↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
暴虐の黒き竜と囚われの娘【R15版】  作者: いをり。
第6章【白竜の来訪】

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

33/46

5話

第6章 白銀竜の来訪|第5話


ラルクが洞窟へ来てから、三日が過ぎた。


宣言したとおり立ち去る気配はなく、昼間はレイラの採集について回り、食事の時間になれば当然のように木椀を待つ。


そのたびにヴェルドラは不機嫌そうに尾を打ちつけたが、ラルクが気に留める様子はなかった。


その日は朝から雲が厚く、昼を過ぎる頃には細い雨が降り始めた。


洞窟の外へ落ちる雨が岩肌を濡らし、木々の葉を絶え間なく揺らしている。


レイラは焚き火のそばへ座り、村から持ち帰った衣服を畳んでいた。


泉のそばでは、ヴェルドラが前脚へ顎を載せて目を閉じている。


ラルクは入り口近くに伏せ、降り続く雨を眺めていた。


「ラルクさんは、普段はどこで暮らしているんですか?」


不意に尋ねられ、淡い水色の瞳がレイラへ向けられる。


『僕の住処が気になるの?』


「はい。ヴェルドラさんとは昔からのお知り合いだと仰っていましたけど、ずっと近くにいらしたわけではないんですよね?」


『そうだね。ここから北へ、いくつも山を越えた先に僕の住処があるよ』


レイラは畳んだ衣服を膝の脇へ置いた。


「そこも、こちらの山と似ているんですか?」


『うん。でも、冬になると山のすべてが雪に覆われる。湖まで凍って、どこを見ても真っ白になるよ』


「湖まで……」


驚いたように目を見開くレイラを見て、ラルクは穏やかに目を細めた。


『雪を見たことは?』


「村にも降りますけど、山も湖も覆ってしまうほどではありません」


『それなら、君が見れば驚くだろうね』


「きっと、とても綺麗なんでしょうね」


レイラはまだ見ぬ景色を思い浮かべるように、洞窟の外へ目を向けた。


『昔、凍った湖へヴェルドラが降りたことがあってね』


閉じられていた赤い瞳が開く。


『余計なことを話すな』


『まだ何も話していないだろう?』


『貴様が何を言おうとしているかくらい分かる』


ラルクは構わず続けた。


『自分の重さも考えずに降りたものだから、氷が一面割れて、そのまま湖へ落ちたんだ』


レイラの口元から、小さな笑い声が漏れる。


『笑うな』


ヴェルドラの赤い瞳が向けられ、レイラは慌てて口元を手で覆った。


「すみません。でも、ヴェルドラさんにも、そんなことがあったんですね」


『あの程度、落ちたうちに入らん』


『湖の底まで沈んでいたけどね』


『黙れ』


洞窟の奥へ低い声が響く。


レイラは笑いを堪えるように俯いたものの、その肩は僅かに揺れていた。


その姿を眺めながら、ラルクの白銀の尾がゆっくりと岩床を撫でる。


初めは、ヴェルドラを苛立たせるために話し始めただけだった。


けれど、レイラが次にどんな顔をするのか見たくなり、ラルクは別の話を続けた。


雲よりも高い山のこと。


月の光を受けて、青白く輝く海のこと。


何日飛び続けても果てが見えないほど、広大な森のこと。


レイラは一つ話すたびに驚き、ときには問い返しながら、楽しそうに耳を傾けていた。


「ラルクさんは、いろいろな場所へ行かれたんですね」


『長く生きているからね』


「お一人で?」


『僕たちは、人間のように群れて暮らさないから』


「寂しくはないんですか?」


ラルクは一度、瞬きをした。


これまで人間と話すことはあっても、そんなことを尋ねられた覚えはない。


『考えたこともなかったな』


「そうなんですね」


レイラはそれ以上踏み込まず、畳み終えた衣服を抱えて立ち上がった。


憐れむでもなく、恐れるでもない。


ただ、ラルク自身へ向けられた問いだった。


レイラが衣服を岩棚へ置き、再び焚き火のそばへ戻ってくる。


「ほかには、どんな場所へ行かれたんですか?」


『そうだな……』


ラルクは僅かに考えた。


『山の頂からなら、雲一つない夜には空を覆うほどの星が見えるよ。人間の村で見るよりも、ずっと近くにね』


「空を覆うほど……」


レイラの瞳が、子供のように輝く。


「見てみたいです」


その言葉を聞いた途端、ラルクの口から自然に言葉が零れた。


『なら、いつか僕が連れていってあげようか』


岩床を打つ鋭い音が響いた。


黒い尾が二人の間へ叩きつけられ、レイラの肩が大きく跳ねる。


『貴様がその女を連れ出す必要はない』


ヴェルドラが身体を起こし、ラルクを睨みつける。


赤い瞳には、これまでの苛立ちとは異なる剣呑な光が宿っていた。


『触れれば殺すと、告げたはずだ』


洞窟の空気が張りつめる。


ラルクは赤い瞳を見つめ返した。


ヴェルドラの言葉は、単なる脅しではない。


自分がレイラへ触れれば、目の前の黒竜は本気で牙を剥くだろう。


『そうだったね』


ラルクはそれ以上何も言わず、前脚へ顔を載せた。


「あの……私は、お話を聞けただけでも十分ですから」


レイラが二頭の間を宥めるように微笑む。


「ありがとうございます、ラルクさん」


『どういたしまして』


いつもと変わらない穏やかな声で答えた。


けれど、胸の奥に残ったものは消えなかった。


やがて雨が弱まり、洞窟の外が薄暗くなり始める。


レイラは焚き火へ薪を足し、夕食の支度を始めた。


ラルクはその様子を眺めながら、先ほど口にした言葉を思い返していた。


先ほどレイラを星空へ誘った言葉は、ヴェルドラの反応を楽しむために口にしたものではなかった。


ただ、レイラにあの景色を見せたいと思った。


自分が見てきたものを彼女へ話し、驚く顔や楽しそうに笑う姿を、もっと見ていたいと思った。


その日の夕食を終えると、レイラは木椀を片づけ、作り直した寝床へ向かった。


「おやすみなさい、ヴェルドラさん」


ヴェルドラは答えず、不機嫌そうに鼻を鳴らした。


「おやすみなさい、ラルクさん」


『おやすみ、レイラ』


毛布へ包まったレイラが目を閉じる。


しばらくすると、焚き火の弾ける音に混じって、静かな寝息が聞こえ始めた。


ヴェルドラは泉のそばへ伏せ、赤い瞳を閉じている。


ラルクも目を閉じたが、昼間に聞かせなかった話がいくつも浮かんできた。


南の地に咲く、夜になると光る花。


朝日を受けて、黄金色に染まる岩山。


遥か昔に見た、地平の彼方まで続く渡り鳥の群れ。


どの話なら、レイラはまたあのように笑うのだろう。


ラルクはゆっくりと目を開き、眠っているレイラへ視線を向けた。


そのとき、泉のそばから注がれる視線に気づく。


眠っていたはずのヴェルドラが、赤い瞳でラルクを見据えていた。


二頭の視線が、洞窟の薄闇の中でぶつかった。


ラルクは何も言わず、再び前脚へ顔を載せる。


けれど、淡い水色の瞳は開いたままだった。


人間一人の笑顔を思い浮かべながら、次の日を待つ。


そんな夜を過ごすのは、ラルクにとって初めてのことだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。