1話
それから数日間、ヴェルドラの発情が鎮まるまで、レイラは朝も夜もなく求められた。
身体を重ね、疲れ果てて眠りに落ちても、目を覚ませば黒い尾に捕らえられている。
一日に何度抱かれても、しばらくすればヴェルドラは再びレイラを欲しがった。
そしてあの日を境に、名前を呼ぶレイラの唇を、ヴェルドラは何度も塞ぐようになった。
その間も、漆黒の爪には青い石の首飾りが巻かれたままだった。
やがて発情期が終わり、洞窟には、それまでが嘘だったかのような穏やかな時間が戻ってきた。
ヴェルドラは以前と変わらず狩りへ出かけ、レイラも食事を作り、衣服を洗い、洞窟の周囲で食べられるものを集めて過ごした。
それから、三週間ほどが過ぎた頃だった。
洞窟の入り口から差し込む光に気づき、レイラはゆっくりと瞼を開いた。
すでに陽は高く昇っている。
普段なら、とっくに起きて朝の支度を始めている時間だった。
身体を起こそうと岩床へ手をついたものの、腕に思うような力が入らない。
レイラは再び毛布へ身体を預けた。
「……どうしたんでしょう」
独り言のように呟き、額へ手を当てる。
身体が重い。
昨夜は早く眠ったはずなのに、まだ目を閉じていたかった。
発情期の間、ろくに休むこともできなかった。その疲れが、今になって残っているのかもしれない。
そう思いながら、レイラはもう一度身体を起こした。
洞窟の奥にはヴェルドラの姿がない。
狩りへ出ているのだろう。
レイラは毛布を畳み、いつものように朝の支度を始めた。
けれど、少し動いただけで身体が重くなる。
泉の水を汲み、焚き火のそばまで運んだところで、レイラはその場へ腰を下ろした。
胸元へ手を当て、静かに呼吸を整える。
「少し、休めば……」
そのとき、洞窟の外から大きな翼の音が聞こえた。
風が吹き込み、焚き火の炎が大きく揺れる。
獲物を咥えたヴェルドラが洞窟へ降り立った。
赤い瞳が、焚き火のそばに座り込んでいるレイラへ向けられる。
『何をしている』
「少し疲れたので、休んでいただけです」
ヴェルドラは咥えていた獲物を岩床へ落とすと、レイラへ顔を近づけた。
『まだ寝足りぬのか』
「今日は、少し眠りすぎてしまいました」
『貴様はいつも眠っているだろう』
「そこまでではありません」
いつものように答えたものの、声に力が入らない。
ヴェルドラの鼻先が、レイラの額へ触れた。
突然のことに、レイラは僅かに目を見開く。
熱い吐息が髪を揺らし、赤い瞳が間近からレイラを見据えた。
『熱いな』
「少し熱があるのかもしれません」
『少しではない』
低い声とともに、黒い尾がレイラの身体へ巻きついた。
そのまま持ち上げられ、ヴェルドラの胸元へ引き寄せられる。
「ヴェルドラさん、食事の支度が……」
『寝ていろ』
「でも……」
『我に同じことを言わせるな』
有無を言わせぬ声に、レイラは黒い鱗へ頬を預けた。
身体を支えていた力を抜くと、再び瞼が重くなっていく。
「少しだけ、休みますね」
ヴェルドラは答えなかった。
それでもレイラが眠りにつくまで、胸元へ巻きついた尾が緩むことはなかった。
翌日になっても、身体の怠さは消えなかった。
その翌日も、レイラは普段より長く眠り、起き上がってもすぐに疲れてしまった。
食欲も、少しずつ落ちている。
休めば治ると思っていた身体は、数日が過ぎても元には戻らなかった。
ヴェルドラは狩りへ出る時間を短くし、洞窟へ戻るたび、レイラの額や頬へ鼻先を押し当てた。
レイラが立ち上がれば赤い瞳が動きを追い、洞窟の外へ出ようとすれば、すぐに尾が腰へ巻きつく。
その日も、レイラは毛布の上に座ったまま、しばらく迷っていた。
やがて意を決し、すぐそばに伏せているヴェルドラへ顔を向ける。
「ヴェルドラさん……少しだけ、村へ行ってきてもいいですか?」
赤い瞳が、ゆっくりとレイラへ向けられた。
『何をしに行く』
「お医者さまに診てもらおうと思って……」
『ならん』
「でも、何日休んでも治らないので……一度、診てもらった方がいいと思うんです」
ヴェルドラは何も答えず、ゆっくりと身体を起こした。
黒い尾がレイラの腰へ巻きつき、その身体を持ち上げる。
「ヴェルドラさん?」
『貴様の足で山を下りていては、日が暮れる』
レイラの身体が、そのままヴェルドラの前脚へ抱え込まれた。
「村の近くまで、連れていってくださるんですか?」
『黙って掴まっていろ』
レイラは僅かに微笑み、黒い鱗へ腕を回した。
「ありがとうございます」
『礼などいらん』
大きな翼が空気を打ち、漆黒の巨体が洞窟の前から舞い上がる。
レイラはヴェルドラの前脚に抱えられたまま、眼下に広がる木々を見下ろした。
山を越える風は冷たく、熱を持った頬に心地よい。
けれど、遠くに見え始めた村の屋根を眺めているうちに、再び身体が重くなっていく。
レイラを抱える前脚に、僅かに力がこもった。
ヴェルドラは村へ近づくことなく、以前と同じ森へ降り立った。
木々の向こうには、村へ続く道が見えている。
ヴェルドラは前脚に抱えていたレイラを、ゆっくりと地面へ下ろした。
「ここからは歩いていけます」
ヴェルドラは前脚をすぐには退けなかった。
赤い瞳でレイラを見下ろし、その足元が揺れていないことを確かめるように、しばらく動かなかった。
「大丈夫です。診てもらったら、すぐに戻ってきます」
ようやく前脚が退けられる。
『当然だ』
「ここで待っていてくださいね」
『さっさと行け』
不機嫌そうな声に、レイラは小さく笑った。
「行ってきます」
レイラは村へ続く道へ足を向けた。
木々の間を歩きながら、一度だけ振り返る。
ヴェルドラは森の中に立ったまま、レイラを見ていた。
その姿が木々に遮られて見えなくなっても、赤い瞳が自分の背中を追っていることだけは分かっていた。




