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暴虐の黒き竜と囚われの娘【R15版】  作者: いをり。
第6章【白竜の来訪】

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1話

レイラが目を覚ますと、腰にはまだヴェルドラの尾が巻きついていた。


漆黒の鱗へ頬を寄せたまま、ゆっくりと瞼を開く。


洞窟の入り口から差し込む朝の光が、岩床へ散らばった乾いた草を淡く照らしている。


すぐそばでは、ヴェルドラが目を閉じていた。


重なった身体の熱も、昨夜初めて教えられた名前も、まだ鮮明に残っている。


レイラは黒い胸元へ添えていた手を僅かに動かした。


「おはようございます、ヴェルドラさん」


閉じられていた赤い瞳が、ゆっくりと開く。


『朝から我の名を呼ぶな』


「昨日、名前を教えてくださったから……呼んでみたかったんです」


ヴェルドラは不機嫌そうに鼻を鳴らした。


それでも、腰へ巻きついた尾が解かれることはなかった。


レイラは僅かに身じろぎし、乱れたドレスと髪を手で整えた。


そのとき、ヴェルドラの前脚へ巻かれた布が目に入る。


「傷の様子を見せてください」


『必要ない』


「駄目です」


レイラは腰へ巻きついた尾に手を添え、ヴェルドラを見上げた。


「ヴェルドラさん」


『我を子供のように扱うな』


「でしたら、きちんと傷を見せてください」


しばらく見つめ合ったあと、腰を囲んでいた尾がようやく緩んだ。


レイラはヴェルドラの胸元から離れ、前脚の傷へ巻いた布を解いていく。


乾いた薬草を取り除くと、深かった傷から流れていた血は止まっていた。


それでも鱗の隙間には、赤く生々しい傷口が残っている。


「まだ、無理に動かさない方がいいです」


『我に指図するな』


「心配しているだけです」


レイラは泉の水で濡らした布を絞り、傷の周りに残った血を拭った。


翼にも、矢に貫かれた傷がいくつも残っている。


黒い皮膜へ触れないように血を拭いながら、レイラは昨日の戦いを思い出した。


傷ついた翼で村まで飛び、兵士たちへ爪や尾を振るっていたヴェルドラ。


その姿が脳裏へ蘇り、指先が僅かに止まる。


「あの石柱は……やはり、ヴェルドラさんを山の中へ閉じ込めていたものだったんですか?」


赤い瞳が、レイラへ向けられた。


『あれは、かつて人間どもが我に掛けた枷だ』


レイラは血を拭っていた布を下ろした。


「では、もう山の外へも出られるんですね」


『ああ』


ヴェルドラの爪が岩床を擦る。


『今さら、何者にも我を閉じ込めることはできん』


低く響く声に、レイラは僅かに息を呑んだ。


村を破壊すると脅されたあの夜とは違う。


今のヴェルドラなら、本当に村まで行くことができる。


レイラの表情を見下ろし、ヴェルドラの赤い瞳が細められた。


『何だ、その顔は』


「……いいえ」


『我を疑っているのか』


「そうではありません。ただ……」


レイラは言葉を探すように目を伏せた。


ヴェルドラの喉から、不機嫌そうな唸り声が漏れる。


『我に害をなさぬ者へは、こちらから手を出さぬと告げたはずだ』


レイラは顔を上げた。


『何度も同じことを言わせるな』


「……はい」


張りつめていた表情が、僅かに緩む。


「ありがとうございます、ヴェルドラさん」


『礼などいらん』


ヴェルドラは煩わしそうに顔を背けた。


レイラは使った布を泉の水ですすぎ、岩の上へ広げた。


立ち上がると、壁際に置かれていた鞄へ向かう。


そのそばには、洗って畳んだハンスの外套が残されていた。


外套を手に取った途端、背後から低い声が飛んでくる。


『ようやく、その目障りな布を捨てる気になったか』


「返しに行くんです」


『同じことだ。二度と我の住処へ持ち込むな』


「分かっています」


レイラは外套を鞄へ収めた。


「それから、家に残してきた衣服や、ここで暮らすために必要なものも持ってきたいんです」


ヴェルドラの尾が、岩床を一度強く打った。


『また、あの村に長居するつもりか』


「必要なものをまとめたら、すぐに戻ります」


『前にも同じことを言ったな』


レイラの手が止まる。


日が沈むまでに戻ると約束しながら、村人たちに閉じ込められ、果たすことができなかった。


レイラは返す言葉を失い、鞄を握りしめた。


『信用できんな』


ヴェルドラは身を起こすと、レイラへ顔を近づけた。


『貴様は二度も我を待たせた』


熱い吐息が、レイラの髪を揺らす。


以前なら、それだけで身体が竦んでいた。


けれどレイラは逃げることなく、燃えるような赤い瞳を見上げた。


「日が沈む前には、ここへ帰ってきます」


その言葉が、洞窟の中へ静かに響いた。


ヴェルドラは何も言わず、レイラの顔を見つめている。


「ですから、待っていてください」


『ならぬ』


「でも——」


『我が連れていく』


「え?」


ヴェルドラは洞窟の入り口へ顔を向けた。


「駄目です。翼にはまだ傷が——」


『貴様一人を運ぶ程度でどうにかなるほど、我は脆くない』


「ですが、村の近くにヴェルドラさんが現れたら、皆が驚いてしまいます」


『我がどこへ降りるかは我が決める』


それ以上の口答えを許さぬ声だった。


黒い尾がレイラの腰へ巻きつき、その身体を胸元へ引き寄せる。


レイラは鞄を抱え、黒い鱗へ腕を回した。


ヴェルドラは傷の残る翼を広げる。


「翼は、大丈夫ですか?」


『黙って掴まっていろ』


次の瞬間、黒い巨体が地面を蹴った。


巻き起こった風が乾いた草や葉を舞い上げ、二人の身体が空へ運ばれていく。


レイラはヴェルドラの胸元へ抱かれたまま、眼下に広がる山を見下ろした。


木々の間には、片方だけになった石柱が立っている。


ヴェルドラはその上を通り過ぎ、これまで越えることのできなかった場所へ迷いなく翼を進めた。


やがて山の麓にある村の屋根が見え始める。


ヴェルドラは村から少し離れた森へ降り立った。


地面へ下ろされたレイラは、鞄を肩へ掛け直す。


木々の向こうには、村へ続く道が見えていた。


「ここからなら、歩いて行けます」


レイラは村へ続く道へ足を向ける。


「では、行ってきますね」


そう告げて歩き出したものの、レイラは数歩先で足を止めた。


振り返ると、ヴェルドラはその場に立ったまま、彼女を見ている。


「待っていてくださいますか?」


『少しでも戻るのが遅ければ、今度は我が迎えに行く』


遅くなれば本当に村まで来るつもりなのだろう。


それでも、レイラの口元には小さな笑みが浮かんだ。


「分かりました。必ず、日が沈む前に帰ります」


『当然だ』


レイラは今度こそ村へ向かって歩き出した。


木々の奥へ消えていく背中を、ヴェルドラは黙って見送る。


その姿が見えなくなったあとも、すぐに飛び去ることはなかった。


遠ざかっていく足音を聞きながら、ヴェルドラは森の中へ身体を伏せる。


人間の村など、どうでもよい。


あの女が何をして戻ってくるのかも、興味などない。


そう自分へ言い聞かせながら、赤い瞳はレイラが消えた方角へ向けられたままだった。


しばらくすると、頭上から大きな羽音が響いた。


ヴェルドラの耳が動く。


木々の上を、白く輝く巨大な影が通り過ぎた。


朝の光を受けた鱗は、氷を削り出したような淡い水色を帯びている。


大きな翼が広げられ、白銀の巨体がヴェルドラの前へ静かに降り立った。


舞い上がった木の葉の向こうで、白銀竜がゆっくりと顔を上げる。


『やあ。随分と久しぶりだね、ヴェルドラ』


ヴェルドラの喉から、低い唸り声が漏れた。


『……貴様か、ラルク』


『久しぶりに会ったというのに、随分な挨拶だな』


ラルクは気にした様子もなく、ヴェルドラの傷ついた翼へ目を向けた。


『突然、懐かしい気配が戻ってきたから、確かめに来たんだよ』


ラルクの視線が、再びヴェルドラへ向けられる。


『君の気配が消えてから、もう随分と経つ。あれほど人間たちを襲っていたから、とうとう殺されたのかと思っていたよ』


『我が人間ごときに殺されるものか』


『それなら、今までどこで何をしていたの?』


『貴様には関係ない』


『そう』


ラルクはあっさりと視線を外し、レイラが消えた村の方角へ顔を向けた。


『それにしても——』


白銀の顔が、再びヴェルドラへ向けられる。


『さっき君が大切そうに抱えていた、あの人間は何?』


ヴェルドラの喉から、低い唸り声が漏れた。

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