4話
沈黙が続くほど、肩口へ触れたレイラの指先に力がこもった。
ヴェルドラは赤い瞳でレイラを見下ろしている。
やがて、低い声が洞窟の中へ響いた。
『だから、我から離れられぬ呪いだと言っただろう』
「でも、イザベラさんは、番の印だと……」
『番だろうが呪いだろうが、同じことだ』
黒い尾がレイラの腰へ巻きつく。
『印があろうとなかろうと、我は貴様を離さん』
強く引き寄せられ、レイラの身体がヴェルドラの胸元へ触れた。
「ヴェルドラさん……」
レイラは黒い鱗へ腕を回した。
「離れません。離れないと、言ったじゃないですか……」
返事はなかった。
けれど、腰に巻きついた尾は緩まない。
レイラは瞼を伏せ、硬い鱗へ頬を寄せた。
「好きです……ヴェルドラさん……」
『……もう喋るな』
低い声とともに、黒い尾がさらに強くレイラを胸元へ引き寄せた。
押しつけられた鱗から、ヴェルドラの熱が伝わってくる。
「ヴェルドラさ——」
名前を呼び終えるより先に、ヴェルドラの口元が重なった。
「……っ」
レイラの瞳が大きく見開かれる。
身体は何度も重ねてきた。それでも、互いの唇が触れたことは一度もなかった。
初めて触れた熱に息を止めたまま、レイラは黒い鱗を掴むことさえ忘れていた。
やがて太い舌が唇を押し開き、口内へ入り込んでくる。舌先まで絡め取られ、息を奪われながら、レイラの指が黒い鱗を強く掴んだ。
ようやく唇が離れたときには、レイラの呼吸はすっかり乱れていた。
「んっ……」
頬に触れた舌が、そのまま首筋へと下りていく。
番の印を確かめるように肩口を舐められ、身体の奥が甘く震えた。
「そこ……」
黒い尾がレイラの身体を持ち上げ、岩床へ横たえる。
ヴェルドラに覆いかぶさられれば、洞窟の明かりさえ遮られた。
視界を埋め尽くす漆黒の巨体に、恐ろしさよりも安堵を覚えてしまう。
彼の下にいる。
どこへも行けないほど強く、捕らえられている。
「ヴェルドラさん……」
『喋るなと言ったはずだ』
咎める声とは裏腹に、黒い鼻先はレイラの頬から離れなかった。
名前を呼ぼうと唇を開けば、再び深く口づけられる。
今度は、レイラも黒い鱗へ縋りつき、入り込んできた舌へ自ら舌先を重ねた。
腰へ巻きついた尾に抱え込まれ、ヴェルドラの熱に包まれていく。
玩具を見る目なのかもしれない。
そこに人間が呼ぶ愛など、少しもないのかもしれない。
それでも今は、この赤い瞳に映るものが自分だけであることが嬉しかった。
レイラは首元へ腕を回し、離れまいと強く抱きしめた。
それからどれほどの時間が過ぎたのだろう。
荒い呼吸が静まるまで、レイラはヴェルドラの胸元へ抱き寄せられていた。
腰に巻かれた尾も、身体を覆う翼も、離れる気配はない。
レイラはまだ熱の残る頬を黒い鱗へ寄せた。
「ヴェルドラさん……私、嬉しいです」
『何がだ』
レイラは肩口へ触れた。
「ヴェルドラさんの番になれたことが、です」
赤い瞳が僅かに細められる。
「たとえ玩具のままでも……こうして印を刻んでもらえたことが、嬉しいんです」
ヴェルドラは何も言わなかった。
その沈黙を拒絶とは思わず、レイラはしばらく彼の胸元へ頬を預けていた。
「あの……ヴェルドラさん。番というのは、人間でいう夫婦のようなものですよね?」
『人間どもの風習を我に当てはめるな』
すぐに不機嫌な声が返ってくる。
「でも、生涯にただ一頭だけなんですよね」
ヴェルドラは答えなかった。
レイラは首元へ手を伸ばし、首飾りの留め具を外した。
細い鎖の先で、青い石が揺れる。
赤い瞳がその石へ向けられた。
「知っていますか? 人間は結婚すると、相手に指輪を贈り合うんです」
レイラはヴェルドラの爪へ両手を添えた。
細い鎖を爪の付け根へ回し、留め具を繋ぐ。
「ヴェルドラさんは大きいので……これが、指輪の代わりです」
『いらん』
ヴェルドラは吐き捨てるように答えた。
『人間の儀式などに興味はない』
それでも、爪へ巻かれた首飾りを振り払おうとはしなかった。
レイラの口元に、嬉しそうな笑みが浮かぶ。
『何を笑っている』
レイラは答えず、青い石へそっと指先を触れた。
ヴェルドラは不機嫌そうに顔を背けたが、首飾りを外すことはなかった。
その爪先で、青い石が小さく揺れていた。




