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暴虐の黒き竜と囚われの娘【R15版】  作者: いをり。
第7章【黒竜の渇望】

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2話

山脈を越えるにつれ、同族の気配は次第に濃くなっていった。


雄も雌も、普段はそれぞれの縄張りを持ち、滅多に顔を合わせることはない。


その竜たちが、一つの場所へ集まっている。


空気の中に混じる匂いだけでなく、遠くから響く翼の音や咆哮が、繁殖地がすでに開かれていることを告げていた。


ヴェルドラは速度を落とすことなく、連なる岩山の上を飛び越えた。


やがて眼下に、切り立った岩壁に囲まれた広大な盆地が現れる。


草木はほとんどなく、剥き出しの岩と乾いた大地がどこまでも続いていた。人間の住む土地から遠く離れ、近づくための道すらない。


そこには、すでに数頭の竜が集まっていた。


岩壁の上に伏せているもの。


大地へ降り立ち、互いの匂いを確かめ合っているもの。


上空を旋回しながら、相手を探しているもの。


ヴェルドラが盆地の上空へ入った瞬間、その場にいた竜たちが一斉に顔を上げた。


いくつもの視線が、漆黒の巨体へ向けられる。


『あれは……』


一頭の竜が、驚いたように声を漏らした。


『ヴェルドラだ』


『生きていたのか』


周囲の声を無視し、ヴェルドラは地上へ降り立った。


大きな翼が巻き起こした風に、乾いた砂が舞い上がる。


周囲から向けられる視線など、どうでもよかった。


かつては、この場所へ姿を現すだけでほかの雄竜たちが距離を取った。


そしてヴェルドラは、自ら集まってきた雌竜たちの中から、気に入った相手を選んでいた。


今回も同じだ。


ここへ来たのは、身体の内側に溜まった熱を鎮めるためにすぎない。


ヴェルドラは赤い瞳を巡らせた。


複数の雌竜の匂いが、乾いた風に乗って流れてくる。


その匂いを吸い込んだ途端、腹の奥に燻っていた熱が大きく揺れた。


だが、洞窟でレイラの匂いを嗅いだときとは違う。


身体は確かに反応しているのに、何かが足りなかった。


ヴェルドラは苛立たしげに鼻を鳴らす。


まだ発情期が本格的に始まっていないだけだ。


ここへ来た以上、いずれ相手は見つかる。


そう考えたとき、岩壁の上から一頭の竜が舞い降りた。


大きく広げられた翼も、長い尾も、混じり気のない白に覆われている。


ラルクの白銀とは異なる、雪のような純白の鱗。


陽の光を受けた滑らかな表面が、真珠のような艶を帯びていた。


純白の翼が閉じられる。


琥珀色の瞳が、真っ直ぐにヴェルドラへ向けられた。


『随分と遅かったじゃない、ヴェルドラ』


『……イザベラか』


『何百年ぶりだというのに、それだけ?』


『貴様にかける言葉などない』


『相変わらずね』


イザベラは呆れたように鼻を鳴らしたが、その足は迷うことなくヴェルドラへ近づいていく。


『何百年も気配を消しておいて、今さら何事もなかったように戻ってくるなんて、本当に勝手ね』


『我がいつどこへ行こうと、我の勝手だ』


『ええ。あなたは昔からそういう竜だったわ』


ヴェルドラの尊大な物言いにも、イザベラは一歩も退かなかった。


むしろ挑むように顎を上げ、赤い瞳を正面から見返している。


やがてイザベラは、ヴェルドラの周囲をゆっくりと歩き始めた。


以前と変わらぬ漆黒の鱗。


巨大な翼。


近づくものすべてを威圧する赤い瞳。


長い年月を経ても、その姿は記憶の中にある黒竜とほとんど変わっていない。


周囲では、ほかの竜たちが二頭の様子を窺っていた。


その視線に気づいたイザベラが琥珀色の瞳を向けると、竜たちは次々に顔を背ける。


ひととおりヴェルドラの姿を確かめると、イザベラは再びその正面へ立った。


純白の尾が、乾いた大地をゆっくりと撫でる。


『こうして戻ってきたのなら、今回も私を選ぶのでしょう?』


問いかける声に迷いはなかった。


ヴェルドラがほかの雌竜を選ぶ可能性など、初めから考えていないようだった。


『随分な自信だな』


『私以上に、あなたに釣り合う雌がいる?』


イザベラはヴェルドラの返事を待たず、さらに距離を縮める。


ヴェルドラはその姿を見下ろした。


イザベラとは、過去にも何度か繁殖期を共にしている。


互いに余計な言葉を必要とせず、期間が終わればそれぞれの縄張りへ戻る。それだけの関係だった。


今回も、同じように過ごせばよい。


拒む理由はなかった。


『好きにしろ』


『言われなくても、そうするわ』


イザベラは満足そうに目を細め、ヴェルドラの首元へ顔を寄せた。


その鼻先が、漆黒の鱗へ触れる寸前で止まる。


『……何、この匂い』


先ほどまでの余裕を残しながらも、その声には明らかな不快感が混じっていた。


イザベラはもう一度、確かめるように息を吸い込んだ。


ヴェルドラの鱗に残っている、焚き火と薬草。


そして、その奥に染みついた人間の女の匂い。


純白の顔が上がり、琥珀色の瞳が鋭く細められた。


『人間の女ね』


ヴェルドラは答えなかった。


イザベラは漆黒の巨体を見上げ、訝しげに眉をひそめる。


『まさか、そんなものをそばに置いているの?』


それまで緩やかに揺れていた純白の尾が、ぴたりと動きを止めた。

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