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暴虐の黒き竜と囚われの娘【R15版】  作者: いをり。
2章【囚われの日々】

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1話

洞窟の入り口から差し込んでいた朝の淡い光は、いつしか白く強いものへと変わっていた。


レイラは空になった籠を抱え、岩の上で小さく身を縮めていた。


残っていた木の実も果実も、すでに食べ終えてしまった。


洞窟の奥の寝床では、ヴェルドラが目を閉じていた。


眠っているのか、それともただ休んでいるだけなのか、レイラには分からない。


赤い瞳が閉ざされていても、その巨大な身体から漂う威圧感は少しも薄れていなかった。


ヴェルドラの寝床の脇には、岩壁の隙間から湧き出した水が溜まり、浅い泉を作っている。


レイラは泉を見つめたまま、籠の縁を握りしめた。


水面のすぐそばには、ヴェルドラの黒い前脚が横たわっている。


しばらく迷ったあと、恐る恐る声をかける。


「あの……」


ヴェルドラの片目が開いた。


『何だ』


「そこのお水を……飲んでもいいですか?」


ヴェルドラは泉へ目を向けると、面倒そうに鼻を鳴らした。


『好きにしろ』


「……ありがとうございます」


ヴェルドラが再び目を閉じる。


レイラは籠を岩の上へ置くと、ヴェルドラの様子を窺いながら、ゆっくりと泉へ近づいた。


その前へ膝をつき、両手で水をすくって口へ運ぶ。


冷たい水が喉を通っても、空腹は少しも紛れなかった。


レイラは元の岩へ戻り、籠を抱え直した。


やがて、ヴェルドラがゆっくりと頭を上げた。


レイラは籠を胸元へ引き寄せ、息を潜めた。


ヴェルドラはそんなレイラを一瞥すると、何も言わずに立ち上がった。


硬い鱗が岩肌を擦り、低い音を立てる。


大きな翼が広げられ、洞窟の中に風が巻き起こった。


「……どこへ……」


思わず漏れた声に、ヴェルドラの赤い瞳が向けられる。


レイラは慌てて口を閉ざした。


『貴様に教える必要があるか?』


「……すみません」


ヴェルドラは鼻を鳴らすと、そのまま洞窟の入り口へ向かって歩き出した。


次の瞬間、黒い巨体が地を蹴る。


激しい風が吹き抜け、ヴェルドラの姿は空の彼方へと消えていった。


洞窟に、静けさが戻る。


レイラはしばらく、入り口を見つめたまま動けなかった。


羽音はもう聞こえない。いつ戻ってくるのかも分からない。


けれど今なら、ここを出て村へ帰れるかもしれない。


そう思った途端、レイラの胸が激しく脈打ち始めた。


レイラは籠を岩の上へ置き、震える手をついた。


身体を起こしただけで、鈍い痛みが全身を駆け抜ける。


「っ……」


レイラは歯を食いしばり、岩壁へ手をつきながら、少しずつ入り口を目指した。


一歩進むたびに身体の奥が疼き、足に力が入らず何度もふらつく。それでも歩みを止めず、やがて陽の光が差し込む場所まで辿り着いた。


洞窟の外には深い森が広がり、木々の間を吹き抜ける風がレイラの髪を揺らした。


外の空気に触れ、胸の奥が僅かに緩む。


あと少し。


ここを出て、森の中へ身を隠せば——。


レイラが洞窟の外へ足を踏み出そうとした、そのときだった。


頭上から、巨大な影が落ちる。


「……え?」


激しい羽音とともに風が吹き荒れ、レイラの身体が大きく揺らいだ。


黒い巨体が、洞窟の前へ降り立つ。


ヴェルドラの牙には、一頭の鹿が咥えられていた。


力なく垂れ下がった鹿の首から、赤い血が滴っている。


ヴェルドラは獲物を地面へ放り捨てると、洞窟の入り口に立つレイラを見下ろした。


『そこで何をしている』


「……っ」


レイラの顔から血の気が引いた。


「わ、私は……」


『逃げるつもりだったのか?』


「ち、違います……」


掠れた声で否定しながら、レイラは後ずさった。


けれど、ヴェルドラの赤い瞳は冷たく細められている。


『見苦しい嘘をつくな』


低い声が、洞窟の奥まで響き渡る。


レイラが身を翻すより先に、ヴェルドラの尾が伸びた。


「きゃっ……!」


太い尾がレイラの腰へ巻きつき、その身体を容易く持ち上げる。


「は、離して……!」


レイラが必死に身をよじっても、尾はびくともしない。


ヴェルドラはそのままレイラを洞窟の奥へ運び、岩の上へ乱暴に放り出した。


「っ……!」


背中を打ちつけ、レイラの口から苦痛の声が漏れる。


痛みに顔を歪めながら見上げると、ヴェルドラがすぐ目の前まで迫っていた。


『貴様は我の玩具だ』


鋭い爪が、レイラの頬のすぐそばへ突き立てられる。


『玩具が勝手に逃げることを、我が許すと思ったか?』


「ご、ごめんなさい……」


『次に我の許しなく外へ出ようとすれば、その脚を折る』


レイラの身体が凍りつく。


『そうすれば、二度と余計な真似はできまい』


「……はい」


レイラは震える声で答え、俯いた。


ヴェルドラは怯えるレイラをしばらく見下ろしていたが、やがて興味を失ったように顔を背けた。


洞窟の入り口へ戻ると、放り出していた鹿を咥え、奥へと引きずってくる。


ヴェルドラは鹿の腹へ牙を突き立てた。


肉が裂け、骨の砕ける音が洞窟に響く。


レイラは目を背け、鼻を刺す血の匂いに口元を押さえた。


しばらく迷ったあと、恐る恐るヴェルドラへ声をかける。


「あの……」


『何だ』


「私も、食べられるものを探しに森へ行ってもいいですか……?」


ヴェルドラの動きが止まった。


『そう言って、また逃げるつもりではあるまいな』


「ち、違います……! 今度は本当に、食べるものを探すだけです。見つけたら、すぐに戻りますから……」


『貴様の言葉を、我が信じると思うか?』


「…………」


一度逃げようとした以上、何を言っても信じてもらえない。


レイラは俯き、傍らに置かれた籠へ目を落とした。


「でも……もう、食べるものが……」


『知るか』


冷たく突き放され、レイラは口を閉ざした。


ヴェルドラは再び鹿へ牙を立てたものの、俯いたままのレイラへ煩わしそうな視線を向ける。


やがて鹿の脇腹から肉を一塊引き裂くと、レイラの前へ乱暴に放り投げた。


『ならば、それを食って黙れ』


生温かい肉が岩の上へ落ち、赤い血が飛び散った。


レイラは驚いたように、目の前の肉とヴェルドラを見比べた。


「あ……ありがとうございます」


ヴェルドラは何も答えず、残った鹿を再び喰らい始めた。


レイラは目の前へ投げ出された肉を見つめた。


手を伸ばしかけたものの、切り口から滲む血を見て、指先を止める。


どうしても、それを口へ運ぶことはできなかった。


『いつまで眺めている』


「……っ」


レイラは肩を震わせ、ヴェルドラを見上げた。


『食わぬのか』


レイラは視線を伏せ、言いづらそうに唇を開いた。


「すみません……その、このままでは少し……」


『ならば食うな』


ヴェルドラは素っ気なく言い放つと、肉を取り戻し、そのまま口へ放り込んだ。


レイラは何も言えず、空になった籠へ視線を落とした。


『…………』


ヴェルドラは俯いたままのレイラを、煩わしそうに見下ろす。


やがて、低い声で吐き捨てた。


『来い』


「え……?」


『食えるものを探すのだろう』


レイラが驚いて顔を上げる。


『ただし、我の目が届く場所から離れることは許さん。少しでも逃げる素振りを見せれば、今度こそその脚を折る』


「……はい。ありがとうございます」


レイラは空になった籠を抱え、痛む身体をゆっくりと起こした。


ヴェルドラはレイラを待つことなく洞窟の外へ出ると、森へ顔を向けて巨大な身体を伏せた。


『さっさと行け』


「は、はい……」


レイラは岩壁へ手をつきながら洞窟を出て、ヴェルドラの脇を通り過ぎた。


その先には、先ほど逃げようとした森が広がっている。


外へ出ることを許されても、自由になったわけではない。


レイラは籠を抱きしめ、背後から注がれる赤い視線を感じながら、森へ足を踏み出した。

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