2話
レイラはヴェルドラの胸元にもたれたまま、眠り続けていた。
牙を立てたときの、柔らかな肌の感触が口元に残っている。
雌竜と身体を重ねたことは何度もあった。それでも、誰かを番にしようと思ったことはない。
玩具として手元に置いていた人間だ。
そう思っていた。
それなのに、なぜレイラに。
赤い瞳が、肩口に刻まれた紋様へ戻る。
ヴェルドラは目を閉じることなく、黒い線を見つめ続けた。
やがて洞窟の外が白み始める。
浅かったレイラの呼吸が落ち着くと、ヴェルドラは胸元にもたれていた身体を毛布の上へ横たえた。
それでも、そのそばから動くことはなかった。
レイラが目を開けた頃には、洞窟の外はすっかり明るくなっていた。
「……おはようございます、ヴェルドラさん」
レイラはゆっくりと身を起こした。
身体には昨夜の疲れが残り、肩口には鈍い痛みがある。
顔を洗おうと泉へ向かい、水をすくうために身を屈めたとき、水面に映った自分の姿へ目が留まった。
肩口に、黒い紋様が浮かんでいる。
「何、これ……?」
レイラは水面に映る紋様を見つめた。
昨夜、牙を立てられた痕を囲うように、見覚えのない黒い線が刻まれている。
「あの、肩に変な模様が……」
泉のそばにいたヴェルドラが、レイラの肩口へ目を向けた。
『知らん』
「でも、昨日まではこんな模様なかったのに……」
ヴェルドラは何も答えず、紋様から目を逸らした。
レイラは濡れた手を止め、水面へ視線を落とす。
今も、紋様のことを教えてはくれない。
レイラの表情が、静かに翳る。
しばらくして、ヴェルドラが低く告げた。
『我から離れられなくなる呪いだ』
「呪い……?」
レイラは再び肩口へ目を向けた。
そんなものを刻まなくても、自分は離れないと言ったのに。
ヴェルドラは、あの言葉を信じていないのだろうか。
それとも、玩具を手元から逃がさないために、本当に呪いをかけたのだろうか。
レイラは肩口を覆うように衣服を整え、納得できない思いを残したまま朝の支度を始めた。
身の回りを整え、ひと息ついた頃、洞窟の外から翼の音が聞こえてきた。
木々が大きく揺れ、純白の竜が洞窟の前へ降り立つ。
ヴェルドラの赤い瞳が鋭く細められた。
『まだこの山にいたのか』
『ええ。朝になれば、あなたの頭も少しは冷えると思ってね』
イザベラは翼を畳むと、ヴェルドラの視線をものともせず、洞窟の中へ足を踏み入れた。
『昨夜は、玩具との戯れを楽しめたかしら?』
ヴェルドラは答えず、赤い瞳でイザベラを見返した。
レイラが無意識に肩口へ手をやる。
その動きを追ったイザベラの視線が、衣服の隙間から覗く黒い紋様で止まった。
イザベラはしばらく口を開かなかった。
琥珀色の瞳が大きく見開かれ、その表情から余裕が消えていく。
『……まさか、その紋様は』
黒い尾がレイラの前へ伸び、イザベラとの間を遮った。
それでもイザベラは、尾の向こうにあるレイラの肩口を見つめている。
『どうして、その人間に番の印があるの』
「番の……印?」
ヴェルドラの喉から、低い唸りが漏れた。
『イザベラ』
名を呼ばれても、イザベラの視線はレイラから離れなかった。
『人間に番の印を刻む竜など、聞いたこともないわ』
驚きに揺れていた声へ、次第に怒りが滲んでいく。
『番など必要ないと言っていたくせに』
イザベラの尾が、岩床へ強く打ちつけられた。
乾いた音が洞窟の中へ響く。
『あなたが番を持つのなら、私以外にあり得ないでしょう』
琥珀色の瞳が、レイラの肩口に刻まれた黒い紋様を睨みつける。
『それなのに、よりによってその人間を選んだの?』
レイラは肩口の紋様へ触れた。
番の印。
人間の自分が、ヴェルドラの番。
指先で黒い紋様をなぞる。
昨夜、好きだと伝えても、ヴェルドラは何も答えてくれなかった。
それなのに、なぜ自分へこの印を刻んだのだろう。
なぜ今朝、呪いだと言ったのだろう。
レイラは答えを求めるように、ヴェルドラを見上げた。
赤い瞳が向けられる。
「ヴェルドラさん……」
呼びかけても、ヴェルドラは何も言わなかった。
何を尋ねればいいのか分からず、レイラは肩口を押さえたまま視線を伏せた。




