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暴虐の黒き竜と囚われの娘【R15版】  作者: いをり。
第7章【黒竜の渇望】

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3話

『何をそばに置こうと、我の勝手だ』


『答えになっていないわ』


イザベラはヴェルドラの首元へ鼻先を寄せ、そこに残る匂いを確かめた。


その仕草に、ヴェルドラの尾が苛立たしげに大地を打つ。


『ただの玩具だ。それ以上でも、それ以下でもない』


『玩具にしては、随分と深く匂いを染みつかせたものね』


焚き火や薬草に混じった女の匂いは、鱗の表面に付着しただけのものではなかった。


長い間、同じ場所で暮らし、繰り返し身体を重ねなければ、ここまで濃く残ることはない。


『貴様には関係ない』


『あるわ』


イザベラの琥珀色の瞳が、真っ直ぐにヴェルドラを見据えた。


『私と番になるとまで言われていたあなたが、人間の女の匂いをそこまで染みつかせているのよ』


イザベラはさらに続けた。


『人間を見れば殺していたあなたが、その女だけは生かしてそばに置いている。随分と、あなたらしくないことをするのね』


周囲の空気が、わずかに揺れた。


離れた場所にいた竜たちが、揃って二頭の様子を窺っている。


ヴェルドラとイザベラが、いずれ番になる。


そんな噂は、封印される以前から竜たちの間で囁かれていた。


ヴェルドラの耳にも幾度となく入っていたが、いつも聞き流していた。


誰が何を言おうと、自分には関係ない。勝手に言わせておけばいい。ただそれだけだった。


『誰が貴様を番にすると言った』


イザベラの尾が、大地を強く打った。


乾いた砂が舞い上がり、純白の鱗の上を流れていく。


『私以外に、誰がいるというの?』


『我に番など必要ない』


『何度も私を選んでおいて、今さら何を言っているの』


『その時、貴様が最もましだった。それだけだ』


周囲から、低いざわめきが広がった。


イザベラの琥珀色の瞳が鋭く細められる。


それでも彼女は退かなかった。


純白の翼をわずかに広げ、見せつけるようにヴェルドラの前へ立つ。


『なら、今回も同じでしょう』


その声には、揺るぎない自信があった。


『あの頃と何も変わっていないわ。あなたに釣り合う雌は私だけ。私に釣り合う雄も、あなた以外にはいない』


ヴェルドラは答えなかった。


周囲の竜たちへ琥珀色の瞳を向けると、その視線だけで遠巻きにしていた雌竜たちを退かせた。


やがて純白の身体が、ヴェルドラの体側へ寄せられた。


身体が触れると、発情期を迎えた雌竜の匂いが一層濃くなる。


腹の奥で燻っていた熱が強く脈打った。


イザベラは満足そうに目を細める。


ヴェルドラも拒まなかった。


ここへ来たのは、この熱を鎮めるためだ。


以前と同じようにイザベラを選び、衝動が過ぎ去るまで共にいればいい。


そうすれば、すべて元に戻る。


イザベラはヴェルドラから離れると、その場へ身体を伏せた。


純白の尾がゆっくりと脇へずれる。


ヴェルドラはその背後へ回った。


腹の奥に溜まった熱は、消えていない。


前脚をイザベラの背へかける。


だが、いざその身体を抱こうとした途端、それまでの熱が嘘のように引いた。


ヴェルドラは動きを止めた。


こんなことは、これまで一度もなかった。


苛立たしげに鼻を鳴らし、イザベラの背から前脚を下ろす。


『……何のつもり?』


『気が変わった』


『今さら? 何が気に入らないの』


『退け』


イザベラは立ち上がると、離れようとするヴェルドラの前へ回り込んだ。


純白の翼が広がり、その行く手を塞ぐ。


イザベラは探るように目を細めると、再びヴェルドラの鱗に残る人間の女の匂いを確かめた。


『……まさか、あの人間が関係しているの?』


ヴェルドラの尾が大地を打ちつけた。


先ほどよりも強い音が盆地に響き、近くにいた竜たちが揃って身を引く。


『あれはただの玩具だと言ったはずだ』


『なら、どうして私を抱けないの?』


『貴様が我を満たせるとでも思っているのか』


『これまでは満たしていたわ』


ヴェルドラの赤い瞳が鋭く細められ、牙が剥き出しになる。


それでもイザベラは退かなかった。


『たかが人間の女一人に、あなたがここまで乱されるなんてね』


低く吐き捨てられた言葉に、ヴェルドラの身体から一気に殺気が膨れ上がった。


周囲の竜たちが翼を広げ、巻き込まれまいと距離を取る。


イザベラはそれでも怯むことなく、ヴェルドラを正面から見返している。


『その程度の存在なら、今の言葉に怒る必要などないでしょう?』


乾いた風が二頭の間を吹き抜けた。


ヴェルドラは何も答えず、イザベラへ背を向けた。


『どこへ行くの』


『貴様には関係ない』


『あの女のところへ戻るつもり?』


ヴェルドラは答えず、翼を広げた。


洞窟を離れてから、まだ一日も経っていない。


食料も水も薪も、七日分は置いてきた。レイラが言いつけを守っているなら、何も問題はないはずだった。


今さら戻る理由などない。


巨大な翼が風を巻き起こし、ヴェルドラは岩壁へ向かって飛び立った。


その姿が岩壁の上へ消えても、イザベラは動かなかった。


それまで動きを止めていた純白の尾が、やがて苛立ちを押し殺すように、大地を深く抉った。

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