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暴虐の黒き竜と囚われの娘【R15版】  作者: いをり。
第7章【黒竜の渇望】

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5話

岩壁の頂へ降り立つと、ヴェルドラは大きな翼を畳んだ。


眼下には、乾いた大地へ集まる竜たちの姿が見える。


互いの匂いを確かめ合うもの。


すでに相手を選び、連れ立って岩陰へ姿を消すもの。


上空を旋回しながら、なおも相手を探しているもの。


ヴェルドラはそれらを見下ろし、苛立たしげに鼻を鳴らした。


腹の奥に溜まった熱は消えていない。


今も鈍く身体を苛み、早く相手を選べと本能を急き立てている。


それにもかかわらず、どの雌竜を見ても抱く気にはなれなかった。


ヴェルドラが一頭でいることに気づき、数頭の雌竜がこちらを窺っている。


やがて、そのうちの一頭が岩壁へ近づいてきた。


赤褐色の鱗に覆われた雌竜だった。


イザベラよりも一回り小さいが、ほかの雌竜と比べれば十分に大きく、傷のない翼も美しく整っている。


雌竜は少し離れた場所へ降り立つと、誘うように尾を揺らした。


ヴェルドラはその姿を見たあと、興味を失ったように顔を背けた。


近づくなと告げるように、黒い尾が岩肌を打つ。


鈍い音が響き、雌竜は足を止めた。


それ以上近づくことなく、再び翼を広げて飛び去っていく。


ほかの雌竜を選んだところで、同じことになる。


ここへ来た目的を果たせないのなら、繁殖地に留まる意味はない。


この場所を離れれば、あとは自分の棲み処へ戻るだけだ。


ヴェルドラは立ち上がると、岩壁の縁へ足を進めた。


背後から、いくつもの視線が向けられている。


その中にイザベラのものが混じっていることにも気づいていたが、振り返ることはなかった。


大きく翼を広げ、岩壁を蹴る。


漆黒の巨体が宙へ舞い上がり、乾いた盆地を離れていった。


山脈を越える頃には、陽が大きく傾いていた。


ヴェルドラは一度も休むことなく飛び続ける。


繁殖地へ向かっていたときよりも、翼を打つ速度は上がっていた。


日が沈み、眼下に広がる山々が暗闇へ沈んでいく。


それでも、進む方角を迷うことはなかった。


見慣れた山が近づくにつれ、翼を打つ音が夜の空へ強く響いた。


やがて森の中に、洞窟の入口が見えてくる。


奥から、焚き火の淡い光が漏れていた。


ヴェルドラは洞窟の前へ降り立った。


大きな翼が起こした風に木々が揺れ、地面へ積もった枯れ葉が舞い上がる。


洞窟の中から、レイラが出てくる気配はない。


ヴェルドラは翼を畳み、足音を響かせながら中へ入った。


焚き火はほとんど燃え尽き、灰の中に赤い光を残している。


食事に使ったらしい木椀と鍋は洗われ、いつもの場所へ伏せられていた。


レイラの寝床へ目を向ける。


乾いた草の上に、その姿はない。


ヴェルドラの赤い瞳が細められた。


逃げたのか。


そう思った直後、自分がいつも身体を伏せている場所に、毛布が敷かれていることへ気づいた。


その上で、レイラが身体を丸め、静かな寝息を立てていた。


ヴェルドラは足を止めた。


なぜ、この女がここで眠っている。


自分の寝床がなくなったわけではない。


普段なら、わざわざ硬い岩床を選ぶ理由などなかった。


ヴェルドラはレイラのそばへ近づくと、その顔を覗き込んだ。


近くで大きな身体が動いても、レイラは目を覚まさない。


警戒する様子もなく、静かな呼吸を繰り返している。


ヴェルドラの尾が、岩床を一度叩いた。


乾いた音が洞窟の中へ響く。


レイラの肩が僅かに動き、閉じられていた瞼がゆっくりと開いた。


まだ眠りの残る目が、目の前にある漆黒の顔を映す。


「……ヴェルドラさん?」


レイラは大きく目を見開いた。


毛布の中から身を起こし、ヴェルドラの姿を確かめるように見上げる。


「帰ってきたんですね」


『見れば分かるだろう』


「でも、七日ほど離れると……」


『いつ戻ろうと、我の勝手だ』


ヴェルドラが鼻を鳴らす。


レイラは何かを尋ねかけたが、そのまま口を閉じた。


代わりに、安堵したように表情を緩める。


「おかえりなさい、ヴェルドラさん」


ヴェルドラは答えなかった。


その言葉を向けられることなど、考えてもいなかった。


レイラは毛布を掴み、立ち上がろうとした。


「すみません。すぐに退きます」


その身体の前へ、黒い尾が落ちた。


行く手を塞がれ、レイラが動きを止める。


「ヴェルドラさん?」


『なぜ、ここで寝ていた』


「それは……」


レイラは答えに迷い、毛布へ目を落とした。


「なかなか眠れなくて……」


『だから我の場所を奪ったというのか』


「そんなつもりでは……ごめんなさい」


レイラは再び移動しようとしたが、尾は退かなかった。


ヴェルドラはその場へ身体を伏せ、レイラへ顔を近づける。


『動くな』


短く命じられ、レイラの肩が僅かに強張った。


黒い鼻先が、髪から頬へゆっくりと近づく。


焚き火。


薬草。


水。


レイラ以外の人間や獣が近づいた形跡はない。


言いつけどおり、洞窟の周囲から離れずにいたらしい。


『逃げなかったようだな』


「……はい」


ヴェルドラは短く鼻を鳴らした。


レイラは赤い瞳を見上げたまま、ゆっくりと手を伸ばした。


細い指先が、ヴェルドラの鼻先へ触れる。


『……何の真似だ』


「帰ってきてくださって、よかったです」


触れた指先から伝わる熱に、レイラが僅かに目を細めた。


その表情を見た途端、繁殖地では満たされなかった熱が、ヴェルドラの腹の奥で大きく脈打った。


ヴェルドラの尾が動き、レイラの腰へ巻きついた。


「ヴェルドラさん……」


細い身体を引き寄せる。


レイラは小さく息を呑んだものの、抵抗しなかった。


ヴェルドラの胸元へ寄せられ、その鱗へ両手を置く。


近づいた首筋から、柔らかな匂いが立ち昇る。


ヴェルドラはそこへ鼻先を押し当てた。


レイラの身体が震える。


だが、離れようとはしなかった。


むしろ黒い鱗へ置かれた指へ、僅かに力が込められる。


その反応が、さらにヴェルドラの熱を煽った。


尾の力が強まり、レイラの身体が漆黒の胸へ深く押しつけられる。


「少し……苦しいです」


その声に、尾の力が僅かに緩んだ。


ヴェルドラは低く鼻を鳴らし、レイラの首筋から顔を離す。


赤い瞳が、熱を帯びた顔を見下ろした。


レイラも、どこか落ち着かない様子でヴェルドラを見上げている。


それでも、逃げる気配はない。


腰へ巻きついていた尾をほどくと、ヴェルドラは前脚を動かし、レイラの身体を毛布の上へ戻した。


大きな身体が、その上へ覆いかぶさる。


レイラの呼吸が僅かに乱れた。


けれど、ヴェルドラの胸元へ置かれていた手は離れない。


そのとき、洞窟の外から大きな翼の音が聞こえた。


ヴェルドラの動きが止まる。


翼が風を巻き起こし、洞窟の前に何かが降り立つ。


『……忌々しい』


低く吐き捨て、ヴェルドラは洞窟の入口へ顔を向けた。


月明かりの下で、混じり気のない純白の鱗が輝いている。


イザベラはゆっくりと洞窟の中へ顔を向けた。


琥珀色の瞳が、毛布に横たわるレイラと、その身体を覆うヴェルドラを捉える。


『こんなところに、人間の女を連れ込んでいたのね』


ヴェルドラはレイラの身体を覆ったまま、洞窟の外に立つイザベラへ赤い瞳を向けた。

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