↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
暴虐の黒き竜と囚われの娘【R15版】  作者: いをり。
第7章【黒竜の渇望】

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

38/47

4話

ヴェルドラが飛び立つと、巻き上がっていた土埃がゆっくりと収まった。


レイラは洞窟の前に立ち、漆黒の姿が空の向こうへ消えていくのを見つめていた。


やがて翼の音も聞こえなくなった。


『我は七日ほど、ここを離れる』


そう告げられたのだから、すぐに戻ってくるはずがないことは分かっていた。


レイラは誰もいなくなった空から目を離し、洞窟の中へ戻った。


ヴェルドラが用意した食料は、壁際へ積まれていた。


薪も十分にある。水は洞窟の奥に湧く泉から汲むことができる。


七日間、一人で過ごすことに困るものはなかった。


レイラは火へ薪を足し、いつもどおり食事の支度を始めた。


けれど、鍋を火へかけたところで手を止める。


今日は、自分の分だけでいい。


ヴェルドラが狩りから戻ってくることも、獲物を食べられる大きさに裂いてもらうこともない。


出来上がった食事を木椀へ盛り、焚き火のそばへ座る。


顔を上げると、泉のそばにヴェルドラがいつも身を伏せている場所が見えた。


そこには今、何もない。


レイラは一人で食事を終えると、使った木椀を洗い、焚き火のそばへ戻った。


まだ眠るには早い。


けれど、ほかにすることも思いつかなかった。


火の中で薪が弾け、小さな火の粉が舞い上がる。


その音へ耳を傾けているうちに、朝から何度も頭へ浮かんでいたことを、また考えていた。


ヴェルドラは、どこへ行ったのだろう。


七日も山を離れなければならない理由を、彼は教えてくれなかった。


出かける前から、どこか様子が違っていた。


何度も狩りへ出ては、必要以上の獲物を持ち帰った。洞窟へ戻ればレイラの匂いを確かめ、いつもより強く尾を巻きつけた。


どこか悪いのではないかと尋ねても、何ともないとしか答えなかった。


本当に、何もないのだろうか。


自分のいない場所で、今頃何をしているのだろう。


考えたところで、答えなど分かるはずもない。


それでもレイラは、何度も同じことを考えてしまった。


やがて洞窟の外が暗くなり、レイラは寝床へ入った。


乾いた草の上へ横たわり、毛布を肩まで引き上げる。


一人で夜を過ごすのは、久しぶりだった。


ヴェルドラとは別の場所で眠っているのだから、普段と何も変わらないはずだった。


けれど、目を閉じてもなかなか眠りは訪れない。


洞窟の外から、風に揺れる木々の音が聞こえる。


遠くで獣が鳴き、草むらを小さな何かが走り抜けていった。


どれも、これまで何度も聞いてきた音だった。


それなのに今夜は、ひどく近く感じられる。


レイラは毛布の端を握り、洞窟の入口へ目を向けた。


いつもなら、何が近づいてきたとしても、ヴェルドラがいた。


山に棲む獣も、人間も、あの黒竜の前へ姿を現そうとはしない。


ヴェルドラのそばにいれば、彼以外の何かに襲われる心配などなかった。


そのことを、いつから当たり前に思うようになっていたのだろう。


初めは、眠ることさえ怖かった。


目を閉じている間に何をされるのか分からず、岩床を擦る鱗の音や、低い呼吸が聞こえるたびに身体を強張らせていた。


今は、その音が聞こえないことのほうが落ち着かなかった。


ヴェルドラがいるだけで、自分は安心していた。


そう気づいた途端、胸の奥が僅かに苦しくなった。


「……ヴェルドラさん」


呼んでみても、返事はない。


普段なら、『何だ』と面倒そうな声が返ってくる。


今夜は、自分の声が洞窟の奥へ消えていくだけだった。


レイラは仰向けになり、暗い天井を見上げた。


ヴェルドラは、七日ほどで戻ってくる。


たった七日、待てばよいだけだ。


それなのに、なぜこれほど寂しく感じるのだろう。


レイラは身体を横へ向け、毛布の中で小さく丸まった。


瞼の裏へ、ヴェルドラの姿が浮かぶ。


漆黒の鱗。


自分を見下ろす赤い瞳。


機嫌を損ねるたび、岩床を打つ太い尾。


何かを尋ねれば、いつも面倒そうに返される言葉。


どれも恐ろしく、近づきがたいものだったはずなのに、今ではひどく懐かしく思えた。


夜、身体を求められたあとのことまで思い出す。


力が抜けたまま胸元へ頬を寄せると、硬い鱗の奥から、確かな温もりが伝わってきた。


規則正しく上下する大きな胸。


頭上から聞こえる、低い呼吸。


目を覚ませば何を言われるか分からないと思いながらも、そのまま眠ってしまうほど心地よかった。


ヴェルドラの大きな身体に包まれて、もう一度眠りたい。


そう思った自分に、レイラは戸惑った。


腰へ巻きつく尾も、首筋へ寄せられる鼻先も、大きな前脚に抱え込まれることも、以前はただ怖かった。


けれど今は、思い出すだけで胸の奥が落ち着かなくなる。


帰ってきたら、ヴェルドラはまた自分を抱くのだろうか。


そう考えた途端、頬が熱くなった。


以前なら、恐ろしいとしか思わなかった。


今も、彼の力や気まぐれが怖くないわけではない。


それでも、もう嫌だとは思わなかった。


むしろ、腰へ尾を巻きつけられ、大きな前脚に抱え込まれることを、どこか待ち遠しく感じている。


「どうして……」


レイラは熱くなった顔を隠すように、毛布を引き上げた。


ヴェルドラは人間ではない。


人とは異なる姿を持ち、異なる時間を生きるドラゴンだ。


レイラを捕らえ、玩具と呼び、何度も傷つけた。


その事実が消えたわけではない。


これから先も、ヴェルドラが人間のように考え、自分の気持ちを理解してくれるとは思えなかった。


それなのに、いつの間にか、彼と過ごすことが当たり前になっていた。


名前を呼べば答えてくれることが、嬉しかった。


そばにいるだけで、安心していた。


求められれば、その身体へ自分から腕を回すようになった。


胸元で眠ることも、彼の温もりに包まれることも、心地よいと感じていた。


そして今、会いたいと思っている。


心配だからではない。


放っておけないからでもない。


ただ、ヴェルドラにそばにいてほしかった。


レイラは毛布の端を握りしめた。


どうして、これほど会いたいのか。


どうして、彼の温もりばかり思い出すのか。


「もしかして、私……ヴェルドラさんのことを……」


その先を口にすることはできなかった。


けれど、胸の内へ浮かんだ言葉を、もう否定することもできなかった。


相手はドラゴンなのに。


あれほど酷いことをされたのに。


どうして、こんな気持ちになってしまったのだろう。


考えれば考えるほど分からなくなり、恥ずかしさばかりが込み上げてくる。


レイラは毛布へ顔を埋めた。


もう眠ってしまいたいのに、目を閉じればヴェルドラの姿が浮かんでくる。


どこへ行ったのだろう。


自分のいない場所で、今頃何をしているのだろう。


七日後、いつもと変わらぬ姿で帰ってくるのだろうか。


胸の内に生まれた思いを自覚してしまった今、先ほどまでよりも彼の不在が大きく感じられた。


会いたい。


もう一度、あの温もりに触れたい。


七日後ではなく、今すぐに帰ってきてほしい。


レイラはしばらく毛布の中で目を閉じていたが、やがて身を起こした。


毛布を抱え、泉のそばのヴェルドラがいつも眠っていた場所へ向かう。


岩床へ毛布を敷き、その上へ横たわった。


自分の寝床よりも硬く、冷たい。


それでも、今夜はここで眠りたかった。


レイラは毛布にくるまり、ヴェルドラの胸元で感じた温もりを思い返しながら、ゆっくりと目を閉じた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。