべそと、初音は泣き出した。
「私、あの子の部屋で、いろいろ、見つけちゃったの……あの子、あの子……」
涙を拭いて、妹を見た。
「もう、何を聞いても驚かないわ。だから、この世界に造詣の深い典子さんに、玲音から、真実を聞き出してほしいの……」
*
「それで、なんで、僕が……」
モーリス出版社のオフィス。
赤字を反映させた版下をPDFに変換させ終わり、本谷直緖はぼやいた。小柄で色白、薄い色味の髪は柔らかく、癖がある。
「仕方がないんです、直緖さん。典子お嬢様は今、ウィーンへ出張中ですし」
背の高い黒服の青年が、諭すように言った。銀縁の眼鏡をしている。
一乗寺別邸家の家令、古海龍である。一乗寺家令嬢、典子のお目付け役でもある。彼女が興した会社、モーリス出版社の繁忙期には、敷地内にあるその会社で、手伝いもする。
「典子さんの出張は、例の、広告塔の件です!」
途端に、直緖の目が、生き生きと輝いた。
「彼女は、モーリス出版社の広告塔として、それはそれは素晴らしい貴公子を探し出してきたんです。ひっそりと暮らしておられたのに、本当に、よく、彼の存在に気がついたものだ! さすがは、典子さん!」
「せっかく隠れ住んでいたのに、お嬢様に見つかってしまうとは、なんと気の毒な方だろう……。ああ、直緖さん。お嬢様のことは、褒めなくてよろしい」
「褒めますよ! 素晴らしい上司です。僕は、彼女に、一生、ついていくんだ……」
聞こえよがしに、古海はため息をついた。
「その貴公子って、そもそも、ウィーンから出られない人なんでしょう?」
「そうです! 箱入りです! 箱入りの御曹司なんです! 全く、なんて奇跡だ! 今の世の中に、そんな人がいたなんて!」
「おかげで、お嬢様は、長期の野放し……じゃなくて、出張。遠い外国で、今頃、どんな日本の恥を晒しておられるかと思うと、私は、心配で心配で、夜も眠れません」
「そんなことないでしょう? ゆうべも、ぐっすり眠ってましたよ」
「それは、直緖さん、さんざん貴方と……痛っ!」
古海の足を、直緖が、ぎゅっとふみつけた。
足を抑え、ぴょんぴょん飛び跳ねる古海を無視して、直緖は言った。
「大丈夫ですよ。典子さんは、作家の、せりかももな先生とご一緒だから。まず、彼をモデルにした小説を、出版する計画なんです。当たりますよ、これは」
熱い口調だった。
古海は優しい目で、直緖を見た。
「当たりますとも。直緖さん、あなたがそう言うんなら」
ぱちぱちと、夢から覚めた人のように、直緖は、目をしばたたかせた。
「あの、古海さん? そもそも典子さんは、通訳として、貴方を連れて行きたかったんですよ? 彼女、日本語以外は、さっぱりだから。それなのに、あっさり断ったのは、あなたの方でしょう?」
「直緖さんと、離れたくなかったんですよ。わかっているくせに」
するりと、古海の手が伸びてきた。
直緖の手に重ね、上から握りしめようとする。
力任せに、直緖は、自分の手を引き抜いた。
真っ赤な顔で、古海を睨む。
「僕には僕の仕事があります。職場で不埒な真似は、しないでください!」
「職場以外ならいいんですね?」
「知りません!」
ぷいと、横を向く。
「あのう……」
部屋の隅から、声がした。
はっと、二人は、声のした方を見た。
「あのう」
もう一度、声は言った。
玲音だ。
典子の従弟の、高校生である。
こぼれそうな大きな目や、長いまつげが、典子の弟と、よく似ている。
「二人は、できているんですか?」
不思議そうに、玲音が尋ねた。
「いいえ!」
「もちろん!」
直緖と古海は、同時に答えた。
*
「おお、直緖。随分、久しぶりじゃないか」
直緖の祖父、本谷剛造は、診察室に入ってきた孫を、じろりと見た。
「古海の方なら、邪魔なくらい、ちょろちょろしてるがな」
「古海さんが、来たのか?」
負けずに祖父を睨み返し、直緖が答える。
剛造は、鼻を鳴らした。
「ああ、3日前にも来て、風呂掃除をして帰っていきおったわい」
「風呂掃除……」
「その前は、庭の剪定、その前来た時は、台所の電球を、LEDに付け替えとったな」
「……」
直緖の祖父は、カクシャクとしているが、寄る年波のせいか、足が悪い。また、その性格のせいであろう、親戚たちも、近寄りたがらない。
剛造は、直緒に言いたいことが、山ほどあるようだた。
「古海に比べて、お前はちっとも来ない。まあ、ちょくちょく来たからって、儂は、お前らのことを、決して許しはせんが」
「ジジイに許して貰わなくても、平気だね」
きっぱりと直緖が言い放った。
剛造が顔を顰めた。
「だが、困るとこうして、儂を訪ねてくる……」
「これは、綾音さんに頼まれて、」
「ほらみろ。お前の職場にだって、ちゃんと女がいるじゃないか。なにも、古海なんか、選ばなくたって……」
「綾音さんは人妻だ! しかも、上司の母親なんだぞ!」
「年上と不倫か。構わんぞ。男に比べたら……」
「黙れ」
「出口専用なんだよ! 医学的にみて! 逆走不可!」
「ジジイ、黙れ!」
「逆走不可と言ったのは、お前だぞ。お前はそう言って、儂に免許を返納させたじゃないか!」
「当たり前だ! ジジイは、高速道路を逆走しようとしたんだぞ! 危ういところで俺まで巻き添えに……つか、他人様を巻き添えにするわけにはいかんだろうが!」
「一緒に乗ってたんだ」
思いがけない声が聞こえた。
玲音だ。
「仲、いいじゃん」
「いや、そうじゃなくて。じじいの運転が、あまりに危なっかしかったから……」
「ふん!」
じろりと剛造が睨んだ。
「それで、そっちのが、客か?」
「ジジイの患者だ。診てやってくれ」
不承不承といったふうに、直緖が言う。
「ああ?」
「診てやって下さい」
「まあ、いい」
剛造はにやりと笑った。
診察用の椅子にふんぞり返る。
「そんなところで立っていては、話にならない。まあ、この椅子に座りなさい」
「……本谷さんって、お祖父さんの前では、人格、変わるんですね……」
言いながら、玲音は、問診用の、丸い回転椅子に腰を下ろした。
せいいっぱい心を落ち着け、直緖が言う。
「それはね、玲音君。この人が、古海さんの悪口を言うからだよ」
「なんだ。本谷さんも、古海さんのこと、やっぱり大事なんだ。さっきはあんなに、ツンケンしてたのにさ」
「そんなこと……」
「わしの前で、その手の話をするな!」
診察椅子に座ったまま、剛造が、凄みのある声を出した。
「それから、直緖。この坊やは、痔なんかじゃない。儂に無駄な時間を取らせるな。とっとと連れて帰れ」
「は? まだ、何の診察もしてないだろ?」
「診察なんて、しなくてもわかる!」
「ズボンも脱がないうちに、わかるわけがない」
「この、馬鹿者が!」
剛造の雷が落ちた。
「何年、医者の孫をやっとるんだ! 痔疾専門の!」
「にっ、27年?」
「だったら、わかる筈だ。この若造は、固い問診用の椅子に、すとんと、腰を下ろした。尻を病んでいる者に、できる技ではない!」
驚いたように、直緖は、椅子に座った玲音を見下ろした。
玲音は、大きな目を、くるりと回した。座ったまま、勢いをつけて、椅子を一回転させてみせる。
剛造が、舌打ちをした。
「直緖、お前だって、経験があるだろう。肛門が裂けていたら、とてもじゃないが、あんな真似は……」
「俺には、そんな経験、ないから!」
「嘘をつけ」
「嘘じゃない! 古海さんは、いつだって、とても優しく……」
言いかけて、直緖が固まった。
剛造は、激怒した。
「ああっ!? 儂は、金輪際、そんな話は聞きたくないと、言ったろう!?」
「俺だって、言いたくなんか、なかった!」
負けずに直緖が叫んだ。
玲音に向き直る。
「そもそも、君が、言ったんだろう? お尻が裂けたって、お母さんに」
玲音は、にやりと笑った。
「僕は、何も言っていないよ。あれは、母さんが、勝手に勘違いしただけだ」
*
「せめて、市販薬の封を切らずにおいておけばよかったじゃないか……」
モーリス出版社の応接ブースに戻って、直緖がぼやいた。
「そんな、使いかけみたいなのを、あちこちにおいておくなんて……」
「反応をみたかったんだよ」
「反応?」
「いきなりカミングアウトしたら、母さんだって、びっくりするだろ」
「か、かみんぐあうと?」
「直緖さん、何を驚いているんです?」
二人の前に、紅茶を配し、古海が首を傾げた。
玲音に向き直り、真剣に尋ねる。
「それで、お相手は?」
「部活の先輩です」
「つまり?」
「普通です」
「ふうん」
そう言って、直緖の隣に、古海は腰を下ろした。
「あのさ、玲音君。君、まだ、高校生だろう? 早急に結論を出す必要は、ないんじゃないかな」
おずおずと、直緖が口を開いた。
「まだまだ、素敵な出会いがあるかもしれないし。女性との」
「僕の場合は、結論が出ています」
「結論。はあ。でも、お相手は……」
「本谷さんだって、もともとは、そうじゃなかったんでしょ?」
性急な口調で、玲音が遮った。
「古海さんに聞きました」
「ええと……」
直緖の頬に血が上る。ちらりと、隣の古海を盗み見た。古海は素知らぬ顔で、紅茶を飲んでいる。
「だったら、僕にだって、可能性はあるはず!」
玲音が言った。
「可能性……」
赤面したまま、直緖は、言葉に詰まっている。
「やってみたらいい」
愉快そうに古海が笑った。
「私も、この人に受け容れてもらうまで、随分、失敗をしました。恥ずかしい思いも重ねてきました。絶望したこともある。でも、恋愛って、そういうものでしょう? 冷たくされたって、フられたって、なんなら嫌われたって、全然、へっちゃらです。自分は、その人のことを、好きだから。好きな人のすることなら、何だって、受け容れることができるはずです。自分を否定されることさえ。だって、価値観を超えて、人一人、愛することは、大変なことですから。それを、私は、この人に求めたのです」
ちらりと、傍らの直緒を見た。
「古海さん、僕は……」
「直緖さんは、黙ってて」
古海は直緖を制した。
「大切なのは、男女の別ではありません。その人を、どれだけ好きか、です」
「僕は、彼が好きです。でも、その一方で、自分の家族に拒絶されるのが怖かった。だから、まず家族に……父と母に……、少しずつ、受け容れてもらおうと思ったんだ」
ゆっくりと、玲音が言った。
「それが、痔の市販薬を見ただけで、母さん、動転しちゃって……。ああ、こりゃ、ダメだと思いました。でも……」
玲音は言葉を切った。
ちらりと直緖を見、続ける。
「でも、本谷さんとお祖父さんのやりとりを見ていて、思った。血の繋がりって、そう簡単に切れるものじゃないんだ」
「いや、俺とジジイの場合は、そこまで一般的じゃないから。そもそも、俺の方は、縁を切りたいんだけど、古海さんが……」
「直緖さん、あなたはそんな人じゃないはずですよ」
優しく、古海が諭した。
「それに私は、直緖さんと血が繋がっていると思うと、どんな人でも、愛しいんです」
「あんなジジイを……古海さん、悪趣味です」
言いながら、再び、直緖が顔を赤らめる。
玲音が、少し、笑った。
「本谷さん、僕は、勇気づけられたんですよ、あなたとお祖父さんに!」
「うう、」
直緖は唸った。
「俺とジジイは、なんてことを……」
「自分さえ、しっかりしてたらいいんです。でも……」
不意に、玲音の目に涙がたまった。
「でも彼には、僕のことなんて、まるで見えてないんだ。僕は、恋愛の対象外なんだ!」
「そこは、大丈夫ですよ」
自信あり気に、古海が言った。
「そこは、全く、問題ありません」
「え?」
玲音が怪訝な顔をした。
紅潮していた直緖の顔が青ざめた。
「古海さん、まさか……」
「ええ」
古海は、紅茶茶碗を、テーブルに置いた。姿勢を正し、玲音に向き直った。
「帰国したら、すぐにでも、お嬢様を、その先輩の元に差し向けます。何、普通の男性なら、イチコロですよ。彼は、確実に腐ります」
直緖に向き直って、にっこりとわらった。
「ね、直緖さん」
「NOVEL DAYS」さんでは、チャットノベルの形で公開しています。
https://novel.daysneo.com/works/38123c9b059eaf7ca42e28fabaafe8bb.html
またそのうち、投稿したいと思います。SSだけではなく、本編ももっと続けたいと考えています。
やりたいことが多すぎて、いろいろオーバーワーク気味です。頑張らなくちゃ。人生は短いのよ!!